「敬礼!」 この国中で多分一番立派で警備の行き届いた建物が眼前にそびえている。機能が重視されているがそれでも優美さを損なわない細工を至るところに施した建築物の正面には大総統府の紋章が織り込まれた幕が垂れ下がっている。 アーチ状になっている柱の入り口の下には階段があり、そこからまっすぐに続く石畳の両脇には大総統府の紋章が入った旗が立っている。 その階段の上、壇上に隻眼の男が立っている。腕を後ろで組んで年齢を感じさせないほど背筋の伸びた身体は、見かけよりずっと敏捷だ。超一流の剣術の使い主は伊達ではない。 脇には男の顔色を伺って取り立てられた年老いた将軍達が並んでいる。 その前面の真っ直ぐに伸びた石畳に青い軍服に身を包んだ軍人が一糸乱れぬ様で整列していた。その数は頭上から見ても数え切れないくらい多い。 青い服の群の中に埋もれながら、エドワードはそれでも片手を上げて誰にも文句など言わせない程綺麗に敬礼してみせた。内心は目の前に立つこの国の独裁者に忠誠を誓っている訳ではないけれど。 まさか、こんな目にあうとは今朝まで思いもしなかった。 エドワードは内心ため息を付きながら、隣に立つ自分の後見人でありことの元凶である男をちらりと見上げた。その視線に気づいた男が口の端を自分だけにわかるように上げてみせたため、余計にエドワードは瞳に剣呑な色を浮かべた。 本当に、腹立たしい。 己も男同様、目に鮮やかな青い衣装を身に付けているのだから、笑えない冗談のようだ。 エドワードは、盛大にため息を付きたいのをぐっと堪えて今日舞い込んだ不幸を脳裏に思い浮かべた。 朝からいい天気だった。 空は絵の具を溶かし込んだみたいな青色で澄み渡り、白い雲がぽかりと浮かんでいて太陽の光は春の暖かさを伝えてくれる。この時期の太陽は日差しが強すぎることもないが、目を細めたくなる眩しさがある。 長い冬を抜けて差し込む陽光のせいだろうか、その光は殊更輝いて見える。 まだ十分に朝の光といえる時刻、セントラルに降り立ったエルリック兄弟は見たこともない人の多さに驚いた。いつも国の中枢であるセントラルは人がごった返しているが、今日はその比ではない。 構内は、着いたばかりの汽車が白煙を上げて側からたくさんの人が降りてくるところだ。手荷物を抱えている様子から旅行だろうかと推測するが、その割に軽装な気がする。 長期滞在ではないのか、たまたま用事があってセントラルまで来たのか。 子供連れの家族、二人連れ、単身、男女入り乱れて構内から外へ向かう人の流れができている。 「すごいね、兄さん」 「ああ。どこからわいてきたんだか……」 エドワードの身長では、埋もれてしまいそうな人の多さだ。視界に入るものは大人の肩や胸ばかりで窮屈極まりない。対するアルフォンスは鎧の頭が人混みの中から飛び出ていた。それがなんとも言い難い気になり、エドワードは小さくため息を漏らす。 牛乳は飲みたくないが、身長はもっと欲しいと思う。弟に見下ろされるのは少々嬉しくない。 ふとエドワードが気を反らせた途端、危うく人に流されそうになり慌ててアルフォンスが兄の腕を掴む。 「大丈夫、兄さん」 「サンキュ」 弟に助けられるなんて、と思いながらもアルフォンスを見上げエドワードはお礼を言うとトランクを抱え体制を立て直す。 人混みは、だから嫌いだ。 特に駅は大嫌いだ。目的地に意識が向いているせいで、周りに気を配らない人間が多いおかげで身体がぶつかることもしばしばなのだ。 「やあ、鋼の」 その時、よく知っている声がエドワードを呼んだ。 まさか、こんな場所で聞くとは思いもしない声だ。エドワードは一瞬逃げてやろうかと思ったが、後で何を言われるかわからないためしぶしぶ振り向いた。 そこには、青い軍服に身を包んだ東方司令部面々が立っていた。責任者のロイ・マスタング大佐に腹心であるリザ・ホークアイ中尉、ジャン・ハボック少尉、ハイマンス・ブレダ少尉。 一体、何かあったのか。 エドワードは疑問に思う。 セントラルでこのメンバーがそろっているなんて、滅多にない。彼らがいない東方司令部の残ったメンバーを頭に浮かべて、どうしているだろうと少々同情した。 上司がいないから羽を伸ばすより、事件が起こっても対処できる人間が不在である不安の方が大きいのではないか。最高司令官、将軍である爺さんは案外頼りになるだろうけれど、いい加減年だから無理をしないで欲しいとエドワードは心配になった。 「大佐、何で?」 エドワードは不思議そうにそろったメンバーを見渡しながら首を傾げる。 「君こそ、どうしてだね?」 「俺は中央図書館へ」 ロイの質問にエドワードは迷うことなく即答する。 「ほう。けれど、今日は開いていないはずだが?」 「ええ、何で?どういうことだよ」 エドワードが知る限り、今日は中央図書館の休館日ではないはずだった。 「知らなかったのかね。まあ、そうだろうとは思ったけれど、いいところで逢ったねえ」 にやりとロイは人の悪い笑みを浮かべた。 それは、何か企んでいる時の顔だ。 胡散臭い、とエドワードが常々思っている表情のロイは大抵厄介なことに巻き込む。 「何だよ」 訝しげにエドワードは眉を潜める。ロイは食えない顔で説明した。 「今日は軍国記念日とでもいうべき日だからね。大総統の誕生日には軍人が集まって式典が催される。軍人は当然ながら強制参加だ。……さすがに君にまでは今まで召集がかからなかったけれど。遠方にいる時ばかりだったしね、不参加扱いで良かった。けれど、今日この日にここにいて、無視はできない」 「何だそりゃ。……だからこんなに人が多いのか?全部軍人ってことはないだろ」 ここに来るまでの汽車でも明らかに民間人ばかり乗車していた。軍人はほとんど見なかった。ひょっといたら、軍人は前日にセントラルに入っていたのだろうか。東方司令部の面々がこんな時間に付いているのは、事件続きで多忙なせいだろう。 「人が多いのは、今日セントラルでお祭りもあるからだろう。……今まで知らなかったかね?」 「知らねえ。セントラルの行事には詳しくないし」 旅に旅を重ねているせいで、偶然その場所のお祭りや行事ごとに遭遇することはあっても、同じ時期同じ場所で過ごすことは皆無であり……あるとしたらイーストシティくらいなものだ……セントラルでさえ知らないことが多々ある。出身は東部の田舎だから国の中枢のセントラルには疎くて当然だった。 「だったら、これから知ればいい。ということで、君はこのまま付いてきたまえ」 ロイは楽しそうに命令した。 「ええ?」 嫌そうに文句を言い出すエドワードにロイは口の端を上げた。 「目的の中央図書館は開いていないのだから、今、予定はないはずだ。それに、鋼の錬金術師が式典にも出ずふらついていたとしたら、立場上まずいと思うが?」 大総統に喧嘩を売るかね、とロイは脅した。 まだ国家錬金術師をやめる訳にはいかないエドワードは上から睨まれると大層困る。 「……わかったよ」 しぶしぶ頷くエドワードに機嫌良さそうにロイは笑うと、では行くぞと背後の部下に言いながら様子を伺っていたアルフォンスにも一緒においでと促した。 一行がやって来たのはヒューズ中佐が所属する軍法会議所だった。 「よう、ロイ。……あ、エドワードじゃねえか」 いつもの人付きのする笑顔を浮かべたヒューズが片手を上げて迎えた。親友の後ろに部下だけではなくエドワードがいることに驚き、その後に鎧姿のアルフォンスを見つけ、よく来たなと歓迎した。 室内にヒューズ以外誰もいない。部署の人間はどこかに出払っているようだ。 「ヒューズ、鋼のの軍服を用意できるか?」 落ち着いている時間はないと座ることなくロイは用件を述べた。 「エドの?式典出るのか?……まあ、出ないと不味いか。えらい時に来ちまったな」 事情が飲み込めて、ヒューズは顎をかいて苦笑する。 「適当に見繕ってくるか、……少佐だよな」 「ああ」 「ちょっと、待っていろ」 ロイに確認を取るとヒューズは部屋を出ていった。 「なあ、俺軍服着る訳?」 座りなさい、と言われたエドワードはソファに腰を下ろし向かいに座るロイに率直に疑問をぶつける。ホークアイはロイの背後で控えハボックとブレダは入り口付近に立っている。アルフォンスはエドワードの後ろに立ったままだ。 己のことを勝手に決められていくためエドワードは不満そうに顔をゆがめる。 「当然だろう。君は軍属なのだから」 だがロイは当たり前のこととして答えた。 「……」 ロイの言う通りだ。エドワードは国家錬金術師であり、軍属なのだ。 「式典、何するんだよ」 まだ詳細の説明を受けていないエドワードは気になった。軍服で出席するだけでも抵抗があるのに、何をするのだろうか。 「大総統のお話を拝聴する。その後、将軍達からの祝辞を拝聴する。それから、私は国家錬金術師として余興もするけれどね」 「見せ物になるのか?」 「そうだよ」 エドワードの嫌味にロイは憂うことなく頷く。ロイはまるで天気の話をするように余興をするというが、エドワードにしてみれば流せない台詞だった。 「俺も、国家錬金術師だけど、やらなければならねえのか?」 国家錬金術師の余興が強制ならば、己も同じ立場にあるといえるだろう。 「嫌かね?」 「見せ物になるのは、好きじゃない」 ロイの問い返しにエドワードは彼らしい答えをする。ロイは嫌そうな表情を浮かべるエドワードの様子に微笑ましさからくる笑いをかみ殺した。 「別に強制はしないよ。式典も嫌なら欠席すればいい。どこかに隠れて姿を見せなけらば君がここにいることはばれないだろう。何ならすぐにセントラルを立つかね?……それとも、まだ子供だから出るには行儀がなっていないと私から断っておこうか?」 「……何だよ、それ!子供扱いするな」 ロイの言いようにエドワードは眉を寄せ不機嫌そうに食ってかかる。 逃げるなんてできない。 隠れるのも性に合わない。 軍服を着て式典なんて出たくないのが本音だ。けれど、自分は軍属なのだ。責任は果たさなければならない。 第一、後見人であるロイがエドワードの参加を断るということは、立場的にはロイだとてまずいのではないのか? 今までは遠方にいて連絡も取れなかったから免れたらしい。果たしてそれは本当なのか。軍人が強制で国家錬金術師が見せ物になるのなら、己は例えどこにいようとも普通召還されるものではないのか。 それなのに、自分は知らなかった。知らせなど来たこともない。 もし、出席させる気があるなら日時を予め言っておけば自分は拒否などできないのだから。 きっと目の前の男は最初から自分を参加させる気がなかったのだ。 今回は、さすがに見逃す訳にはいかなかったけれど。それに、あの場で命令して連れてこなければ、エドワードがセントラルにいることはばれまくっていただろう。 何も言わない男が心底悔しい。子供の自分が到底敵わないと思わされる度、毎回そう思う。その悔しさを表に出すような素直さはもっていないから、知らないふりをする。 「やってやるよ、それくらい。俺は軍の狗だからな」 エドワードは心情を隠しきっぱりと断言した。 |