「鋼の、一ヶ月イーストシティ滞在を命ずる」 窓から差し込むうららかな陽光の中、東方司令部、マスタング大佐の執務室で部屋の主はにこりと笑いながらそう宣言した。 それは、連続失踪事件が解決というより収束した数日後の事だ。 ローザントの病院に入院していたエドワードは目覚めた翌日無事に退院して……薬による倦怠感と疲労が積み重なっただけであり怪我をした訳ではなかったため……イーストシティに戻ってきた。 一方事件の後始末に追われていた東方司令部の責任者も一定の人員を残し彼ら兄弟と共に司令部まで帰ってきた。軍はやる事が山積みだから、君たちはひとまず休みなさいと言われホテルで一泊した後、翌朝司令部に顔を出した。 そして、いつものように後見人である大佐の執務室に赴いたら、衝撃的な一言である。 エドワードが驚愕のため、目を見開き叫んでも不思議ではない。 「はあっ……?何言ってるんだ、大佐!わけわかんねえっ」 「君の耳はすでに老化してるのかい?」 が、ロイはエドワードの叫び声など想像していたように片眉をわずかに上げただけだ。 「誰が老化だっ。老化は、大佐の方だろうがっ」 「私が老化?馬鹿も休み休み言いたまえ」 「ばか、ばか、ばか、ばかやろーーーーっ」 ゆっくりと馬鹿をエドワードは繰り返す。その子供っぽい対応にロイは肩を落とし見せつけるように吐息を付いた。 「何だよ……あんたが悪いんだろ」 「鋼の。誤魔化しても駄目だ」 きっぱりとロイは断言した。 「何でだよ、横暴だろ?一ヶ月も何でここにいなくちゃいけないんだよ。俺達は急いでるんだ」 それくらいロイも知っている事であるのに。 なぜ、こんな事を命令されるのかエドワードには理解できない。 「何でもだ。しばらくここにいなさい」 「納得できない。勝手な事言いやがって」 「まず、一つ。今回の事件についての提出書類。君は当事者だ、責任があるだろう?」 「……」 「それに、生体錬成についての論文を読むのだろう?貸してくれと言ったのは君だったよね」 「そうだけど」 「めぼしい情報があるなら兎も角、旅をすればいいと言うものではあるまい。噂を集めたり伝承、研究論文を見るために資料室にこもれば、君は大概すぐには出てこない。違ったかね?」 「……」 「特別資料室の閲覧。そして、私の蔵書ではどうかな」 「大佐の?」 思いがけない申し出にエドワードは目を瞬く。 「興味はないかな?」 「……あるけど。でも……」 「君たちとは専門が違うとは思うが、稀少な本や絶版されている珍しい本をこれでも揃えているのだがねえ」 エドワードの心が揺れる。焔の錬金術師の蔵書など、滅多に見られるものではない。 「けど、一ヶ月は長い」 「では、3週間」 エドワードが俯いて困ったように呟くとロイは期間を減らして来た。 3週間。微妙な期間だ。無言でエドワードはロイを見上げる。 「……」 「……20日」 「3週間と違わないじゃんか」 言い方を変えてほとんど変わらない日程で交渉してくるロイに、くすりとエドワードは笑った。 「1日違うだろう?うん?」 「わかった、20日だな」 「よろしい。その間は無茶をしないように。徹夜なんて以ての外だ。食事も3食しっかりと取ること、わかったね?」 「げーっ、何それ」 「私は普通の生活条件を言ったに過ぎないよ。どこが不満かね」 「……」 「不服申し立ては受け付けない」 「はい、はい。了解しました」 両手を上げて、降参と示すエドワードを見てロイも小さく笑う。 「アルフォンス君と一緒に見ればいい。役立つ事もあるだろう。善は急げというし、早速案内しようか?」 「忙しいじゃないのか?大佐」 「構わないよ。案内するだけで私は仕事に戻るしね。アルフォンス君と一緒に来たまえ」 「へえ、ここ?」 「ああ、入りたまえ」 エドワードは目の前にある家を仰ぎ見た。軍の佐官に与えられている家は2階建てで一人住むには随分広いだろう。門の取っ手を開け小さな前庭を通ると立派な扉があり中に入ると大きめの玄関がある。通常佐官ともなれば家族と共に暮らすためか、どれもこれも独身用ではなく家族向けの大きさだ。 ハボックの運転で東方司令部から乗せてもらって来たが、車で5分といったところか。歩くなら20分程の距離にある閑静な住宅地。近隣にある家は軍とは関係ないようだ。 室内へ促され家中を簡単に案内され、最後に書斎へ連れてこられた。 「すごいね、兄さん」 「ああ」 アルフォンスの感嘆にエドワードも頷く。 書斎の壁一面に本が詰まっている。圧倒的な蔵書の数だ。背表紙を見るだけで心躍るような稀少な本があるとわかる。 目を輝かせて室内を見回すエドワードにロイは口元を和らげる。 「いつでも好きに見るといい。それからキッチンや居間も遠慮せず使いたまえ。そして、約束通り三食ちゃんと取るようにな」 「……サンキュー」 予想以上の好待遇に、どう感謝していいかわからない。エドワードははにかんだように一言しか返せない。 困った顔で俯き加減のエドワードにロイはポケットから取り出した銀色の固まりを手の中に落とした。 「鍵だ」 「……いいのか?」 手の中で鈍く輝く鍵を一瞬見つめてからロイに視線を合わせておずおずと聞いた。 まさか、鍵を預かるとは思ってもみなかった。蔵書を見てもいいと言われた時、手間をかけるのは悪いから借りれるだけ借りるつもりだった。 意表を付いた顔でまじまじと見上げるエドワードにロイは内心苦笑して安心させるように口を開く。 「構わないよ。これでも君たちを信用しているからね」 「俺が盗んだからどうするんだよ」 「ありえないね。第一、君が何を盗るというのだね?君が他人の物を盗んでまで欲するものなどここにはないだろう」 「まあな」 エドワードの信条や自尊心を良く知っている台詞だ。錬金術師になってからの3年の付き合いは伊達ではないのだろう。第一、最初から兄弟の願いや望みを知っている人間なのだから。 「じゃあ、遠慮なく借りておく」 エドワードはにこりと笑顔を向けた。 「では私は戻るよ」 ロイはさっさとコートを翻し背を向ける。司令部に戻りやる仕事が山ほどあるようだった。出がけにホークアイ中尉に、今日中に決裁するべき書類を机に積まれていた。 エドワードはそれを思いだし、時間を取らせて悪かったなと思う。 「大佐、ありがとうございます」 アルフォンスがすかさず鎧の頭を下げた。 「がんばりたまえ」 ロイはドア越しに片手を振った。 「大佐には感謝しないとね」 「何でだよ、横暴だぞ」 二人は書斎で床に座り込み本に目を通していた。ひとまず目に付いた本を取りだし片っ端から読むつもりだ。それぞれ座っている左右に本が積まれている。分厚い背表紙には金文字で仰々しくタイトルがある本や、古びて今にも表紙が剥がれそうな本や黄色に変色した本や最近発売されただろう真新しい本などがあった。 今では絶版になった本や禁書と呼ばれる本、最近論文が発表された本、稀少価値のある本が本棚には列んでいて、兄弟二人はいつものように分担して読むことにした。 エドワードは一旦本を読み出すと、素晴らしい集中力を発揮し外界切断する。話しかけられても反応しない。 が、どんなに集中していても、兄であるエドワードは弟の声は聞きわける。だから、本から視線も上げずにぼそりとアルフォンスに反論した。 アルフォンスはそんな兄の態度に肩をすくめてみせと、大きく吐息を付いた。 「……僕、これでも、今回はすごく嬉しかったんだ。兄さん無茶ばかりするし、酷い事件に巻き込まれても被害にあっても立ち止まる事を良しとしない。休んでもくれない。だから、こうして十分な食事と睡眠を促してくれる大佐の心遣いに感謝したいんだ。兄さんだってわかってるでしょ?大佐、わざとだよ?」 「……」 そんな事、エドワードだってわかっている。 口に出して言わないけど。 エドワードをこのイーストシティに留める理由。 心配してくれたのだ、体調を。 立ち止まることが歯がゆくて先を急いでしまう自分の足下を見られる時間を得るように。 焦ってもしょうがないとわかっている。それでも石に情報があればどこへでも行く。 決意とか、覚悟だけでは世の中渡っていけないと知っている。 遠回りしないと手に入らないものがあるとも知っている。 けど。それでも、自分は。 待っていられないのだ。誰かがこうして目の前に立って遮ってくれない限り。見えている道を進み続けることしかできない。 厄介だと自分でもわかるけど。 ああ、本当に。困ったもんだ。 エドワードは心中で深いため息を付いた。 もって生まれて性格はそうそう変えられないのだ。その代わりに気配りにできる素直なアルフォンスがいるからいいか、とも頭の隅で思う。 「兄さん?」 「ああ」 「蔵書まで見せてもらったんだから、お礼しないとね」 「そうだな」 エドワードは小さく頷くと、再び本に目を落とした。 |