どこん、どこん。 汽車の振動は堅い座席を揺らして、決して乗り心地がいいとは言えず長旅には向かいない。しかし、汽車しか交通手段がないのだから、もっぱらどこへ行くのも汽車が民衆の足だ。 北部から一度乗り継いで東部、イーストシティ行きの汽車に乗ったのはさっきの事だ。 デリントは北部の僻地にあるため、汽車の本数も少なく乗り次ぎにも時間がかかる。うっかり汽車を逃せば、1日待たなければならない。もっとも、乗り継ぎでさえ待ち時間は長く、暇を持て余す程だ。 「機嫌良さそうだね、兄さん」 鎧姿のアルフォンスは横に座りながら窓の景色を眺めているエドワードに話しかけた。 「ああ、……夢見が良かったんだよ」 エドワードはアルフォンスを振り返り、珍しくにこやかに笑った。 「夢見?」 「そう」 夢見がいいなど、普段エドワードから聞いた事がないアルフォンスはへえ、と声を上げた。その態度にエドワードも苦笑する。 自覚はあるのだ、これでも。 珍しいことだと。 「良かったね」 アルフォンスは表情があったなら、微笑んでいただろう口調で自分の事のように嬉しそうに喜んだ。 今、眠ることがないアルフォンスは夢を見ることさえ、当然ない。 だから、その幸福感を実感することはできない。それでも、一度研究や本に没頭すると寝食を忘れる兄が夢を見て柔らかな表情を浮かべるなど、今までなかったことだ。アルフォンスにとってみれば、歓迎すべきこと。 魂だけの存在である自分は眠ることができないため、兄が睡眠を貪る事に罪悪感を持っているとアルフォンスは気付いていた。だから尚更嬉しいのだ。どれだけアルフォンスが注意しても、食べることも寝ることも疎かにしてしまう兄だから。 「あ、今の内にパン食べておいてね」 出かけに買ってきた昼食用のパンをアルフォンスはエドワードの膝に置いた。 「わかってるって」 差し出された包みの紙を広げてエドワードは野菜とハムが詰まったパンに食らいつく。 彼らはこれからイーストシティにある東方司令部へ向かう予定だ。折角仕入れた噂であったが全くの間違いであったため、手がかりが途切れてしまった。だから一旦東方司令部へ出向き何か情報がないか、新しい文献はないか聞いてみる事にしたのだ。 図書館で文献を漁ってもいいだろうし、なければ中央図書館で探してもいい。中央図書館の蔵書は一生かかっても読み切れるものではない程なのだ。 それから溜まっている報告書の提出。数ヶ月東方司令部へ顔を出していないから、そろそろ不味いだろう。 エドワードは昼食用のパンを食べ終えると窓枠に肘を付く。 まだ車窓には、のどかな田園風景が広がっている。汽車がイーストシティに着く頃には夕日が沈む時間になるだろう。 窓から流れていく景色を見ながら、エドワードはあくびをする。 何が起こるかわからないから人目がある中では眠り難いけれど、隣にアルフォンスがいるため、エドワードは安心して眠りに落ちる事ができる。 座席は堅いが、いつものことだし。 エドワードは目を閉じた。 「兄さん……」 「アル?」 木漏れ日が差し込む大きな木の下で寝ていたエドワードは瞼を開けた。見上げるとそこには弟の顔があった。 どうやら本を読みながら眠ってしまったようだ。仰向けの胸の上に読んだ途中のページで本が開いている。 エドワードは本を閉じて脇に押しやると身体を起こし、木の幹に背中を預ける。寝転がる時に邪魔になったせいで結んでいない髪が頬に落ちて来たため、エドワードは随分伸びた金髪を一つにまとめた結んだ。 「葉が付いているよ」 アルフォンスはくすりと笑うと、エドワードの髪に付いている深緑の葉を摘んで取った。 「あ、悪い」 エドワードは自分には見えない汚れを落とそうと、首を振る。 「落ちたか?」 「うん、綺麗」 けど、ちょっとじっとしてねと言いながらアルフォンスは優しい指先で乱れたエドワードの髪を梳いた。癖のない真っ直ぐな髪だけれど、エドワードのように粗雑に扱っては乱れるだけだ。 自分のことにあまり構わない兄をいつも気にしているのは弟であるアルフォンスの方だ。 「サンキュー」 「どういたしまして」 エドワードはそう言うと本を片手に持ち立ち上がる。アルフォンスも兄の隣に立つ。自然見下ろす事になった視線にエドワードが嫌そうに眉を寄せた。 「こんなにでかくなりやがって、少しは遠慮しろ」 幼い頃は少しの差であったのに、今では随分距離が出来た視線は、兄であるというプライドを痛く傷つけた。 アルフォンスはすくすくと身長が伸び、成長途中というには今一伸び悩んでいるエドワードよりかなり高い。隣に立つとエドワードは弟に見下ろされる。 仕方がない事とはいえ、その事実を実感する度に腹が立つ。 俺は、これから伸びるんだ。きっとアルを抜くんだ。 そうエドワードが心の中で誓っているとは、誰も知らない。もちろん知らないことは幸いである。知ったら絶対に無理だと断言してエドワードの怒りを買っただろうから。 「兄さんたら」 対するアルフォンスは兄の気持ちがわかるのか、苦笑するだけだ。 「余裕のある態度が、むかつくっ」 エドワードは腕を伸ばして自分より上にあるアルフォンスの短い髪を引っ張った。 アルフォンスの髪は短い。 兄弟同じような金髪に金色の瞳だが、やはり若干違う色をしている。エドワードの方が髪も瞳も濃い金色をしている。アルフォンスは兄に比べると少しだけ薄い。 同じ遺伝子を持っていても、兄弟良く似ている部分はあっても違う人間だと思う瞬間だ。背の高さ、顔の造り、肌の色。どれもこれも相違点がある。 エドワードは真っ直ぐに己の弟を見上げた。 幼い頃から一緒にいる大切な弟。 これからも、同じだと思っていたけれど……。 「痛いよ、兄さん」 引っ張ったままの髪を取り戻しながらアルフォオンスは訴えた。その笑いを含んだ声音にエドワードは益々へそを曲げた。 俺の方が兄なのに……。 「エド、アル、何しているの?」 いつの間にか母親がすぐ側までやって来ていた。腕を腰に当てて、呆れたような顔で二人を見ている。 「あ、そうだよ、兄さん。母さんが呼んでたんだよ」 「お前なあ、それならそうと早く言えよ」 「兄さんが言わせなかったんでしょ」 「……」 エドワードはぷいとそっぽを向く。 「どうしたの?」 母親の問いに、アルフォンスは笑みを深める。 「兄さんが、僕の背が高いから遠慮しろって言うんだ」 その言葉に母親は、仕方ないわねと微苦笑した。そして、エドワードとアルフォンスを見て取ると、首を傾げながら笑う。 「父さんに似たら背が高いはずなのにねえ。アルは父さん似だけど、エドは私に似たのかしら?でも、まだ私より小さいのよね……」 母親は、わかっているだろうにエドワードに止めを刺した。 「母さんっ!」 小さいという言葉に敏感にエドワードは反応した。よりによって、母親に自分より小さいと言われたのだ。これが怒らずにいられようか。 が、母親は誰よりも強いのだ。 エドワードの頭に手を当てて、ほら、まだ私の方が大きいわと宣った。 「……母さん」 恨めしそうにエドワードは母親を見つめる。自分より若干上にある視線。言われなくてもわかっているのだ、まだ己が母親より小さいということは。 悔しくて認めることが難しいけれど。 「やっぱり牛乳を飲まないと、駄目なんだよ、兄さん」 アルフォンスは兄を諫めた。 兄は牛乳が何より嫌いだ。背を伸ばす、カルシウムを取るには一番である食品と賢い兄はわかっているであろうに、一向に口に入れようとはしなかった。 宥めても賺しても、牛乳は全く受け付けない。 「あんな牛の白い分泌物が、飲めるかっ。気持ち悪いっ」 エドワードは険悪に顔を顰めると言い放つ。反応は昔から同じだ。身震いするほどの嫌がりぶりだ。 「でも、シチューは食べられるじゃない」 シチューやココアといった牛乳単品ではない食べ物や飲み物は口に入れることがエドワードはできた。牛乳の臭みというか、味があまりしなければ大丈夫であるようだ。 「あれはいいの。母さんのご飯美味しいし」 「誉めてくれるのは嬉しいけど、それじゃあ背は伸びないわよ、エド」 「……」 「そうだよ、兄さん」 「……」 母親と弟から責められるのは、忍びない。 勝ち目がないではないか。 エドワードは畜生と内心叫ぶ。 あんなの飲まなくても、成長するんだ。背は伸びるんだ。他の栄養で補えるんだ。 自身に言い聞かせるように、呟く。 この時エドワードは気付いていなかった。 牛乳が足りていないのが要因で背が伸びないという事を否定するということは、遺伝子的に伸びないという事実を。つまり、努力しても弟のようには成長しないということを。 「……それで、何だったんだ、母さん」 呼んでいたとう母親の意図をエドワードはまだ知らされていなかった。 「ああ。あのね、ドーナツをたくさん揚げたのよ。ロックベル家へ持っていってくれる?」 たくさんお菓子を作ると母親はロックベル家へ持たせるのが常だ。自分で持って行く場合もない訳ではないが、大概兄弟へ頼む事が多かった。それは兄弟が幼なじみのウィンリィと仲がよい事や祖母のピナコが兄弟を孫のように可愛がっている事と、医者であったウィンリィの両親が戦地で亡くなり家族が二人になった事が理由に上げられる。 「いいよ、なあアル」 「うん。じゃあ行って来るよ。揚げたてなんでしょ?」 顔を見合わせる兄弟を微笑みでもって見ている母親は頷いた。 「ええ。出来立てだから、早めに持って行って欲しいの。ちゃんと貴方達の分もあるから向こうで一緒に食べてきてもいいわよ」 ドーナツは揚げたてが一番美味しい。特に砂糖をまぶしたものは、エドワードの好物の一つだった。 「わかった!」 エドワードは元気に返事をして、ドーナツが置いてあるだろうキッチンへ走っていった。その後をアルフォンスが追う。母親はゆっくりと子供達の背中を見ながら自分もキッチンへ歩いて行った。 |