「最近は、オスカーがうろちょろしてるな」 ウラジーミルがふんと鼻を鳴らした。 「うろちょろって……」 あまりの言い方にテイラーが同情気味に返した。 「あれは、うろちょろだろ。なんでか知らないが、最近とみにあいつとえげつない噂が持ち上がる。あれは、ユウリにオスカーがまとい付いているからだ」 彼らしい辛辣な言い分だが、それにしてもけちょんけちょんである。ひょっとしたら、相容れないものがあるのかもしれない。 「まあ、最近確かにオスカー絡みの噂が絶えないね。最初は、アシュレイが使っていた部屋にオスカーがなってからだ。ユウリがなぜが一緒に掃除しているって噂になって。それからユウリの部屋が荒らされるって事件があったし、アシュレイが現れてオスカーの首を絞めるわユウリを殴るわ。収拾の付けようがないくらいの大事件だった。とにかく、それが縁なのかどうかは僕もユウリじゃないからわからないけど、やたらと噂になっているね。もっとも、オスカーがユウリに接触しているのが問題なんだけど。やれ、抱きしめていた、腕を引いていた、親密に話していたと報告がされてくるし。オスカー、ユウリの陰口ってほどのものではないけど、そういったものを黙って見ていないで、きっちりと意見するし。……放っておけませんて雰囲気がびしばし伝わって来るのはわかるんだけどねえ。もう少しだけ考えてもらいたいもんだね」 実はルパートもオスカーには思うことがあるのかもしれない。なぜだか、饒舌である。 噂に関して情報を仕入れるようにしているルパートにしてみれば、少し気を付ければこれほど噂にはならないのにと愚痴りたくなる気持ちもわかる。 あれでも、エドモンド・オスカーは下級生なのだ。上級監督生で、この寮をこれから引っ張っていく将来有望な人間なのだ。黒褐色の髪と瞳をした大人びた青年であり少々アウトローな部分はあるが、下級生から慕われているのだ。 体格差のせいで、ユウリと並ぶとオスカーの方が年上に見えてしまうが、それでもユウリの方が年上なのだ。最上級生なのだ。立場を考えろと言いたくなる。 親切心でユウリに手を貸すことがあると知っているが、程度問題である。それが目撃される度に噂になってはかなわない。ユウリの耳には絶対に入れたくないが、それはげすの勘ぐりをした噂が後を絶たないのだ。 「そういえば、セーヤーズも最近はユウリに対して態度が随分柔らかくなったな」 パスカルが冷静にそう述べた。 「ああ。ユウリの体調が思わしくない時も心配そうに声をかけていたね。それに、こう雰囲気が変わった。前はユウリに対する苦情とか不満をシモンに言っていたし刺々しさが伝わってきたけど、今は違う。ずっと友好的で、うっすらと好意が透けて見える」 ルパートがそう付け足した。大した観察眼である。 「セーヤーズねえ」 ひくひくと口元をひきつらせ、ウラジーミルが唸った。 「まさか、セーヤーズの態度が変わるとは思ってなかった。セーヤーズはシモンに心酔していると思っていたし。それは変化していないんだろうけど、なんかシモンに対するのとユウリに対する感情が微妙に違うように見えるな」 根底にある感情の色の違いに気づいてしまったせいか、ウラジーミルは嫌そうに眉を寄せた。 ドナルド・セーヤーズは、亜麻色の髪に薄緑色の理知的な瞳をした青年である。ヴィクトリア寮の寮長であり代表でもあり、当然ながら行動力も統率力もある。愛想は薄いが上級生の受けもいい。 「まあ、友好的になる分にはいいと思うよ。この寮の寮長だし。頼りになるし、来期代表筆頭だし」 非友好的より、ずっといいとルパートが締めた。 「……なあ、自分で言っておいてなんだけど。ユウリ、モテ過ぎなんじゃないのか?」 テイラーが素朴に聞いた。 「今更何を」 ウラジーミルが呆れて首を振る。 「それに、一番の人間を忘れているだろう」 「……それは忘れているんじゃなくて、あえて避けていただけじゃないのか?」 そら恐ろしい発言をパスカルが正した。 「「「「……」」」」 一瞬沈黙が落ちた。 誰と聞かなくても、わかってしまう人間である。 ユウリに関して、この男の存在を語らずして何を語ると言うのだろう。自分達がよく知った人間で、これ以上にないほど頼りしている存在だ。 ユウリを親友と呼び、尊重し大切にしている男は、シモン・ド・ベルジュ、フランス貴族の末裔で資産家のプラチナブロンドに水色の瞳をした美男子で、この寮の代表であり学園で知らない人間がいないほどのスターだ。頭脳明晰、眉目秀麗を絵に描いたような人間でカリスマに溢れアシュレイに負けず劣らず信奉者が多い。現在はオニールと張る二大スターであり良きライバル関係にある。 ユウリとシモンは親友として、学園内で有名だ。 その傍らには互いがあることが当然であり、うっかり一人である時など隣にあるはずの人間はどうしたのかと聞いてしまうほどである。 何も困る必要などないはずである。仲良きことは美しきことと褒め称えればいい。 が、皆が口を紡ぐ理由がある。 それは、シモンのユウリに対する独占力を知っていたからだ。 本人はあれでも、なるべくそれを出さないようにしているらしいが誰が見ても明らかだった。学園内にいる時だけでなく、長期の休暇さえも離れる気がないようでシモンはフランスの家にユウリをよんだ。そして別荘で過ごしたらしいと後で話に聞いたのだが、その時ユウリが怪我をしていたことが、意外だった。シモンがついていてユウリに怪我なんて負わせるとは思わなかった。 まあ、ユウリはトラブルに巻き込まれる体質らしく、怪我が絶えない人間でもあるから、シモンがいくらついていても不可抗力というものもあるだろう。だが、その休暇中アシュレイも行動を共にしていたという事実が暴露され、彼がユウリの怪我を揶揄したおかげで三角関係だと当時噂が持ち切りだった。腹立たしいことだ。 その上、先日シモンはユウリと共に日本で夏期休暇を過ごしたらしい。その土産話も聞いている。大層有意義だったらしく、十分に満足したらしい。 「シモン、家族にユウリを紹介したし。妹の結婚相手にしようと企んでいるって噂が立つくらいだし。卒業しても疎遠になんてしないって計画がばればれだ。家族になってしまえば、こっちのものだろ」 パスカルが些か単調に告げた。 誰が現れても、ユウリの隣を渡す気など更々ないだろう事が伺える。 双子の妹のどちらかと結婚させようとは、今から、壮大な計画である。 「それなら、シモンがユウリのお姉さんと結婚しても家族になれるな」 ルパートの意見に、そうだなとテイラーが手を叩いた。 ユウリには三歳上の姉が一人いる。現在は日本の大学に行っているらしいのだが、美人であると人伝で聞こえてきているし、写真を見せてもらったことがあるためユウリとは造形はあまり似ていないが美人であると友人同士確認が取れていた。シモンとなら年齢的にも相応しいだろう。 例えば、これが恋人同士なら結婚という手がある。紙一枚のことだとはいえ、法律に守られ死ぬまで共にいることを約束する。 だが、友人の場合。そこには確かな約束などないのだ。離れていても友情は変わらないとはいえ、共に家庭を持ち離れた場所に住めば自然と疎遠になる。どれだけ深い友情があろうとも、優先順位は家族にある。 それが普通のことであるとは理解できていても、人間はあがくことが好きなのだ。それが実現可能なら、シモンという人間は迷わず実行に移すだろう。計画を練り、あらん限りの力と努力を費やして。 きっと、願いを叶えてしまう気がする。 それが、そら恐ろしいと友人達は思った。 「第一さ、シモンのユウリに対する態度は、ちょっと度が過ぎていると思うんだよ。今まで言わなかったけど!……あいつらが、お休みとか言いながら頬にキスしている姿を見た時は恥ずかしいやら照れるやら、困ったんだよ!再会の抱擁とかやっぱり頬にキスとかっ!俺でもな、こういうことは他人がいるところでやることじゃないって思ったぞ。……一応、控えているのかもしれんが、それでも人目はゼロじゃないんだって」 ああ、恥ずかしいとテイラーは顔の半分を覆った。 その激しい告白を受けて、ウラジーミルは唇を噛み肩を落とす。 「家族なら、まあ親愛の情を表すのは自然だし。これが恋人なら当然だと思う。一応あの二人は家族のように親しいってことで、いいとしない?」 ルパートが平和的解決を述べた。 「でも!こう言っちゃ、何だけど。ラブラブなんだよ、雰囲気がっ。甘いんだよ、漂って来るんだよ」 テイラーが叫んだ。 その光景を見た時の彼の衝撃が忍ばれるというものだ。 「テイラーの言いたいことはよーくわかるよ。僕も見た瞬間目線を反らしたから。ただ、人目は避けるべきだと助言はしておいた。それがどんなに友情の延長線にある親愛の情であっても、見る人間からすればいらぬ事を想像するからね。それに、寮内を見回してもあんな風にしている友人を僕は彼ら以外に見かけてはいないし。知らないだけかもしれないけど。……もし、これが親友と呼ばれる人間がするというのなら、オスカーとセーヤーズがしていてもおかしくないということになる。が、あの二人がしている姿は見たことがないし、想像だけれど決してしていないと思うんだ」 パスカルが眼鏡を外しハンカチでレンズを拭きつつ宣った。 その最後の例えに耳を傾けていた友人達は顔を強ばらせた。うっかり想像したらしく、口元がひきつっている。 本人達もそんな想像しないで下さい、気持ち悪いときっと言うに違いないことは必至だ。 親友だからといって、ナチュラルに頬にキスは決してしないのだ。 ユウリとシモンが特別なのである。 「シモンがすると様になるし、相手がユウリだから違和感ないんだよな。あの二人だから見ても許せるっていうか、こっちが恥ずかしくなるくらいさり気ないし絵になる……。やっぱりルックスって必要なんだな。うん」 テイラーは納得した。 人間、やはり顔は大事である。何事も許せる顔と許せない顔があるのだ。理不尽だろうが、何だろうが歴然とそういった事実は存在する。 「違和感ないのが一番問題なんだと思うけどね。まあ、この例題は相手の条件付けが必要不可欠になるから、ユウリとシモンしか該当者がいないことになる。……つまりだね、テイラー。慣れるしかないってことだよ。だって、シモンは止める気がないんだから」 パスカルは不敵に笑って断言した。 友人だったら慣れるしか道はないのだ。それに対して文句など言えようはずはない。別に間違っていることでもないのだ。 ただ、目撃した人間に衝撃を与えるだけである。 暖かい目で見守っている自分達ならそれでいいが、これをもし先ほど名前が上げられた人間が見たらショックを受けるだろう。それとも、自分もそれができるくらい親密になることを目指すだろうか。目指されたらたまったものではない。その結果巻き込まれるユウリも可哀想なら、騒動を見ているだけでは済まされない友人である自分達まで引き込まれ振り回されるだろう。 「あれでも、一応人目を気にしているらしいし。これ以上僕たちからは何も言えない」 生徒が大勢見守る中でおはよう、おやすみのキスはしないだろう。同じ階に住む自分達が偶に目撃することがあるくらいだ。再会などのキスは少々場所を選ばない傾向にあるが、これも一応はなるべく人がいない場所を選んでいるらしい。 もっとも、シモンのことだから牽制の意味も含んでいる可能性も捨てきれないが。 「ユウリって、不憫だなあ」 しみじみと実感がこもった台詞をルパートが呟いた。 一癖も二癖も持った人間に好かれやすい。取り巻くメンバーの顔を見回しても、学園を代表するほどの優秀で目立つ人間ばかりだ。 まるで、ユウリの持つ不思議で優しい雰囲気に触れたいと寄っていく様は花に群がる虫のようである。それにしてはその虫が極上過ぎるのだが。 多分、根底に癒されたいという思いを持つ者ほどユウリから離れられない。傍目から見れば、どこにも弱点や劣る点など見いだせない完璧な人間ほど、他者を心の底に入れることを拒む。自分の中にある弱い部分を見せることをその人間性ゆえ拒絶する。そんな厄介な人間にユウリは好意を抱かせるのだ。 ある意味、不憫である。 静かに過ごすことを望む人間が、騒動の中に放り込まれるのだから。 「せめて、俺達くらいは見守ってやろう」 ウラジーミルがらしくなく、真摯にまとめた。いつもの辛辣さはない。問題が問題なだけあって、ひねくれた言葉で取り繕う必要を感じなかったのだろう。 「そうだな、うん!」 「いろいろフォローも必要だろうしね」 テイラーもルパートも同意した。 「忘れているかもしれなけど、シモンのあれは一生変わらないと思うよ。だから、シモンと友人付き合いをずっと続けるつもりなら、覚悟が必要だよ。だって、学生のシモンであれなんだから。これ以上に成長して力を付けたシモンなんて今の比じゃないだろう」 パスカルの冷静過ぎる言葉に3人は冷や汗をかく。 想像するに、恐ろしい事態に思える。 同じフランス人であり、将来も同じ大学に進むもしれないパスカルにとってみれば必然の想像である。大学生のシモン。今より多忙かもしれないが行動力も増しているだろう。 シモンならユウリが呼べばフランスからイギリスまでどんなに多忙だろうが外せない用件があろうが、会いに行くだろう。 実は、シモンはユウリに「君がそうして欲しいといえば、僕は絶対にその日のうちにイギリスに来るよ」と約束している。 皆の想像はかなりの部分で当たっていた。 「それに、本当に家族になんてなった日には誰も止められないから」 シモンなら、確実にするような気がする。気だけではない。絶対やり遂げる。 ユウリ……。ごめん、僕達では止められない。そう心の中で友人達は謝った。あれを相手にするには分が悪すぎた。 ああいう男にロックオンされたら逃れる術はない。 まあ、ユウリ自身がシモンを生涯の親友だと思い大切にする分なら幸せだろうし、ユウリ自身が自覚しないうちに事を進めて当然の顔をして隣に居座るシモンを見てもユウリなら笑って許していそうである。 幸せな生涯であると言えなくもない、かもしれない。 ユウリの幸せを祈るよと、言ってパスカルが十字を切った。 厳かに、テイラーもウラジーミルもルパートも十字を切って友人のために祈ることにした。 長閑な午後のことである。 END |