「午後の紅茶は秘密の香り」1





「ユウリってモテるよな」
 
 そんな命知らずな台詞をのんびりとした口調で呟いたのは当然ながらマーク・テイラーだった。いつものメンバーの中で、少々人間関係の機微に疎い彼らしい。
 柔らかな光が届く平和な午後、先ほど友人であるユウリが差し入れてくれた紅茶を時折口にしながら、手にした本をめくっている人間や世間話をしている人間がテイラーの発言に手を止めた。
 その問題発言を通常咎める立場にある友人達は、だが呆れたようにテイラーを見ただけで仕方なさそうな顔をして、それでも口を開いた。
「テイラー……」
「だって、そう思うだろ?」
 眼鏡のつるを押し上げて困ったように名前を呼ぶジャック・パスカルに、テイラーは反論した。
「……ここで頷いていいものか、困るんだけど」
「お前の言い方が問題なんだよ。モテるってなんだ……」
 辛辣なイワン・ウラジーミルが突っ込む。
「悪かったな!どう言ったらわかりやすいか、これでも悩んだんだよ。でも、それが一番的確なんだ!変な意味じゃないぞっ」
 力説するテイラーにどう反応していいか一瞬友人達は悩んだ。それは、テイラーの主張が強ち間違っていないからだ。言い方は不味いが、その主旨は確かに正確に伝わる表現である。
「……わかった。わかった。まあ、その台詞を言ったのが今ここで良かったと誉めてあげるよ」
 ルパート・エミリが穏やかな顔で認めた。
 この場に当人とその親友がいないのだ。もしいたならば、いくらテイラーとて発言できなかっただろう。当人であるユウリ・フォーダムに悪いからではなく……多少は思うだろうが、ユウリなら許してくれるだろうという安心感がある……その親友であり彼らの頼りになる友人であるシモン・ド・ベルジュが怖いからである。彼がいたら恐ろしくてそんな問題発言ができるはずがないのだ。
「それ、誉めてないだろ」
「否、誉めているよ。この場には我々以外いないしね」
 こぼすテイラーにパスカルが苦笑しながら、その発言をした場所と話すことを選んだ人間を誉めた。
 この談話室には彼ら4人以外いなかった。テイラーとパスカルとウラジーミルとルパートというある意味これ以外のメンバーに聞かれたら一目散に噂となって寮内を駆けめぐることは必至である。否、このヴィクトリア寮だけでなく軽くシェークスピア寮まで届きやがて学園中に広がるだろう。そのくらい少し間違えば生徒達の関心を一手に引き寄せてしまうくらいの内容なのだ。こと、ユウリに関する、モテる発言は。
 ユウリ自身に問題がある訳ではなく、それを取り巻く人間関係がやたらと派手なのだ。それを見守るというか、静観している彼らも思うことは同じで決して興味がない訳ではない。無責任に噂を流すなんてことはしないし、余計なことも言わない。何かあったら協力したいと思い友人らしく心配しているくらいだ。
「それで、テイラーはユウリが誰にモテていると思うんだ?」
 この常々心の底で彼らが思っていた事実をこの際明らかにしてもいいだろうと、パスカルが質問した。
「ああ。そうだな。……振り返えれば、ヒューは絶対だと思うんだ」
 テイラーの言葉に皆一様に頷いた。これに異論はない。
「まあ、ユウリが転入してきた時からだからね」
 当時を思い出して懐かしそうにルパートが笑った。
 同室であったからこそ、今は亡きヒュー・アダムスがユウリに執着していたことをしっかりと見ていた。同室ではなくても、ユウリの生活面の面倒を見るように言われていたヒューは至るところでユウリの隣で世話を焼いていた。
 階代表になる時、ヒューとシモンと二人から同室になって欲しいと言われて困ったユウリが友人からの助言を受けどちらかを選ぶためにある問題を出したことは、懐かしい思い出の一つだ。
 もうこの世にいない友人は、確かにユウリのことを大切にしていた。マイケル・サンダースという例え恋人がいてもだ。
 その執着具合は、寮の人間取り分け同じ学年の人間はよく知っていた。
「そうそう、アレックスは弟みたいに可愛がっていたよな」
 ぽんと手を叩いてテイラーが記憶を引っぱり出してきた。
「昔からの知り合いらしいからね。子供の頃に遊んでもらった事があるってユウリは言っていたよ。なんでもレント伯爵とフォーダム子爵が友人だったんだって」
 情報通のルパートが付け加える。
 アレックス・レントはこの学園の校長の息子である。すでに卒業して大学生となっているが、ヴィクトリア寮の寮長であり、ユウリを本当の弟のように気にかけていた。卒業してからも顔を出しユウリと楽しそうに話していた姿を見かけたことがある。
 
「それを言うなら、ハーコートだろ。俺は今でも何でなのか不思議だ」
 心底理解ができないとウラジーミルが腕を組み首をひねった。
「……真珠を贈ってたもんな」
 テイラーも同じように太い首をひねった。
「結構見事な真珠だよ。それなりの玉だった」
 その場に居合わせたらしいルパートは断言した。わざわざヴィクトリア寮を訪れたハーコートは自分たちが見ている前でユウリに渡したのだ。総長であるハーコートが現れただけで、注目の的だったのによりによってそれまで親交のなかったはずのユウリに寮の部屋で小箱を渡したのだ。困惑しながら小箱を開けたユウリはそこに大粒の真珠を見て目を見開いていた。
「その結果付いた二つ名が『東洋の真珠』だろ。あれでユウリの名前だけは学園内で知られるようになった」
 ユウリは決して目立つ生徒ではない。だが、様々な理由からその名前、容姿が知られている。もちろん、ユウリ自身の魅力もあるのだが、それ以上に噂話にされることが多かった。
 ウラジーミルの発言にパスカルは乾いた笑みを浮かべたが、それでも事実を言葉にする。
「けど、ユウリにはあっていると思うよ。あの容姿や存在感にはぴったりだと思うし」
 イギリス人と日本人とのハーフであるユウリは黒絹のような髪に漆黒の瞳という東洋の顔立ちをしている。控えめで思いやりがある性格だが芯はしっかりしていて下級生に慕われている。澄んだ空気をまとったような存在感は彼の部屋を訪れてみるとよくわかる。心が癒されるのだ。
「そうだな」
「ああ」
 ルパートもテイラーも同意した。本人としては嬉しくないかもしれないが、それが皆の意見である。
「それで、あんまり名前を出したないけどアシュレイは?」
 パスカルが言いたくなさそうに名前を上げた。
「……」
 テイラーは嫌そうに顔を背けた。嫌なことでも思い出したのかもしれない。だが、ユウリのことを話題にしていて、彼を外すことは難しい。
 コリン・アシュレイ。中国まで広がるネットワークを持つと言われるアシュレイ商会の秘蔵っ子である。長身痩躯、長めの黒青髪に危険な光を携えた青灰色の瞳の青年だ。すでに卒業しているが同じ寮生であった彼は魔術師の異名を取るオカルトに造詣が深いと有名な人間だった。頭脳は確かに優秀で博識だが、その性格が甚だ問題だった。妖しい噂の耐えない彼は実に様々な問題に関与していた。それなのに、未だに学園に信奉者が耐えない悪魔の申し子である。
 まっとうな神経を持っていたならば、なるべく近づきたくない人間である。いくら人間がそういう暗い部分に惹かれるものだとはいえ、人を破滅に導く悪魔に魂は売りたくない。
 それなのに、ユウリは彼と親交があった。
 友好な関係であると言っていいとは思えないが、親しいと言えないこともない。他の人間からすれば格別の扱いを受けているように見えた。
 見えるだけで、それが事実であるとも、また言えない。
 なぜなら、彼がユウリを傷つけないとは言えないからだ。それがどういった理由であるからか彼らにははっきりとは説明はされていないが、現にアシュレイは皆が見ている前で見せしめのようにユウリを殴っている。
「……厄介な相手に気に入られているよな」
「ああいうのをきっと疫病神って言うんだ」
 呟くパスカルにウラジーミルが吐き捨てる。
 実力は認めていても、決して好意をもてる相手ではない。
「疫病神っていうか、悪魔そのものじゃない?人間の弱い部分につけ込むところといいさ。それでカリスマもあるからアシュレイの信奉者は卒業したにも関わらず変わらず崇拝してるよ」
 その影響でこれまた事件が起きている。それも一つだけではない。
 しみじみ厄介な人間である。
「……あのさ。オニールは?」
 暗い雰囲気になったその場をテイラーは変えた。
「オニールは絶対だと思うんだけど!」
 そして、少し力を込めて声を上げた。自信があるせいである。
 アーサー・オニールとは、シェークスピア寮に住む現在の総長である。燃えるような赤毛をした大女優の息子であり本人もすでに舞台デビューをしていて役者として名が売れたシモンと人気を二分する学園のスターである。
「否定のしようがないだろ、あれは」
「隠してないもんね。……ユウリに転寮を勧めるくらいだし」
 ウラジーミルはため息を付き、ルパートはうんうんと頷いた。
「劇で共演することになってからだよね。かなり、いきなりだった。気付いたら、ユウリ、ユウリ言ってた」
 明確な出来事を彼らは知らない。本人同士には何か親交を深めることがあったのかもしれないが、いきなりオニールがユウリに接近し転寮を勧めていると噂になったのだ。
 それまで、二人だけで話している場面などついぞ見たことがないから、どこからそんな噂が立ったのかと疑問に思ったものだ。
 その出来事が実はカテリナ女学院に出演することに繋がっていたと後で聞いた。「ハムレット」のオフィーリアを演じたユウリとガートルードを演じたオニールがその間に親しくなっても不思議ではないが、それにしてもオニールのユウリに対する傾倒は目に余るものがある。
 あれ以来、ユウリの隣を着々と狙っていると彼らの目には明らかだった。
「ユウリのオフィーリア綺麗だったもんな」
 ははと思い出したように笑ったテイラーにルパートが口の端を上げた。
「3年時の春祭でオフィーリアを演じた時からユウリにはファンが大勢いたからね。案外、オニールもファンだったんじゃない?」
 ルパートの推測は実はシモンがユウリに聞かせた推測と同じであった。そうとは知らないがルパートは続ける。
「春祭の後、結構大変だったんだから。全校生徒に可憐なオフィーリアを広めたもんだから、その時の写真が出回ってさ。回収するには人数が多すぎて諦めたけど、本人の預かり知らないところで写真が売られているなんて嬉しくないだろ?騒ぎを大きくしないように努めてたよ。シモンもがんばってたし。でも、今だから言えるけど、懸想する人間がいたんだよ。その時同室だったシモンがシャットアウトしていたし、絶えず隣にいて見張っていたから問題なく収束したけど。まあ、今でも実はっていう人間がいるかもしれないけど……」
 語尾を曖昧に誤魔化したルパートに、果敢にテイラーが問う。
「実は、知っているんじゃないのか?ルパートは事情通だし、シモンが放っておくとも思えない」
 テイラーにしては正しく鋭いつっこみである。
「テイラー。人間知らない方が身のためってことがあるんだよ」
 にっこりとルパートは彼らしくないほど圧力を感じる微笑みを浮かべた。テイラーはびくりと厳つい肩を揺らす。
「……わかった」
 そして、こくこくと頷く。ラグビー選手として有名な彼らしくないびくびくした態度だ。
 何か、聞いてはいけないことがあったのだ。知らない方が平和なのだ。テイラーはそう結論付けた。






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