「明日咲く月」大好きだよ




 

「やあ、臨也」
 これから行くとメールしておいたせいか、新羅が玄関前で立っていた。
「新羅。帝人君に会わせてもらえる?」
「うん。ちゃんとした顔だ。いいよ」
 
 
「じゃあ、席を外すから」
 新羅は帝人と臨也を残して居間を出ていった。向かいのソファに座る帝人に臨也は真剣な視線で向き合った。
「帝人君。聞いてほしいことがあるんだ。まず、一つ。帝人君の意志を無視して酷いことしてごめん。それだけは先に謝る」
「はい」
 帝人はこくりと頷く。
「それからもう一つ。帝人君が好きなんだ」
「僕も好きですよ?」
「知ってる。でも、そうじゃなくて、愛しているんだ」
「僕だって愛していますよ」
 帝人の返事は嘘ではないが、自分との温度差を感じる。
 なんのこだわりもなく「愛している」と口にできる時点で、特別な意味などないと言っている。わかっていても、前途は多難だ。
「ああ。なんて言ったらいいかな。たぶん、俺と帝人君は昔から互いが大好きで大切だから、それ以上って考えたことがないんだ。今回のことがあるまで、俺はそうだった。でも、自覚したんだ。俺はね、恋愛感情で、欲を含んだ意味で帝人君が好きだよ。愛している」
「……え?」
「だから、あんなことした。反面、そうじゃなければ、できなかった」
「臨也さんが?僕を?」
 ぽかんとして帝人が臨也を見上げた。
「そう。信じられない?」
「……信じられないというより、想像の範疇を越えてます。だって、臨也さんがさっき言った通り、大好きで大切で大事で、それ以上でもそれ以下でもないんです」
「うん。俺もそうだった。唯一なんだ。それに全く変わりない。恋愛感情が加わっただけで。欲もあるけど」
「……」
 帝人は臨也をただ見つめる。
「それから、ちょっと訂正しておかないといけないことがある。俺が後悔していることは、一つだけだ。帝人君からの一回だけのSOSを聞き逃した。帝人君、あの時、一度だけ俺に電話くれたよね?メッセージもなかったけど。俺は応えることができなかった。それだけだよ!」
「……母さんは?」
「沙耶香さんのお葬式に出られなかったことや、お別れが言えないかったことは残念だけど、それだけだよ。沙耶香さんの心残りは残される帝人君のことだけで、きっと最愛の夫である竜也さんと一緒に逝けたんだから沙耶香さん的には幸せだったんじゃないの?」
「母さんが?」
 帝人は驚いた顔で問い返した。
「沙耶香さんそういう人だよ?恋に生きる女性だった。聞いたことないかな?沙耶香さんと竜也さん、年齢が一回り以上は違うでしょ?いきなり十九歳の沙耶香さんが、運命の人を見つけたの!って目を輝かせて千歳さんに報告していた時はすごかったよ。すっごく年が離れていても、全然気にならなくて、包容力があっていいってさ」
「母さん、父さんのこと大好きでしたね、そういえば。ラブラブでした」
「仲がよかったよね。幸せそうだった」
「……そうか、そうだったんだ。母さん幸せに逝ったんですか」
 思いがけない事実に帝人は切なそうに笑った。
「俺はそう思っている。でさ、罪悪感があるって帝人君言ったよね。あるのは、罪悪感じゃない。ひたすら、後悔だったんだ。あの時から帝人君自分でいろいろ決めて人を頼ることをやめたから。自立しようとするのを止められないけど、寂しかったんだ。俺は帝人君の力になりたかった。守りたかった。これ以上傷つけたくなかった」
「臨也さんが大事にしてくれてるのは、知ってます」
 あれ以来、臨也は特に優しい。元々優しいけれど、過保護の域だ。
 
「帝人君は、俺にとって心が動くたった一人だ。俺はさ、昔からどうにも感情が乏しい。一見はそうは見えなくても、実際のところ立派な家族があっても、大事だなんて思えなかった。他人なんて尚更だ。価値とか見いだせなかった。仕事柄人間を観察しても、多少興味があっても、それだけだ。すぐに飽きる。俺は結構酷い人間だ。そんな姿なんて見せたくないし、話したくなかったけど、聞いて。昔、良心を母親のおなかの中に忘れてきたんだろうと言われたことがある。そのくらい、酷く歪んでいた。俺の答えは、忘れてきていないだ。俺の良心は人の形をしている。つまり、帝人君、君だ。その時はまだ沙耶香さんが生きていたから、二人いたことになるね」
「良心ですか?」
 不思議そうに帝人は首を傾げた。
「うん。つまりね、俺の心そのものなんだ。ただ、大事なんじゃない。好きなんじゃない。俺が持っている柔らかな心の裡が帝人君なんだよ。帝人君と一緒にいて初めて、俺は自分に心が宿る。普段は酷い人間なんだ」
「臨也さん」
 帝人の視線に臨也は笑顔で続ける。
「それと、沙耶香さんは姉だ。俺の育ての親でもある。つまり、保護者だ。で、帝人君はその反対に位置する。俺が守りたい人間だ。小さな頃は兄みたいなものだったけど、今は隣にいたい人間だ」
 ふっと息を吐いて臨也は真摯に帝人を見つめた。
「隣にいたいんだ。二度と帝人君の意志を無視しないから、一緒にいてもいい?離れたくないんだ。帝人君がいなくちゃ、俺は俺でなくなる」
 臨也の本気の告白を聞いていた帝人は、一度考えるように目を伏せもう一度あげると微笑んだ。
「僕、臨也さんがなにをしているか、少しだけ知っていますよ。池袋で臨也さん有名だし。噂とかもあるし、ネットの掲示板でも書かれているし。……臨也さんは僕に優しいから、僕がそれを実感することはありません。でも、臨也さん自身がいうように酷い人間でも歪んでいても、そういう噂を聞いても、臨也さんは臨也さんです。僕にとっては、昔と変わらず大切な臨也さんですよ」
「帝人君……」
 人間として酷く歪んでいると告白しても、認めてもらえる。それが嬉しい。
 元々帝人はそういう人間だ。自分や折原家やとにかく身内に甘い。
「恋愛感情はよくわかりませんが、臨也さんのことを好きで愛しているのは、本当です。仕方ありませんよね、元が家族のようなものだし。年の離れた兄弟のように育って今まで来て、友達っぽくはなれなかったけど、頼りになって優しくて格好良くて自慢で。僕にとって、一番大事な人です」
「……」
 帝人にそこまで言われて嬉しくないはずがない。まだ十四歳だ。恋愛感情がよくわからなくても不思議ではないし、現時点で帝人にそういった相手がいる訳でもないと証明されたも同然だった。さすがに、そういった相手がいたら嫉妬で狂う。
「そんな答えでいけませんか?」
「いいよ!十分だよ!」
 意気込んで臨也が即答すると、帝人はにこりと笑顔を見せた。今日始めて見る心からの笑顔だ。
「帝人君。大好きだよ」
 そう言って手を伸ばし臨也は帝人を抱きしめた。今日、初めて触れるため緊張しつつぎゅうと力を入れる。
「はい」
 帝人も臨也の腕の中で安堵したように頷いた。
 これが、二人の元々のスタンスなのだ。触れて当たり前。
 やっとそこに戻れて二人ともにほっとしていたのは秘密だ。
 
 
 
「話は終わった?」
「ああ」
 しばらくして、新羅とセルティが顔を出した。
「帝人君も、明るい顔だね。うん、よかった」
『もういいのか?帝人』
「ありがとうございます。新羅さん。セルティさんも大丈夫ですよ。ご心配おかけしました」
 帝人が頭を下げる。
『帝人が元気になったんならいい』
「はい。そうだ、お礼に今日は僕がご飯作りましょうか?」
『帝人が?なら、一緒にどうだ?』
「ええ!是非」
 帝人とセルティは笑いあう。笑顔に陰りがなくて、新羅も臨也もほっとしながらそれを見つめる。
「ふむ。臨也も食べていけば?」
「そうさせてもらうよ」
 新羅の誘いに、臨也は乗った。
 
 
 
 広いキッチンで料理をしている二人を横目に、新羅と臨也はソファに座って小声で会話していた。
「今回のことは感謝しているよ、新羅」
 真面目な顔をして臨也が言ので新羅は目を丸くした。
「珍しい」
「本気だから。今回ばかりは、新羅の助言がなかったら、同じことを繰り返した。だから、何かあった時、今度は俺が力になる。約束だ」
 臨也らしからぬ真剣で真面目な言葉だ。
「本当に、珍しい。帝人君のためなら臨也は普通の恋する男になるんだねー。いいんじゃないの?」
「……恋する男は馬鹿と相場が決まっている。まあ、恋していなくても帝人君のためなら何でもするよ。シズちゃんにだって頭ぐらい下げる」
「うーわー。天変地異の前触れ?いやいや、ごめん。茶化している訳じゃないよ」
 剣呑な視線を向けられて新羅が慌てて否定した。せっかく機嫌がいいのに、ナイフでも出されたらたまったものではない。第一帝人が可哀想だ。
「俺もセルティのためなら何でもするから、同類。そのくらいの覚悟がないと、無理だしね。感謝してくれるなら、いつか返してもらうからいいよ。それより、帝人君と一緒にもっとおいで。セルティが帝人君を気に入っててね。二人とも楽しそうなんだ」
「ああ、楽しそうだな」
 視線の先にはエプロンを付けて、料理をしている帝人とセルティの姿がある。とても、仲睦まじい。まるで、姉と弟だ。
「わかった。それは了解」
 記憶にある風景が思い浮かんで、臨也は仕方なさそうに笑った。
「あれを取り上げる権利は持たない」
 沙耶香と帝人が二人で仲良さそうに笑って料理やお菓子を作っている姿が今も記憶に刻まれている。そんな雰囲気を自分が嫉妬で奪う権利はない。
「ふーん。まあ、いいや」
 わかっているのかいないのか、新羅は穏やかな目でセルティを見つめながら流した。
 
 セルティと帝人がご飯が出来たと呼びに来るまで、恋に落ちた男たちは愛しい相手をずっと見つめていた。
 










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