「新羅!」 珍しく息を乱して、臨也が真剣な目で現れた。新羅は入り口で待っていて手で遮る。 「はいはい。ストップ」 「帝人君は?いるんだろ?」 「いるよ。寝ているよ。でも、中に入れる前に確かめたいことがある。臨也は何のために来たの?」 「何のためって……」 「謝りに来たの?迎えに来たの?」 「両方だよ。知ってるんだろ?俺がなにをしたのか。酷いことをした。謝っても許してもらえないことを。憎まれても、嫌われても仕方ないことをした……」 臨也はぐっと唇を噛みしめる。 「で、もし話を聞いてもらえなかったらどうするんだ?」 「……謝罪だけは聞いて欲しい。それに対して無視されてもいいから」 「あのさ、謝罪してどうするの?」 「どうするって、謝らないでいられる訳ないだろ?自分がなにをしたかわかってる!」 「だから、そうじゃなくて。臨也はどうしたいの?帝人君との関係を」 「……」 「それに、帝人君は君のことを憎んでも嫌ってもいないよ。ただ悲しんでいるだけだ。あの子はね、君を責める言葉なんて一言も発しなかった。自分が悪かったって言ってたよ、なんでかわかる?」 「え?どうして?」 臨也は信じられないと驚愕の表情を浮かべた。 当たり前だろう。被害者である強姦した相手が己自身が悪いと言ったのだ。 「いろいろあるけど。少し確認してもいい?」 「ああ」 「帝人君は、君のお姉さんの忘れ形見だ。そうだろ?」 「ああ」 「君は帝人君が大事だ。大切だ。で、亡くなったけどお姉さんも大事で大切だった」 「もちろん」 「さて、君はなぜ帝人君が大事なんだ?大切だったお姉さんが残した子供だから?お姉さんがいなくなって、君が大事だと思うたった一人だから?」 「……その理由を否定する要因はない。どれもこれも事実だから。昔から俺にとって特別は二人だけだった。心が動くのは沙耶香さんと帝人君だけだったんだ」 「まあ、そうだろうね。じゃあ、なんで君は帝人君に強姦なんてしたの?」 「……!」 新羅の直接的な表現に臨也がびくりと肩をふるわせた。 「帝人君が君と会わない方がいいって言ったんでしょ?帝人君、臨也の迷惑になりたくないって。自分を優先して仕事に支障をきたして欲しくないんだって」 臨也はため息をもらしながら頷く。 「俺は迷惑なんて思わないのに、仕事より帝人君の方が大事なのに、それはだめだって言う。一人で生きていく覚悟をしてる。友達も少しできたって。俺の知り合いも、友達の知人友人もいるって。俺からは離れても、シズちゃんとは会うってことだ。帝人君、シズちゃんと知り合って二人で映画に出かけたりしているんだから」 「俺は切り捨てて!なんで他人ならいい?」 臨也は叫ぶ。 「なんで、離れないといけない?守りたいって思った相手から、必要ないなんて言われたくない!聞きたくない!そんなの認められない!」 ほとんど絶叫だった。心からの叫びだった。 臨也は気持ちのままにどんと壁を殴る。 「臨也。臨也の気持ちはわかるけど、もう一度聞く。なんで、強姦なんてしたの?」 「……」 「それがわかるまで、会わせる訳にはいかないよ。帝人君は君が謝ったら簡単に許すだろう。怒ってる訳じゃないからね。でも、ここでちゃんとわかっていないと、今後同じことを繰り返すだけだよ」 新羅は臨也を落ち着かせるように、あえて平坦に話す。 「まあ、一応友人だから、ヒント。ふつうはさ、親でも兄弟でも言い争ったら叩くとか殴るとかだよ。男同士なら拳で語るもんだろ?君が帝人君を殴るなんて地球が反転してもないけどさ。それを、無理矢理手を出したんだ。いい加減自分の気持ちと向き合えば?」 「……」 無言の臨也に新羅は更に付け加える。 「それと。君、今回ちゃんと帝人君に自分の気持ちを話さないと多大なる誤解を生むよ?友人特典で、内緒だけど教えてあげるよ。帝人君、君が大事にしてくれるのは後悔と罪悪感からだと思ってる。お姉さんの代わりだって思ってる。ついでに、君はいつか好きな女性ができて結婚して子供が産まれ家庭が出来る。未来の幸せがある。だから自分のことばかり考えて欲しくないんだって。どう?焦るだろ?」 「……なに、それ」 まさに絶句と臨也は目を丸くした。 「臨也はさ、君が考えているより、ずっとずっと帝人君から愛されているんだよ。ただ幸せを祈るくらいに。自分のことは後回しにして」 「だから、ちゃんと考えて出直しておいで」 新羅にそう言われて臨也はいったん帰った。 部屋に戻り、ソファにどかりと座ると、臨也は思考する。 なぜ、あんなことをしたのか。 今まで大切にしてきた存在に。 酷い一方的な性的暴力だ。イヤだと言う帝人を押さえつけて自分の欲を押しつけた。 きっかけは、帝人が自分と会わないと言ったことだ。 迷惑になりたくないなんて、納得できない理由で。どうしてそんなことを考えたのか。直接的原因は紀田正臣だ。帝人の大切な幼なじみ。知らなかったから、駒のようにあつかった。自分を頼りになる大人だと思わせて手ひどく裏切ってみたら、どうなるか。いつものように、人間観察のつもりだった。でも、帝人は紀田正臣の前に立ちふさがった。 醜い自分を知られた。帝人の友達を傷つけた。 どんな目で見られるだろうと恐れた。嫌悪の瞳で見られたら絶えられない。 でも、帝人は助けてくれて、ありがとうと言った。 そして、仕事の邪魔になるかもしれないと危惧した。情報屋なんていう後ろ暗い仕事だ。確かに、信用第一で他言無用で時間が大事だ。 けれど、自分にとって帝人より大事なものなんてない。それが全く伝わっていない。 後悔なんて何度もした。あんなに悔いたことない。 たった一度の助けてという声を聞き逃したおかげで、帝人は臨也を頼ることをしなくなった。臨也を切り捨てて、一人で生きていくのだという。 友達は頼るのに、なぜ自分が駄目なのだ。 シズちゃんとは映画にいったりつきあうのに、それをやめようとは思わないのに。 どうして、自分ではいけないのだろう。なぜ、隣にいるのが己ではないのか。 感情が爆破するというより、何かが焼き切れた。 大事に大事にしてきたものを自分で壊す。まるで自傷行為だ。 沙耶香は小さな頃から己を育ててくれた姉だ。大切に決まっていた。その姉が生んだ帝人に出会った時、嬉しかったことを覚えている。それから、ずっと一緒だ。 沙耶香と帝人は別だ。沙耶香の代わりなのでは決してない。 どんなに大切でも姉は姉だ。年の離れた竜也と結婚した時は心から祝福した。沙耶香が幸せそうに笑っていて、よかったと思えた。 どんなに沙耶香と言い争うとも、意見が食い違っても、自分を見限ると嫌いだと言われても、手を挙げたりなんてできないし、まして激情を押しつけて奪ったりなどしない。考えられない。 それなら、なぜ帝人にはそうしてしまったのか。 今までこんなに自分を押さえられなかったことはない。それなりに理性はあったはずだ。 自分の欲を押しつけた帝人。細くて小さくて、白くて。涙に濡れて自分を見上げる潤んだ瞳。白い肌に赤い跡が浮かんで、悲鳴のような甘い声が耳に届くと、もう止められなかった。 自分にこんな欲があったなんて。 帝人を好きだ。大切だ。この世界で自分が心を傾けるたった一人だ。 愛している。愛している。 とっくの昔から愛していた。ただ、こんな醜い欲を込みで愛しているとは知らなかった。自覚がないせいで、帝人を深く傷つけた。 自分は馬鹿だ。 今頃気付くなんて、大馬鹿だ。 これでは、帝人に伝わるはずがない。自分の心を隠していて、わかって欲しいなんて通る訳がない。離れていかないで欲しい。ずっと必要とされたい。できるなら隣にいたい。兄ではなく、最愛の人として。 帝人の方が大人だ。 新羅は言った。あんな酷いことをしたのに、憎まず嫌わず、ただ悲しむと。 謝ったら簡単に許すだろうと。 伝えなければならない、自分は。嘘偽りなく、心のままを。 そうでなくては、頑なな帝人の心まで届かない。 臨也は立ち上がった。 |