「明日咲く月」僕は一人でいいです




 

「朝早くからすみません」
「いいよ、そんなこと」
 薄い上着だけはおり、ボタンが飛んだシャツをかき寄せ、その隙間から赤い鬱血の跡が見える姿は、どこからどうみても強姦された有様だった。どことなく濡れている唇に、色香が漂う。
 今から行ってもいいでしょうかと連絡をもらったのは早朝のこと。だが、帝人が新羅を頼る状況は緊急の場合だけだ。今新宿にいて、そこから歩いて来るというのでセルティに迎えにいってもらったが、本当によかった。こんな有様の子供を一人歩かせては、早朝とはいえ悪い奴らに目を付けられる。
「セルティ!」
『ああ。わかってる』
「セルティが案内するから、先にシャワー浴びておいで。その後話を聞くから」
『帝人。こっちだ』
 帝人は素直にセルティに付いて行く。その間に新羅は珈琲をいれることにした。
 

 
 帝人はシャワーを浴びてセルティのパジャマを借りて居間に現れた。
「まあ、座って」
「はい」
 ゆっくりソファに腰を下ろした帝人にミルクのたっぷり入った珈琲を勧める。帝人はそれを一口飲んで息を吐いた。新羅はそれを見て、口を開く。
「こんなことされて、帝人君がそんな顔している相手なんて一人しかいないんだけど」
 強姦されても、表面は平気な顔をしてみせる。
 ショックであろうに、傷ついた顔一つない。これは、どんなことをされても憎んだり嫌ったりできない相手だ。だって、帝人はすでに許している。
「なんだって、こんなことに?」
 臨也がどれだけ帝人を大切にしているか新羅は知っている。
 それなに、だ。この状況は明らかに異変だ。
「僕がいけないんです」
「いやいや、それは違うだろ?」
 帝人は間違いなく被害者だ。どんなやり取りがあったとしても、強姦は犯罪だ。
「僕、臨也さんと会わない方がいいじゃないかって言ったから」
「どうしてそう思ったの?」
「……僕、臨也さんの迷惑になりたくなかったんです」
「迷惑?」
 臨也が迷惑をかけることは多々あるが、帝人がかけるなんて、あるだろうか?
「臨也さん、僕に甘いし、何でも聞こうとします」
「そりゃ、かわいがっているから。見ていればわかるよ」
「でも、それで仕事に支障をきたしてはいけないと思うし、してほしくありません。でも、臨也さんは僕を優先します。これは自意識過剰じゃなくて、事実なんです。折原のみなさんはそういう傾向にあるんですけど」
「ああ……。うん。そうだね」
「臨也さんは、ずっと後悔しているんです。僕の両親が亡くなった時に間に合わなかったことを。その時、千歳さん、臨也さんのお母さんですけど、どんなに連絡を取ろうとしても取れなくて、仕事の関係で携帯の充電が切れて、臨也さんはその事実を知らなかった。知った時はもう葬式も全部終わった後で。僕の母親は臨也さんにとって大切な姉でした。死に際どころか、死に顔さえ見られず、線香をあげただけでした。残された僕に臨也さんは謝りました。ごめんと。遅くなって、ごめん。駆けつけられなくてごめんと」
 心痛な面もちで帝人は語る。
「臨也がねえ。人間らしいところあるんだなー」
「その時、実はそれまで会ったことがなかった僕の祖父に当たる人が来て、いきなり引き取ると言い出していたんです。断ったら弁護士まで出てきて、困っていたのを臨也さんがいろいろ調べて追い返してくれました。遅くなったとはいっても、十分に助けてくれました」
「そんなことまであったんだ。帝人君苦労したね」
「いいえ。皆よくしてくれましたから。けれど、臨也さんにはそれ以来罪悪感があるんです」
「罪悪感?」
 新羅が首を傾げた。
 臨也に罪悪感とは、まったくもって、似合わない。
「はい。遅くなったことをずっと悔いて。たった一人残された僕を何かと大事にしてくれます。ほんとに、あれなんですけど、母と僕をずっと臨也さんは特別に大事にしてくれていました」
「うん、知ってるから」
 自分で言うのもあれだと思う帝人の気持ちを汲んで新羅が頷く。
「新羅さんは看て下さったからご存じですけど、やっぱり事故の後遺症とかあって。車に乗るのもだめだし、事故現場を見るとパニックを起こすし。それは仕方ないことで、自分で今後乗り越えていくしかないことです。でも、臨也さんは、全部自分が悪いと思っています。間に合わなかったことを悔いて悔いて、謝るんです。臨也さんが悪いんじゃありません。臨也さんの方が、母とのお別れができなくて、つらかったと思います」
「……うーん」
 新羅は微妙に納得できない。
 あの臨也が?長い間悪友というか腐れ縁というか付き合いがあるが、そんな殊勝な人間だっただろうか。帝人に関しては特別な存在であると認識はできているが。否、帝人だけと言った方がいい。
「臨也さんは僕しかいないんだと思っています。でも、そんなことないんです。臨也さんはまだ若いけど、これから好きな女性が現れて、結婚して子供が生まれ家族が出来ます。そういう幸せが未来にあります。僕のことばかりを気にしていて欲しくありません」
「臨也が結婚ねー。想像できないけど。でも、それなら帝人君だって、そうだろ?」
「僕?……僕は、無理ですね。いえ、いりません」
「なんで?」
 きっぱりとした帝人の言い方に新羅は驚く。
「僕と同じような人間はもうたくさんですから。僕はこの間両親を事故で亡くしました。そして、母も両親を事故で亡くしました。母は高校一年生で、僕は中学二年のことです。その度に折原家にお世話になりました。もし僕が家族を作っても、同じように交通事故にあわないなんて保証どこにもありません。そして幼い子供を残すのかと思うと……。僕は不幸せだとは思わないし、母も幸せだったと思います。けど、もうたくさんなんです。ああ、ただの偶然だと言って慰めてくれなくてもいいです。僕が、だめなだけですから」
「……帝人君。もし、好きな人が現れても?」
「結婚しません。気持ちを伝えることもしません。僕は一人でいいです」
「よくないでしょ?」
「僕、これ以上折原家にも迷惑をかけたくないんです。実際、今僕の親類というか頼ることのできるところは折原家しかありません。父方は先日のことがありましたし。母は両親がいなくて折原家に引き取られたくらいです。もし、僕が死んで子供が残された場合、妻となる人の実家が引き取ってくれない限り、折原家がまた面倒をみるといってくれるでしょう。千歳さん、今でも僕のこと孫だっていってかわいがってくれますから。保護者が必要な子供を引き取る奇特な家庭、そういませんよ?」
 帝人はそういって淡く微笑した。
「帝人君。俺がそれにどうこういう事はできないよ。所詮、他人だから。でも、できるなら未来の可能性を捨てないでいて欲しいな。きっと、それは折原家の人たちだって同じだ。臨也だって、そうだろう」
「臨也さんにも、妹のクルちゃんもマイちゃんも未来がありますよ?結婚して子供がきて、家族が増えて、折原家はそれだけでいっぱいです。僕の心配ばかりしていては、いけません」
「帝人君の幸せだって、一緒だと思うよ?」
「……。ええ。でもね、千歳さんは母さんの分まで愛情を注ごうとしてくれているのがわかりますし、臨也さんも同じように姉の分まで、それ以上に姉が残した僕を守ろうとしてくれます。でも、いいんですよ、そんなことしなくても。こんな事をいうと申し訳ないですけど、ある意味、自己満足なんです。僕は、愛情を向けてもらえて、感謝こそすれ文句をいったら罰が当たります。でもね、身代わりは身代わりなんです。だから、本来向ける人へ向けるべきなんですよ」
「……」
 違うと新羅がいっても全く意味はない。説得力もない。それに、本心は当人しかわからないことだ。ついでに、いろいろな感情が交差し過ぎている。誰かに向ける感情が代わりでないと誰が保証できるだろう。まして、状況が状況だ。複雑に絡まって感情と事情は他人には解けない。第三者だからこそわかる、多少の助言しか。
「わかったよ。けど、最後に。じゃあ、なんで臨也は帝人君にこんなことしたんだい?」
 新羅は質問を投げかけた。帝人は目を瞬いて、しばし考えて答えた。
「臨也さん、平和島さんのことを気にしてました。自分は必要ないのか?切り捨てるのか?なのに、ほかの人は頼るのか、遊ぶのかと問いつめられて。僕はそんなことがいいたかった訳ではないけど、誤解を受けました。たぶん、臨也さんは僕がいらなくなったと勘違いしたんです。そんなことないのに。怒っていました。感情が振り切れたみたいで」
「あー、うん。感情が振り切れたんだね」
 言い争いがあっても、普通強姦はしないだろう。
 臨也が帝人に手をあげるなんて、想像もできないしあり得ないが、ふつうはひっぱたくとか、殴るとかではないだろうか。そこで手を出してしまった臨也の気持ちを帝人に理解しろといっても難しい。自分は臨也ではないから、確実性はない。ただおおよそは想像が付く。
 もちろん、そこに存在する、ある種の感情は本人が伝えなければならないから、これ以上新羅は帝人を誘導はしない。
「じゃあ、しばらく休んでおいで。セルティ」
 黙って帝人の隣に座っていたセルティを呼んで新羅は即した。
『帝人、こっちに』
 セルティが帝人をひっぱって自分の部屋に連れていく。そして布団を引いて休ませた。疲れてたのか、すぐに帝人は眠った。セルティはそっと離れて、居間まで行く。


『新羅!』
 居間で待っていた新羅にセルティは詰め寄る。
「ああ、わかってるよ、セルティ。そのうち臨也も来るだろう。けど、せっかく眠っている帝人君に会わせる気はないよ。だって、ただ会わせても状況はよくならないからね」
『ああ。帝人かなり疲れていたみたいだ。顔色が悪い』
「うん。魘されないか、みていてくれる?大丈夫だとは思うけど、事故の後遺症がこういう所でも出るかもしれないから」
『わかった』
「僕は臨也が来たら相手をするから」
 新羅はため息を付く。時間をおかずして臨也はここに来るだろう。









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