「明日咲く月」僕の親友なんです




 

 紀田正臣は、路上で立ちつくしていた。
 
 どんなに電話しても、臨也とは繋がらない。
 どうしたらいい?
 でも、沙樹が。沙樹が……。
 あいつらに浚われて。
 ブルースクウェアのトップ泉井を名乗る男から正臣の恋人である沙樹を浚ったと告げられた。時間内にたった一人で指定する場所まで来なければ、警察に言ったら、沙樹がどうなるかと脅迫された。
 このまま自分が乗り込んでも、沙樹が無事に帰ってくる保証なんてなかった。すでに、電話口で骨の折れるような嫌な音を聞いた。
 沙樹は、なにをされているのか。酷い目にあっていることだけは確実で、自分が行かなければもっと、残酷な目にあうだろう。
 でも。足が動かない。
 動いてくれない。なんでだ?なんで?
 ああ……。
 これは、恐怖だ。
 その時、正臣の頭に幼なじみの顔が浮かんだ。幼くて優しくて、天然な帝人。
 帝人の声を聞いたなら勇気が出るだろうか?自分の足は前に進むだろうか?
 正臣は持っていた携帯で、電話をかけた。
 やがて、幼なじみの声が耳元に響いた。 
 
 
 
 帝人は夕食を終えて直後のお茶を飲んでいた。
 リビングで千歳と舞流と九瑠璃と一緒に、テレビを見ながら団らんをしていた。まだ惟在は帰宅していないから夕飯は別で残してある。
 明日の予定や、テレビ番組の内容などを舞流が話していた。九瑠璃もその隣で単語だけで同意している。それに千歳と帝人が頷き、返事をしていた、そんな時、帝人の携帯が鳴った。表示された名前は正臣だった。帝人は立ち上がってキッチンの方へと移動しながら出た。
 
「もしもし?え。正臣?どうしたの?……うん。どこがいいの?何でもない?……嘘言わないですよ。そんなことでごまかせると思ってるの?……うん。それで?……」
 何かあったのは、わかるが正臣は話そうとしない。
 勘が告げる。おかしい。
「ちゃっちゃと吐く!……うん、で?…………そう。僕に掛けるくらいなの?だって、僕は直接何かしてあげられる訳じゃないもん」
 正臣が黄巾族のことで悩んでいる程度なら相談には乗れても、帝人は体力がないから喧嘩の助けにはならない。それを正臣も理解している。それなのに、せっぱ詰まったように、今の現状を途切れがちに話す正臣に、帝人はことの重大さに気付く。
「で?いまどこ?うん、それで?……わかった。すぐ行く」
 帝人は携帯をさっさと切った。
 今すぐ駆けつけなければ。正臣のところまで。単語をつなげて事情を説明する正臣の精神状態は、よくない。すべてわかってはいないが自分が出来ることがあるなら、行く。
 帝人は二階の自室に駆け込んで上着と財布をもって階下に降りてくる。
「ごめん、千歳さん。出かけてくる」
 そう言いながら帝人は玄関へと向かい靴を履く。千歳は当然付いてきて、帝人に問う。
「え?今から?」
「うん。友達が呼んでいるから。ごめん」
「でも、遅いわよ!」
 すでに時刻は9時を過ぎたところだ。中学生が出歩いていい時間ではない。
「わかってるんだけど、幼なじみが、正臣が。困ってるんだ」
 帝人はごめんなさいと言いながら、扉を開けて駆けていく。
「帝人君!」
 千歳の声が玄関に空しく響く。
 
 そして、千歳がしたことは臨也に連絡を取ることだった。あれ以来、臨也は千歳の電話は確実に取る。帝人に何かあった場合があるからだ。
「ああ。臨也?」
『帝人君になにかあったの?』
 臨也の返事も率直だった。それしかあり得ないとわかっているのだ。
「そうよ。帝人君が、いきなり出かけちゃったのよ!こんな時間に」
『なんで?』
「友達が、幼なじみが困っているんですって。携帯に電話かかってきたみたいで、慌てて出ていったもの。それで、臨也迎えに行って」
『わかった。この時間の池袋は危ない。帝人君一人なんて特にね。それで、友達の名前はわかるの?』
「正臣っていってたわ」
『了解。これから追いかける』
 そういって臨也は通話を切った。
 
 
 
「紀田君」
「臨也さん?」
 いつもと同じ黒いコートを着て折原臨也が立っていた。あれほど電話しても繋がらなかった臨也がだ。
 正臣はうずくまっている状態で見上げた。
「君、こんなところでなにをしているの?」
「沙樹が!臨也さん、沙樹が!ブルースクウェアのヤツに浚われて!」
 伝えたかったことを、堰を切ったように正臣は叫んだ。
「それで?」
「だから!俺、呼び出されて。警察に言うな、一人で来いって!」
「うん。それで、なんで紀田君はここにいるの?」
「……」
「何度も俺に電話したみたいだけど。沙樹ちゃんが浚われて、きみはなにをしているの?」
「……でも、俺。このままじゃ、沙樹が」
 行かなくてはと思っても足がすくんで動かないのだ。怖い。心底、恐ろしい。
 なんで、こんなことになったのか?自分が驕っていたからだ。わかっている。黄巾族の将軍なんて呼ばれていい気になっていたのだ。ブルースクウェアとの抗争も勝手に勝てると思っていた。それが招いたことだ。わかっている。
 
「で、困った君は最後に誰へ電話したの?」
「……え?」
「ほんとうに、ね。あの正臣が、紀田君なんてさ。俺の情報も穴だらけだな」
 昔帝人の友達に正臣という名前があった。沙耶香もよく知っていて仲がいいのだとわかった。そして、今日聞いた名前も正臣だ。池袋にいるのなら、再会していてもおかしくない。
 だからこそ、臨也には帝人が向かっている場所がわかったのだ。
 今の状況から、紀田正臣がいる場所で待っていれば、帝人は自ずと現れるだろう。
 もちろん、それだけではなく帝人の携帯のGPSからも居場所は特定できる。臨也は、あの時から何かあった時帝人を助けるために、いろいろ手を高じていた。

「なにを言って?」
 正臣には自己完結している臨也が何を言いたいかさっぱりわからなかった。
「困った紀田君は大事な幼なじみに電話したんだよね?」
「どうして、知っているんですか?」
 自分の弱さが全部、ばれているのか?正臣は臨也を驚愕の目で見上げた。
「まったく、なんで帝人君を呼んでくれるかな?紀田君。許し難いよ」
「……は?帝人を知って?」
 正臣の交友関係がばれてるというより、臨也の言い方は帝人自身を知っているものだ。
「たとえ知っていても、紀田君には関係ないね」
 臨也は吐き捨てる。
 なんだ?何なんだ?
 今までこれほど臨也が自分に対して、敵意や嫌悪を向けてきたことはなかった。胡散くさくて理解できない人間だったが、黄巾族に有益な情報を流してくれた。
 だが、違う。
 沙樹が危機だと訴えても、なにも感じていないそぶりだった。自分が不甲斐ないからだと思っていたし、実際その通りなのだが、それにしては臨也はまったく関心がないようだった。それに、驚いていなかった。沙樹が浚われたと正臣が訴えても。まるで、それがどうした?と言わんばかりの冷徹な態度だった。
 つまり。臨也はこの状況を知っていた。が、電話には出なかった。
 正臣は理解した。
「臨也さん、あんた……」
 その時、幼なじみの声が響いた。
 
 
 帝人がその場に付くと。
 うずくまっている正臣とその側に立っている臨也が目に入った。決して友好的な雰囲気は欠片もない。緊迫した空気がある。どこか唖然と困惑と驚愕が混じった目で臨也を見上げる正臣と、冷えた目で見下ろす臨也。
 
 
「臨也さん?」
 なぜ、臨也がいるのか。正臣と一緒にいて、話しているのか。どういう角度から見ても二人は今日初めて会った人間には見えない。
「帝人君。まったく、こんな時間になにをしているの?心配するだろう?」
 臨也は帝人へ視線を向けると、もう帝人しか見えていないといように、近寄ってきた。
「え?あの、でも」
「俺は迎えに来たんだよ。帝人君を」
「ええ?」
「あのね、俺はあの人から電話が来て、帝人君を迎えに行って来いってわざわざ頼まれたの。いきなり出かけるから心配して当然だろ?」
「……ごめんなさい」
 帝人は項垂れて謝った。
「ほら、帰るよ」
 臨也が手を伸ばすが、帝人はその手を取れなかった。ぎゅうと唇を噛みしめて、正臣の方へと足を進める。そして、正臣の前に立ち、臨也に向かって告げた。
「正臣は僕の幼なじみで親友なんです。だから見捨てることなんてできません」
「……帝人」
 正臣は、帝人を見上げた。
「僕だけ帰ることは出来ません」
 両手を広げて正臣を守るように帝人は真剣な瞳で臨也を見つめた。
 きっぱりとした態度だが、どこか苦しげで切なそうに瞳を揺らす。
 
 帝人には、わかってしまったことがある。
 正臣が、頭脳のようなといった相手は臨也だ。考えてくる人、信用がおける人、と言っていた人だ。
 黄巾族の将軍をしていても、正臣は帝人と同じ中学生だ。まとめるのは大変だろう。臨也は頭がいい。それを帝人は知っている。そして、臨也が帝人に決して語っていないことも、帝人は知っていた。池袋にいれば、わかることがあるのだ。
 
 何度携帯にかけても繋がらないのだと正臣は嘆いていた。それなのに、臨也は自分を迎えにやってきた。
 もし、臨也に用事があって電話へ出られなかったとして、正臣の電話は取れなくても千歳の電話は取ったのだ。自分が関係しているから。そして、仕事を放って迎えに着た。
 もし、何もないのに正臣の電話を無視していた場合、来るつもりなどなかったのに、自分のためにここに来たのだ。正臣を相手にはしないで、帰ろうと自分に手を伸ばす。
 なんて、ことだろう。
 仕事があってもなくても、正臣が困っていても助けもせず、自分を優先する。嬉しいのか、嬉しくないのか、わからない。
 
 一方臨也の方も帝人が何かに気づいてことを理解していた。
 長いつきあいだ、表情や行動でわかる。臨也の手を取らず、紀田正臣をかばっていることからも明らかだ。親友を大切にする子供だけれど、まるで自分から守るように立ちふさがっている。つまり、臨也が紀田正臣に害なす者であると薄々認識しているのだ。
 ああ。帝人にこんな顔させたくない。自分がさせないと決めたのに。

「臨也さん……」
 帝人が臨也を呼ぶ声に滲む色が酷く心へ響く。
「正臣は僕の幼なじみで親友です。だから、これ以上手を出さないで下さい」
 それは決意。そして、臨也のやったことを理解したという証。
「……わかった。今後なにをもしない。誓う」
 臨也は手をあげて降参と言った。
「で、行こうか」
「え?」
「……へ?」
 目を瞬く、二人に臨也は言い放つ。
「沙樹ちゃんを助けるんだろ?」
「ああ。まさか手を貸してくれるのか?」
 正臣が、信じられないと臨也を見上げた。
「貸すさ。帝人君の幼なじみだから」
「それって、どういう?」
 先ほどからのやりとりは明らかにおかしい。臨也と帝人は随分親しい。それに、臨也の帝人に対する態度はそれ以上のものがある。まるで家族のような。確実に、自分が知らないことがある。二人の関係は何だろう?
「今はどうでもいいだろう、そんなこと。行くよ」
「わかった!」
「僕も行く」
「だめ。危ないから」
「行く。僕じゃ役に立たないけど、でも!」
 頑固な帝人に臨也が折れたら駄目だろと自身に言い聞かせているところへ、携帯が鳴る。臨也がそれを取り内容を聞いて表情を変えた。
「ドタチン達が、ブルースクウェアを裏切って、沙樹ちゃんを助けたって」
「……え?門田さんたちが?」
 あまりの驚きで正臣は目を見開き、口をぽかんとあけた。
「そう。……ああ、ドタチン?今、どこに向かってる?うん、ああ、そう。わかった。今から紀田君が向かうから」
 臨也は正臣を放って、すぐにそのままどこかへ電話した。誰と話しているか会話からも明らかだった。
「今、来良総合病院へ向かってるって。行くよ」
 臨也は携帯をぱたんと閉じて、正臣に言う。
「ああ……」
 ふらりと正臣は立ち上がる。帝人もなんとなく事情を察して無言を通す。
 しばらく歩き、表通りへと出てすぐに手を上げ臨也はタクシーを捕まえた。
「ほら、紀田君」
 臨也は正臣を後部座席へと押し込めて、運転手へ『来良総合病院』といい紙幣を握らせた。
 自分だけ押し込まれて離れた臨也に、え?と驚いた顔をした正臣に「俺たちは後で行くから」と告げてドアを閉めた。
 タクシーを見送って、さてと臨也は帝人に振り返る。
「帝人君。行くつもりなら、家に電話!」
「はい!」
 帝人は急いで千歳に電話をする。臨也に会ったこと、一緒にいることもう少し遅くなること、しっかりと謝って許してもらった。
 その間も臨也はどこかへと電話をしている。やがて帝人が電話を終わらせて臨也を見上げると、臨也も電話を切った。
「いいって?」
「はい。謝って許してもらいました」
「うん。ちゃんと送るから、大丈夫だよ。そう言ってたでしょ?送ってもらって来いって」
「……はい」
「じゃあ、歩いて行こう」
「はい」
 車に乗りたくなり帝人のために、歩くことを選択してくれている。いつも通りの優しい臨也と並んで帝人は歩く。池袋の町は夜でもネオンで明るい。繁華街は人も多く喧噪に包まれている。こんな時間に歩くなんてほとんど経験がない帝人である。
 来良総合病院への道はわからないので臨也に任せ、タクシーとの差を埋めるため歩みを早める。
 
 やがて、病院へ着いた。帝人は急いで暗い廊下を早歩きする。
「正臣?」
 廊下にある待合い椅子に腰掛けて、ぼんやりと虚空を見つめている正臣を発見した。
「帝人……!」
「沙樹さんは?」
「まだ、処置中」
「そっか」
「……臨也さんは?」
「先に病院へ話しをしてくるって」
 臨也はここに来る間にもどこかへ何件か電話している。病院に話しとは、多分上手に取りはからってもらうことだろう。それくらい帝人にもわかる。
「……そう、か」
 正臣のため息が静寂な院内に重く響く。
「ああ。帝人か?」
 そこへ、門田がやってきた。
「門田さん。こんばんは」
 どんな時も挨拶は欠かさない帝人らしく頭を下げた。
「ああ、こんな場所で会っても、ろくに話しもできねえな」
 また、会ったら話そうといっていた約束はまだ果たされていない。門田は小さな笑みを浮かべ帝人の頭を撫でてから正臣に向き直った。
「……紀田。俺たちは、もう行く。なにかあったら連絡寄越せ」
「ありがとうございます」
 正臣は立ち上がり、頭を深く下げて心からお礼をいった。
「いいさ。じゃあな」
 門田は颯爽と背を向けて去っていった。気持ちのいい姿だった。
「……門田さんが助けてくれなかたら、間に合わなかったかもしれないんだ」
 真っ直ぐ門田が消えた方向を見つめながら正臣は淡々と告げた。
「うん」
「……よかった。本当に、良かった」
「……うん」
「俺、自分が情けなくて、怖くて、後ろめたくて、狡くて……、沙樹を助けにいけなかった。こんなんじゃ、沙樹に嫌われて責められても仕方ねえ。あわせる顔がねえ。怖い、怖いさ、会うのが。まったく、弱くてイヤになる。でも、生きていてくれて嬉しいんだ」
 顔を両手で覆うように正臣は俯く。
「うん。どんなんでもいいよ。沙樹さんが生きてさえいれば。罵倒されて、蔑まれも、嫌われたって、関係をやり直すことはできるんだから。死んだら、なにもできないんだから。怒っている顔も、笑顔も悲しんでいる顔でさえ、生きていないと見られないんだよ?会話することさえ不可能だ。だから、正臣はこれから、何だって出来るんだから」
「帝人……」
 やけに実感のこもった言葉に正臣は帝人を振り向いた。それに、帝人は微笑んでみせ正臣の肩を叩く。我慢していた感情があふれてきて、正臣は帝人にぎゅうと抱きついた。帝人は安心させるように、よしよしと正臣の背中を撫でてやった。子供のようにしがみつく正臣を帝人はずっと抱きしめていた。









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