「で、途中になったけど。もう少し深く説明してくれない?臨兄ってなに?」 その身体がむず痒くなる呼び方は、何なのか新羅は問いたかった。 というか、この男が臨兄!最低な酷い男に、勿体ない呼び方だ! 実は、新羅は忘れているが昔その呼び方を聞いてはいたが、いざ声を出して呼ばれるとインパクトがあり過ぎたのだ。 「だから、こんな俺でも帝人君は小さい頃から慕ってくれていたの。臨兄って呼ばれたのも、ずいぶん昔からのことでずっと最近まで呼び続けてくれていた。帝人君は小さい頃から可愛くて、可愛くて。俺は妹より帝人君の方を可愛がってた。ちなみに、妹達も俺より帝人君の方が好きだから。大好きだから。ミカちゃんミカちゃん五月蠅い」 「折原家、どんだけ好きなの?」 「姉と帝人君はうちの中心だったの。母親なんて孫バカだって笑ってた。とにかく昔からうちでは姉が大事で仕方なくて、結婚して子供が生まれたらその子共々猫可愛がりなの。あの二人が中心でうちは回ってたの!」 「……奥が深かったんだな」 他人の家の事情は、かなり変だった。 「俺はほんとに、仕方ない。三歳くらいで姉が引き取られてきて、弟としてずいぶん可愛がってもらった。優しくて暖かくて柔らかくて、どこか天然。帝人君もしっかりとそれだし。姉が思いつきとかで言うことが、うちでは現実になるんだから。それがまた、些細なことが大事になって。俺がどれだけ振り回されたことか。その姉がずいぶん年上の男性と若く結婚してさ。幸せそうだったから、よかったけど。で、帝人君が生まれて俺に弟ができたんだ」 「へー、兄弟ってそんなに嬉しいもの?」 「帝人君だからだよ。妹達は五月蠅いし鬱陶しいし、可愛がる気になれなかった」 「ああ、うん。どんだけ特別かはわかった」 これで大事な帝人君が誰かに取られたりしたらどうするのだろう。 一応、大切な姉の結婚は祝福できたみたいだから、いいのか?いや、自分の保護者と非保護者では違うよな。自分を守っていた姉と自分が守る弟とではスタンスが違う。 大事に、大事に手中の珠のように守っている存在を誰かに取られたり、酷く傷つけられたら臨也はどうするのだろう。きっと、今まで見たことがないほど冷徹に無表情で怒り、相手を殺すかもしれない。否、死んだ方が幸せだという最低最悪の目にあわせるのだろう。 想像しただけで、新羅は嫌な気持ちになった。 とばっちりは絶対に自分へと飛んでくる。 心中でため息を付きながら、新羅は珈琲を飲み干した。 そして、しばらく時間が過ぎると。 「臨にい?」 ぱちりと目を開けて帝人が下から臨也を見上げた。 臨也の膝枕で寝ていることにだんだんと気づき、帝人は顔を赤く染める。 「や、あれ?臨也さん」 「今日は、臨也さん呼び禁止」 言い直した帝人に臨也は笑って言った。 「え?」 「今日、一日は臨兄でいいから」 「……でも」 「でも、はなし。それとも呼びたくないの?」 「そうじゃなくて……」 「あのね、俺はそう簡単に死なないからね。こういう時くらい甘えてもいいんだよ」 「……死なない?」 「そうだよ。死ぬように見える?」 帝人は左右に首を振る。 「そうでしょ?これでもシズちゃんと喧嘩しても平気なんだから。信用していいよ」 臨也の自信満々な台詞に帝人が小さく笑った。 「それ、自慢にもなりませんよ」 「えー、ならないかな?丈夫じゃない?」 「丈夫といえば、丈夫ですけど。昔から臨兄はあんまり風邪引きませんでしたよね。引く時は稀で、稀だからこそ酷く拗らせて。そう考えると、丈夫というのも変?」 臨兄と自然に呼んだ帝人の臨也が、ふふと微笑んで反論した。 「ほんとに稀だよ?怪我もしないし」 「ならいいんですけど。信じてますからね」 「もちろん。信じてもらっていいいよ。約束する」 臨也は胸を張った。 「あの、それで。ここはどこ?臨兄」 ふと、帝人は自分がいる場所を尋ねた。起きてから、知らない場所だと自覚はしていたが、それどころではなかったのだ。 「ここは、俺の悪友の医者のとこ。なんと、高校の同級生の家だ」 「え?ほんとに?」 信じられないと帝人が目を見開くので、臨也は苦笑しながら「新羅」と呼んだ。 「はいはい」 奥から白衣をまとった男が現れた。 「これが、岸谷新羅」 臨也の紹介に帝人はひょっこり立ち上がり自己紹介しようとして、ふらつく。 「帝人君。急に動いたらだめだって!」 臨也が帝人を支えて、座ったままでいいからと諭す。帝人は神妙に頷いて新羅を見上げて頭を下げた。 「竜ヶ峰帝人です。お世話をかけました。ありがとうございます」 帝人は医者と説明されただけで自分に起きたことを思い出して、新羅が処置をしたことを推測した。 「いやいや。臨也が言ったように、岸谷新羅です。一応闇医者やってます」 「闇医者?」 「そうだよ。腕はいいから安心して」 臨也が横から安心させるように付け加える。 「さて、帝人君。気分はどうかな?」 「あ、いいです」 「うん。頭痛やめまい、吐き気もない?」 「はい」 「人間っていうのは、簡単じゃなくて複雑だ。自分は大丈夫だと思っていても、身体は正直だ。何かの折りに、知らない間にいろいろなものが吹き出す。わかるかな?」 「……はい」 素直に頷いていた帝人だが、一瞬この問いには遅れる。 「今回のこと、覚えている?自分でわかる?」 「……事故が目の前で起きて。それで、意識を失ったんですよね?」 なぜ、意識を失ったのか語らない帝人を痛ましげに見つめて、新羅は続けた。 「そうだね、だから臨也が連れてきた。あのね、怖かったり悲しかったりすることは悪じゃない。それを吐き出すことも大切なんだ。人間時々は弱音を吐いてもいいんだ。強くあろうとすることは、素晴らしいことだけど、自分が弱いことをちゃんと認めてあげないと。心は正直だから、異変は身体に現れる。それを無視していると、いつか壊れるよ?」 「新羅!」 臨也が咎めるように名前を呼ぶが、新羅は「臨也は黙っていて」と医者として冷静に告げた。 「人間の心はとても難しい。扱いが厄介だ。でも、だからこそ自分を大切にしてあげて?大丈夫なんて言わないで。診察するために、臨也から多少事情は聞かせてもらった。帝人君が辛い体験をしたことは、だから知っている。精神的外傷(トラウマ)ストレス障害は簡単に直るようなものじゃない。それを他人が理解することは不可能だ。だからね、ちょっとでもいいから誰かに話したり、甘えたりして。少しずつでいいから、傷を癒してあげて?……帝人君には、臨也がいるから精々使えばいいよ」 「……はい」 帝人は真剣に聞き入り、こくりと頷く。 「ああ、それから。ちゃんと掛かり付けの医者には話しておくようにね。もちろん、何かあったら、ここに来てもいいから」 「ありがとうございます。新羅さん」 「いいの、いいの。ああ、そうだ、ご飯食べていきなよ!セルティにも紹介するし」 「セルティ?」 「俺の恋人だよ!」 新羅は上機嫌で答えた。 「そうなんですか?お会いするのが楽しみです」 「うんうん。今仕事で出ていて、帰ってきたら紹介するね!」 「はい。是非」 「今日は鍋にしようか?ちょうど材料あるし」 さっさと新羅は話を進める。すると帝人が申し出る。 「僕、お手伝いしましょうか?」 「寝ていたら、帝人君」 「あー。帝人君の料理の腕は力いっぱい保証するけど、休んでいたら?」 新羅と臨也が難色を示す。だが、帝人は朗らかに笑った。 「少し動いた方がいいので。やらせてもらえませんか?」 「……いいの?」 「はい」 「なら、お願いしようかな。ただ、少しの間は座っていて。お茶くらい出すから。そうじゃないと、またふらつくからね」 新羅はそう諭して白衣をひるがえし紅茶をいれにキッチンへと向かった。 その後、帝人はキッチンに立ち、鍋を作った。興味津々と見ていた新羅は手際の良さに、褒め称え喜んだ。臨也はもちろん、当然だと自慢げに構えて座っていた。 帝人は材料を見ながら、キムチ鍋にすることにした。そして三人は熱々の鍋をつついた。すこぶる美味しくて、皆で堪能した。 鍋の前に、帝人は帰宅したセルティを新羅から紹介された。部屋の中でもヘルメットをかぶっている黒くタイトな姿の女性を示しながら、 「彼女は、妖精なんだよ!」 と機嫌よく言われて帝人はつい「初めまして、竜ヶ峰帝人です。妖精さんに会えるなんて光栄です!」と挨拶していた。母親の教育はどこまでも天然だった。 それに、セルティはPDAを取り出して、『セルティ・ストゥルルソンだ。これでもデュラハンというアイルランドの妖精なんだ』と手早く打った。 「へえ、そうなんですか?すごいですね。アイルランドの方なのに、こんな遠い日本にいらっしゃるなんて!」 『いや、まあ。それほどでもない。それから、私には首がない』 「首?……ああ、だからPDAでお話されているんですね?声が出なかったり、人間の言葉が話せないのかと思いました!」 帝人が納得すると、セルティは帝人をぎゅうと抱きしめた。 「え?セルティさん?」 「ああ、セルティ、帝人君のこと気に入ったんだよ。感動しているみたいだから、しばらくそのままでいてあげて?」 様子を見ていた新羅が横から口を挟んだ。 「気に入ってもらえたんですか?感動って?」 「帝人君の反応がね、ちょっと今までの誰とも違ったんだよ。普通はさ、驚くし怖がるんだ。会えて光栄ですから始まって、首がないって聞いても極普通の会話していたでしょ?まあ、帝人君の反応がはじめから好意的だからセルティも自分から首がないなんて告白したんだよ」 「……?」 帝人は首をひねる。天然である帝人にとっては、当たり前の対応なのだ。一般的な態度など感じることもできないのだ。それを理解している臨也が笑って説明した。 「帝人君はね、普通とかで括れないから。根っから悪意とか無縁だし。……帝人君は、わからなくてもいいよ。帝人君は自分が思った通りにすればいい。他人の普通なんて関係がないんだから」 前半は新羅とセルティに、後半は帝人に向けて話す。 「そうですか?」 「そうそう。帝人君が帝人君であることに、誰も文句を言ったことないだろ?だから、いいんだよ」 帝人の精神の高潔さに触れて、嫌な人間などいない。憧れこそすれ、汚す人間は今まで皆無だっただろう。 「わかりました。臨兄が言うなら、そうしておきます」 帝人は頷いた。 『臨兄ってなんだ?新羅!!!』 セルティはあまりの衝撃に、新羅に向けてPDAをうった。もちろん、帝人と臨也には見えていない。新羅は困ったように腕を組んで、申し訳なさそうに言った。 「ああ……、後でね。今日は耐えて」 『なんだそれは?帝人が、臨也を臨兄って言ったんだぞ?これが驚かずにいられるか?変だろ?不気味だろ?宇宙人が攻めて来るぞ????』 「来ないから、大丈夫。とにかく、今は我慢して」 新羅がセルティの肩に手をおいて諫める。新羅としては、説明するだけで時間がかかる上に、一応帝人は病人だ。患者だ。ここで、いろいろ思い出させる訳にはいかなかった。 ちなみに、新羅の言葉だけ聞いてる分には内容を帝人と臨也にはわからなかったのは幸いだろう。 友好関係を結んだ帝人とセルティはその後も楽しく会話してとても仲良くなった。 後日、帝人はお礼にやってきた。 新羅には自分で作った焼き菓子の詰め合わせ。セルティにはお風呂グッズを持参して。 「お世話になりました」 そういって頭を下げる帝人に、臨也の親類とも思えないほど律儀だと新羅もセルティも思ったが口には出さなかった。 「お礼なんて、いいのに。でも、ありがとう」 新羅は、くすぐったそうに笑ってそれでも受け取った。鍋の一件で帝人が料理上手であると知っていたからだ。もらった焼き菓子は確実に美味しいに違いなかった。 『私にまで、ありがとう。いいのか?』 セルティもきれいにラッピングされたものを手にしながら、尋ねた。 「是非、使って下さい。いい香りがしてリラックスできるみたいですし、肌もなめらかになるそうです。女性ですからね」 帝人の説明に、新羅の方が早く反応した。 「うわー、セルティよかったね!なめらかな肌のセルティか、……っ、いたい、いたいよ!セルティ!」 セルティは新羅の腹を殴った。 『恥ずかしいこと、考えるな!』 「だって、セルティ!」 『五月蠅い!黙れ!』 セルティは新羅を影のようなもので刺してから帝人に向き直り、『ありがとう。使わせてもらう』とPDAに書いた。 「いいえ。薔薇とラベンダーとカモミールなんです。すっごく香りがいいんですよ。僕も家で使ってみたんですけど、よかったので、お勧めです。気に入ったら言ってくださいね。もっと種類ありますから!」 にこりと笑って言う帝人は文句なく可愛かったが、少々聞いてみたい台詞があった。 『あー、帝人。家で使ってるのか?』 「ええ。女性が三人もいますから。いっぱいあるんですよ、家に」 『そうか。どうりで詳しいな』 「はい」 二人の会話を聞いて見ていた新羅は、やっぱり仲良しになるべくしてなるんだなと感心していた。セルティを女性として尊重する人間はほとんどいないのだ。セルティが帝人を気に入るのは至極当然といえた。 本当に、臨也の甥とは思えない。しみじみと新羅は思った。 |