「さてと、帝人君疲れているから病院へタクシーで行く?」 掛けられた言葉に、ひくんと肩を揺らして帝人が臨也を見る。 「……タクシー?」 「うん」 帝人はぎゅっと唇をかみしめ首を左右に振って拒否を表す。 「……いや?ああ、そっか。わかった、じゃあバスにしょう」 安堵してこくり頷く帝人に臨也は思案する。 たぶん、車もだめなのだ。 病院もイヤだろうが、車はもっと辛い記憶に直結している。話しに聞いただけだが、事故にあい救急車が来るまで帝人はちゃんと意識があったらしい。つまり地獄のような時間を過ごしていたことになる。 「病院行きのバスはどこかな?駅前から出てる?」 「駅前のバスターミナルがあるから、そこから出ている。ここからだとバスで10分」 「了解。じゃあ用意して行こう」 バスを乗り継いで病院へ付くと受付をすませてしばらく待合室で座っていた。世間話をしながら待っているため、時間は気にはならないが、帝人の疲れが心配だった。 臨也が自動販売機で飲み物を買って渡し水分を取るようにいうと帝人は素直に口にした。相変わらす、顔色は悪い。 「竜ヶ峰帝人くん?」 「先生、遅くなりました」 いよいよ診断が回ってきて、帝人は担当の先生に謝った。 本当はすぐに来るように言われていたのだ。 「まあ、仕方ないよ。でも検査はちゃんとしよう。MRIで調べよう。今日は時間はいい?」 「はい。大丈夫です」 帝人ではなく臨也は答えた。 「君は?」 帝人の後ろに立っていた付き添いという認識である臨也だ。聞かれても不思議ではない。保護者にしては若いため、それだけ信頼をおけるのかと問われている。 「折原臨也です。私は、帝人君の兄のようなものです。生まれた時から知っています、うちは竜ヶ峰家と家族同然のつきあいです。実際親族ですし」 「ああ、そうか。あの折原さんね。うん、もういいのかな?帝人君」 「まあいろいろやることはありますが、一応は。今日はどれだけ掛かってもかまいませんので、検査はできるだけお願いします」 「わかった」 「それから、実は帝人君なんですが、東京の池袋に引っ越すことになりました。うちが引き取るんです。4月からそちらで転校して学校も通うようにしたいんです」 「ああ。なるほど」 両親が亡くなったのだ、普通どこかに引き取られるだろうことは誰にでもわかる。 「ですから、そちらの病院を紹介してもらえませんか?」 「いいよ。池袋にある医大あたりに紹介しましょう。そこなら定期的に通院できるでしょう」 「はい。お願いします」 臨也は保護者然として頭を下げた。 「さて、帝人君。今日は検査漬けだよ、いいかな?」 「はい」 帝人に否やがある訳がない。病院は苦手だが、隣には臨也がいる。一人ではないから、耐えられる。 それから、帝人は時間をかけて検査をした。 「で、寝れている?」 検査が終わり会計を待つ間のことだ。 「……」 臨也にじっと覗き込まれて帝人は困る。 あまり顔色がよくない自覚はある。自分のことを小さな頃から知っている人間相手に騙せる気がしない。千歳も同様だが折原家の人たちは聡いのだ。 それに臨也では千歳のように見逃してくれない。 「よく眠れない?」 「……」 「平気だっていう必要はないから。この状況で眠れていたらよほどの太平楽だから。大好きな両親を亡くして、泣いて悲しんでも眠れていなくても誰も怒らない」 そう言って臨也は帝人を抱きしめた。待合室にはもう人は少ないが、それでも皆無ではない。ちょっとだけ恥ずかしかったが、帝人にとってはいつものことだから気にするのはやめた。 「帝人君?」 臨也も目の下に隈があるのに、自分のことは棚にあげて帝人の心配をするのだ。 「臨也さんだって……」 そっと臨也の目元に指を伸ばす。 「俺はいいの。大人だし、体力あるから。帝人君はまだ中学生なんだから、なくて当然。気にすることじゃない」 きっちりと反論を封じられて帝人はすねた貌をする。 「仕方がないね。素直に、眠れないって言ってごらん?」 「言ったらどうなるの?」 「そうだな、魔法をかけてあげる。あっという間に眠ってしまう」 「ええ?」 「ほんとだよ。嘘だと思うなら、願ってごらん」 臨也はウインクして帝人に優しく笑いかけた。帝人は目をぱちぱちと瞬かせ、やがて口を開いた。 「眠りたい」 ずっと眠れなかった。身体は疲れているのに休養を求めているのに、精神が起きているのか、目を閉じていても一向に眠気をおそってこない。 それに、眠るのが怖かった。夢を見るのが怖かった。このまま倒れては心配をかけるとわかっていても、駄目だった。 「じゃあ、行こうか」 臨也はにっこりと笑い手を繋いで病院を後にすると、駅前で大きな楽器店へと入る。帝人は引かれるがまま、ついていく。 臨也はピアノ売場で、店員を呼んで話をしてから帝人を振り返って、 「じゃあ、帝人君に魔法をかけてあげる。ああ、帝人君はそっちに座って」 帝人はピアノ用の長い椅子を示されて、腰を下ろす。 臨也はその横のピアノの椅子に腰掛け、蓋をあけて鍵盤に指を落とす。ちらりと帝人に視線をやってから、そっと指を動かした。 音がフロア中に響く。決して大きな音ではないが、誰もが聞いたことがある曲のせいだろう。 それに、これは……。 ショパンのノクターン。それも、9−2。 ショパンにはノクターンが数あれど、一番有名なものだ。 「沙耶香さんに聞いていたんだから」 驚いている帝人に種明かしをするように、茶目っ気に目を細めて臨也は笑った。 「眠る時、ショパンのノクターン。起きる時には華麗なる大円舞曲。胎教してて、帝人君が生まれてからも続けていたんだって。子供の頃は、ノクターンを聞かせて眠らせたのよって成果を面白そうに話していた」 臨也は語りながら、流暢に弾く。綺麗で、切ない音が、、心に響いてくる。 「臨也さん、ピアノ弾けたんですね」 すっと身体から力が抜ける。余分な力が抜けると、もう動きたくなくなる。 「俺が弾けるのは、二曲だけ。ノクターンと大円舞曲しか弾けない」 「……」 どうして?と問うことは出来なかった。 そんな、まさか。僕のために?なんて聞けない。 それに、眠い。 身体が記憶しているようだ。覚えているのだ。母親が自分に聞かせていた優しい音を。 この曲を聞くと、自然に睡魔がおそってくる。 ピアノの調べは子守歌。眠ってもいいのだと、安心して眠っていいのだと言われている気になる。 臨也さん……。 帝人は瞼を閉じた。 臨也はピアノを弾ききり、眠っている帝人の側まで音を立てないよう歩いてくる。 穏やかに寝息をたてている帝人の前髪をさらりと撫でる。 「おやすみ」 臨也は店員にお礼を言って帝人を抱き上げ、移動した。 どこかでしばらく休ませよう。ホテルでもいいから、ベッドで睡眠を取らせよう。 千歳には事情を説明しておけば、臨也の責任において了承してくれるだろう。なにより帝人を心配している千歳だ。きっと、頼むわというに違いない。 「ゆっくり、おやすみ」 臨也は帝人の白い額にキスを落とす。 |