「明日咲く月」遅れて、ごめん






 臨也がそれを知ったのは、とっくに葬式が済んだ後だった。
 基本的に、臨也は帝人や沙耶香からのメールや連絡をおろそかにしたことは一度もない。実家からなら無視してもこと二人からなら何より優先した。
 だから、年末に慣れ親しんだ池袋から新宿に引っ越した時も、二人にはメールで連絡しておいたのだ。とにかく年末に引っ越しであるから、仕事もあって多忙を極めた。
 年を越してしばらくすると、ヴァレンタインに二人から連名でチョコレートが届いた。毎年おくってくれるのだが、その出来映えは素晴らしいものだ。臨也の欲目を除いても、お店で並んでいるくらいのクオリティだ。
 今年は生チョコだった。
 珈琲をいれて、美味しく食べた。
 だからホワイトデーにお返しとして紅茶やエプロンを送った。一緒に帝人の誕生日プレゼントも同封して。
 仕事が立て込んでいたから、荷物は着日指定にしておいた。
 二人が喜んでくれるだろうか、笑顔になってくれるだろうかと思うだけで顔がにやける。それにたいていお礼のメール届く。
 
 だが、遠方へ仕事で行ってやっと帰ってきると厄介事に巻き込まれて、身を潜めつつ対処して過ごしていた。その間、他との連絡は控えた。それに個人的な携帯の電源がとっくに切れていた。仕事用はいくつもあるし、代わりもある。だが個人用だからこそ、簡単に扱えなかった。
 そして、ようやくマンションに戻ってきて携帯を充電しつつ、留守電を聞いてみた。
 流れる母親の音声に、臨也は動きを止めた。
 嘘だろう。嘘だと言って欲しい。
 動揺したまま充電中の携帯を操ってメールを見る。
 何度も送られている緊急のメール。着信履歴も山とある。それを下方へ送って確認して、臨也は、自分がしでかした事を知った。
 後悔なんていつでもできる。すぐに母親に電話した。
 
「もしもし、俺だけど」
『俺なんて人間知らないわよ』
「……」
 母親の揶揄は二重の意味があって臨也は黙る。俺だけど、というと詐欺があるし、今さら電話してきてどうした?という意味も兼ねている。
 だが、臨也にはどんな文句も甘んじて受ける覚悟があったし、後でならいくらでも聞く用意がある。が、今は必要なことを教えて欲しかった。
『嘘よ。待っていたのよ。ずっと』
「今から行っても大丈夫?」
『それはいいけど。それより問題があるの。竜也さんの父親、つまり帝人君のお爺さんが突然現れてね。通夜も葬儀も出ないで、翌日家に訪ねて来たの。で、帝人君を引き取るって言い出した』
「引き取る?今まで音信不通だったんじゃないの?沙耶香さんが言ってたよ」
『そうよ。帝人君が生まれてハガキを送って、小学校入学、中学校入学と折り目には写真付きのハガキを送ってた。でも、向こうからは連絡の一つもない。竜也さんが勘当同然に家を出て以来親子の交流は断絶してたの』 
「それなのに?引き取るって言い出した?」
『そう。怪しいのよ。帝人君はきっぱりと断ったけど、諦めないって言って何度も来ている。今度は弁護士まで連れて来たし。これは帝人君とも同意見なんだけど、別に孫が可愛いから引き取りたいって態度じゃないのよ。あの爺さん自分の思い通りにならないのが腹立たしいタイプだし、自分に従順じゃないと許せないって態度も口調も言ってるし。なんか裏がありそう』
「……わかった。調べる。なんとかする。わかっていることだけ教えておいて」
『OK。ちょっとまって。…………、今からいうからメモしておいて』 
 千歳は名前や住所、電話番号など一般的なことを読み上げた。それでも十分だ。その後は臨也が調べればいいだけだ。
『了解。なるべく早くどうにかする』
「任せるわ。……それと、帝人君を頼むわ」
 そう言って千歳は通話を切った。
 臨也は、最後の一言を反芻する。自分にできることをやるだけだ。
 
 
 
 
 
「何度来てもらっても、意志は変わりません」
「そうはいっても、君はご両親を亡くした子供だ。まだ中学生だ。保護者が必要だろう?その点、辰巳氏は相応しい」
「それはあなたが決めることではありません。僕が決めることだ」
 弁護士と帝人の話し合いは平行線だ。
「なにが気にいらん!」
 辰巳が怒鳴る。それに、ちらりと興味のない視線を向けて帝人は無表情で言い放った。
「あなたが気にいらないといえば、満足ですか?財産も権力も名誉も僕には必要ありません。必要なのは家族だけだ。……あなたは僕にとってただの年老いた人です」
 一度もお爺さんと呼ばないのが、帝人の意志表示だった。
 最初から、祖父などと認めていない。
「きさま……」
 怒りにまかせ辰巳は帝人の細い肩を掴もうとした。が、それは果たせなかった。一つの手が辰巳の手を振り払う。
「汚い手で触らないで下さい」
 臨也だった。
「あなたは彼が可愛い訳じゃない。孫だから引き取りたい訳でもない。ただ、駒が欲しいだけだ。跡取りと考えていた息子さん、竜也氏の弟君が最近家を出ていったそうですね。女性と駆け落ちというじゃないですか。結婚に反対されて、行方をくらませた。連れ戻そうにも、女性のお腹の中にはすでに子供がいる。資産家の令嬢と結婚がまとまりそうだったのに、立ち消えた。そこで、帝人君に目を付けた。まだ幼い分、自分の意のままに操りやすい。それに、子供のうちから資産家の娘と婚約させておけばいい。ちょうどいい年齢の少女がいた。……どうですか?それに、竜ヶ峰家は最近資金運用に困っているそうですね。……引き際が肝心ですよ」
 臨也はそういって、紙の束をぶちまけた。
 詳細に書かれた書類は、今臨也が語ったことが事実であるという証拠である。
「おまえ、何者だっ」
「……帝人君の家族。それだけですよ」
 憎々しく睨む辰巳を臨也は冷笑して応えた。
 そして、憎々しげに睨みながら、辰巳と弁護士は、立ち去った。
 
 
 
「遅れて、ごめん」
 謝る臨也に帝人は責める意志など見せず、ただまっすぐに見上げてくる。
「臨にぃ……?」
 そっと伸ばされた指を離さないように、臨也は帝人を両手でぎゅうと抱きしめた。
「ほんとに、ごめん。ごめんな」
「いいよ。ちゃんと、助けてくれたでしょ?」
 断っているだけでは、平行線だった。なにか打撃が必要だった。短期間で用意できたのは、臨也だからだろう。それくらい帝人だってわかる。
 だって、臨也の目元に隈がある。きっと寝ずに調べてくれたのだろう。
「でも、こんなに遅くなった。帝人君がつらい時、駆けつけることもできなかった」
「いいよ。だって仕事だってあるんだから。連絡が付かないことだってあるよ」
「……」
 だが、臨也はどうしても帝人に謝りたかった。
 一度だけ、帝人は臨也に電話している。着信記録が残っているのだ。それは帝人のSOSだった。
「けど、何をおいても駆けつけるべきだった。あの時、どうしてすぐ自宅に戻らなかったのか。そうすれば、連絡が聞けたのに。後悔って初めてするよ」
 臨也の腕の中で、帝人は一瞬悲しそうに笑う。だが、顔を胸に寄せているせいで臨也にはその表情は見えなかった。帝人は顔をあげて臨也を見上げた。
 すでに、悲しさや辛さを感じさせない微笑に変え帝人は真っ直ぐな瞳で臨也と間近に見つめあう。
「臨也さんは、知らなかったんでしょう?だったら、仕方ありません。僕に謝らなくていいんです。それより臨也さんの方が辛いでしょ?母さんとお別れができなかった」
 口調も呼び方も変えた帝人に、臨也が愕然として目を見開く。
「帝人君?」
「なんですか?臨也さん」
 言外になぜと問う臨也の疑問を帝人は笑顔で遮る。
 確かに帝人であるのに、自分が知っていた帝人ではない何かがあった。臨兄と呼んで慕ってくれていた純粋なままの帝人ではなかった。
 両親を事故でなくして一人残されて、頼りになる大人はいても、父方の祖父は最悪で、まともな精神状態でいろというのが無理がある。やっと十四歳になったばかりの子供だ。本来なら思いのままに泣いていいはずだ。すべて大人に任せていいはずだ。
 だが、それではいられなかったというのなら、それは帝人の咎ではない。純真な子供を期待した自分が悪い。人間は変化する生き物だ。
 それに、先に裏切ったのは臨也の方だ。
 たった一度の悲鳴を受け損なった。どんなに仕事があって連絡が取れなかったと理由を並べても所詮いい訳だ。あれでは、信頼を失って当然だ。帝人がだからといって臨也を嫌いになることも、助けてくれなかったと責める気がないのはもちろんわかっているが、これで一度さえSOSを出すことはなくなるだろう。
 帝人がいろんなことをすでに決めているなら自分はそれに協力することはあっても、否定することはない。今度こそ全力で守るだけだ。

「うん、ところで帝人君。身体は大丈夫なの?」
 軽傷だとはいえ、痛々しい傷跡はあるし頭をぶつけているのなら、後遺症が全くないとは言えない。
「大丈夫ですよ」
「嘘よ。まだ検査が必要なんだから!」
 二人の会話に千歳が割り込んだ。ここで帝人に話させていたら、大丈夫で済ませてしまう。
「千歳さん……」
「そんな顔してもダメ!事故にあってから忙しくて、まともに検査してないでしょ?先生からも言われているんだから」
 本当なら、葬式が終わった翌日に顔を出した方がよかった。だが、辰巳がやってくるだけでなく、個人的に線香を上げに来る来客もあった。第一、帝人も疲れているのだ。子供の体力では補い切れないほどの精神的打撃と連日の徹夜で、ぼろぼろだったのだ。少しでも睡眠時間を確保したいと思った。食事もなるべく取らせたかったし。
 それに、帝人は病院に行きたくなさそうだった。雰囲気として伝って来る。
 両親が運ばれて死体と対面したあの病院へ行きたくないのだろう。だからこそ、無理に連れて行かなかったが、ここに臨也がいるなら問題ない。臨也なら帝人を連れて行けるだろう。
「私もやること山のようにあるし。ああ、転校の手続きやっておいていいかしら?だから臨也と一緒に病院に行ってらっしゃい。こんなんでもいれば役立つから!」
「こんなんってのは、聞かなかったことにして。帝人君、一緒に病院に行こう」
「……はい」
 頷いた帝人を見てから臨也は重要な点だと千歳に問う。
「転校って、どこに?」
「うちで住むなら池袋の学校に編入しないといけないでしょ?ちょうど春休みだから、さっさと話を進めておかないといけないし。家からなるべく近いところにするから。なにか希望あるかしら?」
「えっと、特には。東京の学校わからないので」
 帝人にはさっぱりわからないから、希望もなにもない。
「有名私立じゃなくていいから絶対に、安全なとこにしてよ。3年次から編入するんだから、融通のきくところがいいな」
 帝人の代わりに臨也が注文を付ける。
「それくらい私も考えているわよ。うちの近所で探すから。どこか、ここぞって所があったら、早急に知らせて。すぐに決めないといけないから」
「了解」
 臨也は片手をあげてながら、時間を見つけて学校を調べようと決めた。











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