「いやーーーーーー!」 なにが起こっているのか、わからない。否、認めたくない。 自分がどんな状態なのか。わかっているようで、わからない。ただ言えことは父親も母親も、血に染まっていることだけだ。 車体から突き出たものに、つぶされている身体。白い肌に真っ赤な血が流れている。手が見える、母親の手。 父親はよく見えない。でも、頭だけかすかに見える。 嘘だ。誰か嘘だって言って。 それより、誰か助けて。お願いだから。 「父さん……」 「母さん……!」 自分がどんなに必死に呼んでも、答えが返ってこない。 まさか、死んでる? 息は? 確かめたくても自分も動けない。何かに挟まっていて自由にならな身体。少しだけでも手を伸ばせたら、届くのに。 どうして後少しが届かないのか。 子供じゃなくて、大人の腕だったら届いただろうか。 焦れるような心と、もしかしたらという恐怖がじわじわと襲ってくる。 誰か、誰か。助けて。 お願いだから。 僕の父さんと母さんを奪わないで。 今日は帝人の誕生日だった。 折原家で祝ってくれるということで三人で出かけた。たまたま春分の日で休日だったから、家族で行くことが出来た。 その途中。 いきなり、対向車線からトラックが突っ込んできた。 あわててハンドルを切る父親の声と母親の悲鳴が聞こえて、意識を失った。目覚めるとそこは地獄だった。 意識を失っていた時間はわずかのようで、まだ車中に閉じこめられている。誰かが救急車は呼んでくれただろうか。 顔を動かせる範囲で両親を見るが、安心できる要素は皆無だった。 二人の意識はない。血が流れている。 自分はどうして意識があるのだろう。あれだけの衝撃で。 たぶん、運転席側の後部座席にいてシートベルトをしていたせいだろう。そして、たまたまもらった大きなぬいぐるみがクッションになったせい。 父さんが子供の誕生日なんですよと会社で言ったら、もっていきなさいと渡されたらしい自分が抱えても大きなぬいぐるみを今日は折原家の面々に見せるために、持っていたのだ。 そのぬいぐるみも無惨に散らばっている。 呼んでも呼んでも、返事をしない両親。すでに事切れているのではないかという不安と恐怖。 誰も助けてくれない。 二人が死ぬかもしれないのに、なにもできずに動くこともできずに、ただ見つめているだけ。狂いそうだ。 進む一秒が恐ろしい。 早く、ここから出して。 父親を、母親を。自分はたぶん軽傷だ。意識があるし、多少の怪我など些細なものだ。だから、二人を早く。 まだ救急車の音は聞こえない。 救いは来ない。 「帝人君!」 千歳が蒼白な顔で駆け寄ってきた。そして抱きしめた。 「大丈夫?」 「……」 帝人は千歳の顔をぼんやりと見る。 大丈夫じゃないのは、父さんと母さんだ。二人は救急車に運び込まれたが、まもなく死亡を確認された。帝人自身は頭も打っているし、擦り傷もあるが、奇跡的に大怪我はない。 唯一事故の生存者である帝人は連絡を取る人間を答えるのに、千歳を指名した。 ポケットに入れていた携帯電話が奇跡的に無事だったおかげで、すぐに連絡できた。 千歳はなかなかやってこない竜ヶ峰家を待っていて、事故の知らせに車を飛ばして駆けつけてくれたのだ。 頼るべき親類は、折原家しかない。 父親は実家を勘当同然で音信不通だ。帝人が生まれたことなどはハガキで知らせたらしいが、返事がきたためしがない。だから帝人は父方の親類に会ったことがない。 「帝人君?」 千歳の声は聞こえるが、なにか薄い膜でもあるようだ。現実味が薄い。 心が凍える。 千歳のことも好きなのに、どうしてこんなに心が動かないのだろう。 帝人の心情や置かれている状況から察して千歳は無理に答えを求めなかった。今両親を失った子供に正常な判断や対応をしろというのが酷だ。 第一、病死ではない。事故死だ。自分も一緒に事故にあって救急車が駆けつけるまで車内に両親とともにいたのだ。死を間近に感じながら過ごした時間は狂気の沙汰だろう。 「何でもするから。心配しないで。残念なことに私経験者だから」 沙耶香の両親も事故死だった。 あの時も辛かったが、今回はそれ以上に半端ない。 千歳は帝人をぎゅうと抱きしめて、一粒涙を流す。 泣くことすらできない子供を守るのは自分たちしかいないのだ。そして、帝人を救えるのは一人だ。 すぐに連絡しなくては。 千歳は、この後やってくる山のような作業を思い浮かべて、心を引き締める。 守るのだ。この子を。 交通事故死ともなると、警察や保険会社、相手方とのやり取りが多々ある。それと同時に通夜と葬式。連絡しなくてはならない場所も山とあるのだから。 「なんで、出ないの?」 いらいらしながら千歳は電話を切る。 メールも何通も出した。留守番電話にも録音した。それでも音沙汰がない。 「あの、馬鹿!あほ!姉不幸もの!人非人!日頃の行いが悪いから、こういう時になるのよ!」 千歳は思いつく限り罵倒した。 「母さん、イザ兄連絡取れないの?」 舞流が母親の血相を変えた顔を見上げながら聞いた。 「そうよ。あの馬鹿!」 「そっか、ミカちゃん、可哀想だね」 「……哀」 九瑠璃も隣で沈痛な表情で立ちつくす。 すでに今日は葬式だ。 折原家が手分けして、取り仕切っている。竜ヶ峰家から一切連絡がないのだから仕方ない。 実は、帝人に誰に連絡するか聞いたのだ。 14歳になったばかりの子供に聞くことではないが、いきなり二人とも亡くなってしまったので、いくら千歳でもわからないのだ。 幸いというか帝人はよく知っていた。 勘当同然で連絡が途絶えている父方の家の住所と電話番号に竜也の会社の連絡先、沙耶香の友人達や近所の人たちの連絡網。それ以外も、賃貸マンションの契約書や通帳や定期、保険証書など家の重要なものに関してすべて知っていた。 なんでも、沙耶香がどこに何があるのか昔から話していたらしい。ついでに管理も帝人が多少やっていたというから驚きだ。 思わず沙耶香の心を知って、やりきれなくなった。 事故で両親も突然亡くした沙耶香は万が一を考えて息子にすべてを教えていたのだろう。いつ自分がどうなるかわからないから。事故、病気、災害に巻き込まれた場合、人間は簡単に死んでしまう。そのことを沙耶香は知ってた。 しっかりしすぎてる帝人は、通夜でも泣かなかった。 顔色は悪いのはまだいいが、表情が抜け落ちているのがとても気になる。 それなのに、あの馬鹿は肝心の時に役に立たない。今連絡が付かないことはきっと後に臨也本人が一番悔いるだろう。 |