「明日咲く月」良心を母親のお腹の中に忘れてきたんじゃないのか?




 

「折原さ、良心を母親のお腹の中に忘れてきたんじゃないのか?」

 折原臨也は、それくらい酷い。
 自分の楽しみのためなら平気で人を裏切る。甘い言葉を操って近づき、罠を張って最後に地獄に突き落とす。
 およそ、良心があるとは思えない。人の情もあるのか疑わしい。
 彼に常識などある訳がない。
 彼に関わって酷い末路をたどった人間がいかに多いことか。自分の手を直接汚さず、一歩離れた高見からその無惨で醜い結果を見下ろす。
 これで人間を愛しているなどと公言しているのだから、虫ずが走る。
 彼が嘘を付いているのか、いないのかわからない。いや、嘘ばかりに見える。真実なんて彼は語るのか。経過は語っても自分の本心なんて人に見せるようなヤツじゃない。
「なに、それ?」
 馬鹿にしたように、冷たい視線を向ける折原だが無駄に顔がいいだけ、質が悪い。
 これにころっと騙される人間が多いのだ。
 仕事の付き合いも短くないが、いい加減彼とのやり取りも面倒臭くなる。毒を含んだ物言いといい、笑顔を作っているがそのくせ目が完全に冷めているところといい、本当に嫌な人間だ。
 
「……およそいろいろ持っている折原に、唯一ないものだからさ」
 持って生まれたもの、自力で勝ち取ったもの多々あるが、良心だけは欠片も見えない。常識などはもっている振りならできるようだが。
「……別に忘れてないよ。母親のお腹の中になんて」
「じゃあ、無くした?」
 誰もが小さな子供の頃ならあったはずだ。折原ならひょっとして、ないかもしれないが。それでも、生まれたばかりの時から母親に育てられている間は、まだ染まっていないはずだ。
「無くしてない。あるよ」
 折原は普通の顔をして断言した。
「嘘はいかんだろう。折原にあったら今頃破滅した人間は意気揚々と人生を謳歌しているだろうさ」
「誰も自分で持っているなんて言ってないだろ」
「……はあ?」
 自分で持っていないから、良心はないということだろう。
 彼に普通という定義があてはまらないのかもしれないが。でも。
「俺の良心は人の形をしているのさ」
 口の端をあげて折原は目を細める。
「……電波?」
 元々おかしいけど、やっぱり電波だったのか。可哀想な頭してたんだ。そうか、そうだったのか。
「失礼なヤツだな。死んでおくか?」
 ナイフを取り出して、切っ先を向けてくる。きらりと光る銀色の凶器は彼の獲物だ。
「冗談だろ。……で?」
 話を則す。あそこで終わっていたら本気で電波だ。確定だ。
「さっき、言った通り。俺の良心は特定の人の形だ。それ以外に良心なんてある訳ないだろ。人間観察にそんなもの必要ない」
「…………」
 つまり?良心に当たる人間がいるんだな。臨也が自分の良心だと言うくらいの存在が、ある。それの方が驚きだ。
 こいつの特別?それって、不幸だろう。
 それとも、特別の人間には一切本性を見せないのだろうか。
 認識を新たにしたな。
 こいつ、一応人間だったんだ。彼と対するように言われている池袋の怪物と同じように人外で、悪魔かと思っていた。実は血の色が緑とか青じゃないかと疑っていた。
 怪我をした時見たから本当は赤い事を知っているが、それでもこいつは人間なんて可愛い生き物じゃないと思っていた。
 それが、良心なる存在の人間がいるときた。
 それって、なんてまともな感性だろう。あまりの似合わなさに、気持ち悪くて体調が悪くなりそうだ。
 けど、それ以外はおおよそ自分が知っている折原臨也そのものだ。人間観察に良心はいらない。常識もいらない。人情も必要ない。
 まっとうな人間だったら、彼のような人間に好意を抱くことはない。
 絶対、こいつは「良心」の前で大きな猫を被っているに違いない。そう思うと、少しだけ人間臭い。
「そうか、精々良心に呆れられないようにするんだな」
「余計なお世話だ」
 俺の助言に折原はふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
 それが、やたら人間臭くて、俺はこいつ本当に折原臨也かと疑った。
 もちろん、後日会った折原はいつも通り酷いヤツだったことは言うまでもない。










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