臨也は中学生に入学しても特別部活やクラブには入らなかった。興味がなかったからだ。皆で一丸となって何かに打ち込むスポ根には、まるっきり向いていない。 それを横目で見ているだけならいいが、自分が参加するなんて考えらられない。 幸いクラブ活動は自由だったから、臨也は所詮帰宅部だった。 そんな臨也がクラブと名の付くものに入ったのは2年生の時、それほど親しかった訳でもないクラスメイトが拝むように話しかけてきたからだ。 「な!折原、どこも入ってないよな?ギター同好会に入ってくれないか?」 「ギター同好会?そんなものあったっけ?」 聞いたことがないな。 「や、部員は俺しかいないんだけど。人が足らなくてさ、名前だけでいいから入ってくれない?」 「……名前だけでいい訳?」 「ああ!幽霊部員でも大歓迎!時々顔を出してくれたら、もっと歓迎!強制じゃないけど」 明るく笑うクラスメイトの名前は、確か青木道章。 クラスでも浮いている自分なんて誘うなんて、物好きな。 「なんで、俺を誘う?」 「ええ?折原帰宅部だし、つまんなそうだから?」 「ふうん。いいよ」 「やった!サンキュ!」 つまらない顔はしてないはずだが、それを見抜くのだから、それも一興だろう。 しばらくは、そのまま過ぎて、一度顔を出した時のことだ。同好会なので合同部室らしい。仕切られた狭い空間で青木がギターを弾く。 何曲か弾いていったん止めると、 「折原もやってみる?」 「俺?」 「そう、結構簡単だよ。コードを覚えて指で鳴らすだけで音が出るから、気分も出る!」 「そういうもんか?」 「おう。C、D、G、とかコードなんてちょっと覚えれば結構曲が引けるもんだ」 「曲によって、覚えるコードはあるけど、いくかのコードだけで弾ける曲は多いから、なんとかなるし」 青木の薦めでギターを借りて簡単なコードだけ先に教えてもらい、臨也は弾いてみる。 初めてギターに触るのに、曲になっているから不思議だ。 「へえー。なんとかなるもんなんだ……」 臨也は少々感心した。 「いつも練習しているのか?」 「学校でだけな」 青木がにっと笑う。 「俺の家、音楽一家だし。本当なら、毎日早く帰って練習しないといけないけど、中学は自由にさせてもらう約束。高校になった音楽科のあるとこに行くんだ」 「なにをやってるんだ?」 「ヴァイオリン。ピアノだって弾ける」 「それは驚いたな。人は見かけによらない」 「それをいうなら、折原も!顔がいいから、女は寄ってくるし、こいつ羨ましいって思われているけど、その反面、すごくつまんなそう。面倒そう」 「俺、そんなにつまらなさそうか?」 「今は、興味がある顔してるぜ!」 「そうか」 臨也は口角をあげて、にっと笑った。 それから、時々話すようになって、話しのついでに青木の家に行くことになった。 母親がピアノ教室をやっているため、玄関を入るとピアノの音が聞こえてくる。練習しているのだろう。いくつかの部屋から、こもった音がする。 そこを通り越して、青木について大きめの部屋へと入る。そこにはグランドピアノがおいてあった。 青木は、小さく笑ってピアノの椅子に座りふたをあけて、そっと鍵盤に指を乗せる。一拍おいて、つむぎ出された音に臨也は驚いた。 聞いてはいたが、本当だったんだな。部室でギターを弾いている姿しか今まで見たことがなかっから、想像していなかった。 専門はヴァイオリンらしいが、ピアノも上手い。 やがて弾き終わると、臨也は自然拍手した。 「折原に拍手されたよ。サンキュ」 青木は照れくさそうに、笑った。臨也は、ふと思ったことを口にしていた。 「俺、弾きたい曲がるんだけど、練習すればできるか?」 「なに?」 「ショパンのノクターン。あと、華麗なる大円舞曲。その二曲だけでいい」 いきなりの臨也の暴言としか思えない願いに青木はあんぐりと口をあけて、でも無理だとは言わずに質問した。 「ノクターンっていっぱいあるけど、どれ?」 「あれだよ、あの。タ、ターン、タララララーン、ラン、タラーラララランってやつ」 「俺はエスパーじゃない。でも、たぶん、あれかな?」 青木はピアノで曲の冒頭部分を弾く。 「それだよ!」 大正解である。 「これは、正式にいえば、ノクターン第2番変ホ長調作品9−2。まあ、ノクターン9−2で通るよ」 青木は、また軽快な音を弾く。 「で、こっちは、ワルツ第1番変ホ長調op18華麗なる大円舞曲」 「なるほど。で、できるか?」 そこが問題だ。大問題だ。 臨也も初心者がいきなりショパンの有名な曲を弾けるなんて思っていない。難度くらいはわかる。 「バイエルくらいやってないと、ちょっと難しいな。でも、やる気なら出来るよ」 「ほんとか?」 明快な出来るという返事があるとは正直思わなかった。ふつうは諦めろと言われるだろう。 「ああ。日本のピアノ教室の教育は常々おかしいから。練習曲ばかりやっていても、子供はあきるしつまらないからやめていく。楽しくないと、子供が続く訳がない。バイエルをやり始めた時は楽しいんだ。曲を自分の指が奏でることが。音楽を奏でることが。でも、延々そればかりだと、続かない。やっぱり、俺は小さくてもちゃんとした曲をやらせるべきだと思う。やる気が出る。自分の腕より上の曲でも、がんばるもんだよ。楽しいからさ」 「……へえ」 「バイエルと一緒に副教材をやらせたり、ブルグミュラー、ツェルニー、ソナチネ、ハノンなんかはいろいろ併用して指の練習や和音やリズムや技術なんか学ぶ。ドイツ系とフランス系で教本の選び方とかるけど。どっちみち、あれは日本の決めごとだから海外が同じように教えている訳がない。日本には大きな教室があるから、それが主になることもある。先生によっても違うけどね」 臨也には詳しいことはわからないが、青木なりの考えがあるらしい。 「うん。俺が教えてもいいよ。でも、ここに通う生徒には手を出さないで。高校生以下は。大学生のお姉さんは別にどっちでもいいけど」 「は?」 「高校生までは、だめだ。ただでさえ不安定で、音楽を続けることとか上手く弾けないこととか悩んでいる。それなのに、折原が声かけたら落ちるだろ?でも、そこで自己責任では解決できない年齢なの。大事にしておきたいの。恋してもいいけど、もっと青春なやつな。大学のお姉さんならいいよ。恋も芸のうちだから。それで、いい演奏ができるようになる」 「……」 いや、そうなのか?それでいいのか? 臨也は青木の突き抜けた考えに、さすがに戸惑う。音楽をやっている人間は、それともやはり少し世間とずれているのだろうか。 「で、どうする?」 「教えてくれるなら、頼む」 「うん。じゃあ、約束な!」 「ああ。それは守る。っていうか、こんなとこで手なんか出さない」 いくらなんでも、そんな面倒なことはしない。 「よし!言っておくけど、俺スパルタだから!覚悟しておけよ!ついでに、最初はバイエルで指使いだけは覚えるから。バイエル一ヶ月で終わらせて指使いとかマスターするから。その後はひたすら曲の練習あるのみ!やる気があるなら、絶対に弾ける!」 「……お願いします」 いきなり態度を変えた鬼教師に臨也は軽く頭を下げた。 「おう!任せておけ!」 それから臨也は青木家に通い、青木のスパルタに耐え二曲仕上げた。 努力とやる気でなんとかなるものだと、臨也はしみじみと実感した。中学を卒業すると、青木は音楽科のある高校へ行くんだと言っていたが、なんと海外へ留学することになったらしい。 行って来るぜと、手を挙げて笑って卒業していった。 後に青木から連絡が来たのは彼がコンクールで入賞したという知らせだった。 |