「いざにぃ」 ほてほてと手を伸ばしながら歩いてくる子供に近寄って臨也は抱き上げた。 「帝人君」 にこにこ笑う帝人は可愛かった。 まだ舌っ足らずに自分の名前を呼んで慕ってくれるのが、嬉しい。 「あらあら、帝人は臨也君が大好きね」 私の言ったとおりになったでしょ?と沙耶香が微笑む。 「うん」 本当に、帝人は臨也のことを好きできてくれる。全身から好意が伝わって来るからわかる。 「臨也君。すっかりお兄さんね」 「まあね。いいお兄ちゃんになるって決めたんだもん」 臨也は帝人を抱えながら沙耶香と連れだって居間へと歩く。沙耶香と帝人が遊びに来ると前もって聞いていたから今か今かと待っていたのだ。そして、こんにちは、の声とともに玄関へ向かった。 「可愛いねー。帝人君」 自分の腕の中で愛らしく笑みを浮かべる帝人はとても可愛い。一緒に首を傾げる仕草が、また可愛い。 そんな微笑みあう帝人と臨也を慈愛のこもった目で見つめ、沙耶香が笑う。 「九瑠璃ちゃんと舞流ちゃんは?」 「怪獣だよ、あれ」 九瑠璃と舞流は臨也の生まれたばかりの妹だ。双子であるため泣く時も倍の威力がある。 おぎゃあ、おぎゃあと泣き続けていると、臨也は腹立たしくなってくる。 四六時中五月蠅い。本を読もうとしても宿題をしようとしても、休憩しようとしても。寝ていても。 絶えず続く赤ん坊の泣き声は甲高くて、耳障りだ。 「なに、言ってるの」 居間で待っていた千歳がごちんと臨也の頭に拳を落とす。 「だって、五月蠅い」 「そんなの当たり前でしょ?生まれた時なんて皆猿なんだから。あんただって猿だったわよ。よかったわね、人間らしくなって!」 千歳があはははと高笑う。 「猿?」 「まあ、そうねえ。本当に生まれたばかりは猿なのよ。帝人だってそうだったわ」 臨也の疑問に沙耶香が苦笑しながら答えた。 思わず、臨也は帝人の顔をまじまじと観察する。 可愛く成長してよかった。 沙耶香に似てよかった。 「九瑠璃と舞流だって、そのうち、ちゃんと人間らしくなるわよ」 「……あれが?」 「あれがとか、言わない!」 再び母の拳が臨也の頭に落とされる。臨也は頭に手をやって顔をしかめた。 「きっと千歳さんに似て、可愛くなるわね。九瑠璃ちゃんも舞流ちゃんも」 二人のやり取りなど棚上げして、沙耶香がうっとりと笑った。 「……、そうかなー」 「そうよ!だって、臨也君こんなに素敵に成長しているんですもの!」 沙耶香が力説する。 沙耶香の美的センスでは千歳や母に似た臨也も、似るであろう双子も同じ沿線上にある。つまり、折原家の顔が好みなのだ。黒髪に切れ長の瞳に整った鼻梁。眉目秀麗とか容姿端麗とか詰め込んだ雰囲気のある美形。沙耶香は昔そんな風に褒め称えていたことがる。 だが、臨也としては自分と同じような顔があっても感動はしない。ついでに、嬉しくもない。沙耶香のような優しげで愛らしい顔立ちが好みなのだ。ふんわり癒し系で少し天然が入っている可憐な容姿が好みなのだ。 これは千歳も同じだった。つまり折原家としては沙耶香の顔がストライクど真ん中なのだ。それか、サヨナラ満塁場外ホームランだ。沙耶香の子供である帝人が可愛いのも頷ける。 「帝人君だって、可愛くなるよ?沙耶香さんに似て!」 だから臨也もそう返した。 「まあ、それに異論はないわ。帝人君は沙耶香に似ているもんね。将来は、すっごく可愛くなるんだろうな」 千歳も横から同意する。 「あらあら、ありがとう。よかったわね、帝人。誉めてもらえたわよ」 沙耶香が帝人の頭を撫でながら話しかけた。帝人が、わかっていないのか不思議そうな顔で首を傾げる。 「あいつらも、このくらい可愛ければいいのに」 臨也のぼやきに千歳が説教する。 「あんたはこれでも兄なんだから妹を愛しなさいよ。帝人君だけじゃなく!」 「帝人君は可愛いから当然なの!」 「ああん。妹達は可愛くないとでも言うの?」 「もう少し人間らしくなったら、考える。一応兄だから」 「……考えるとか、言わない!」 千歳は臨也の頭を、今度はグーで殴った。 「暴力反対」 「子供のくせに、生意気言って!あんた本当に小学低学年か?」 「自分で生んだくせに、覚えてないの?もう老化?」 「可愛くないわねー」 「可愛くなくていいよ。可愛いのは帝人君だけでいいよ?」 「……あんたの将来がすごーく不安。沙耶香どうしよう。姉の立場として、どう?それなりに育ての親でしょ?」 話しを振られた沙耶香は、目を瞬かせてにっこりと笑った。 「臨也君、利発な子に育ったわよね。さすが千歳さんの子供だわ。頭も回るし。私姉として鼻が高いわ。それに、親子でこんな仲良くお話できたらいいな。私も帝人と将来出来るかしら?」 「……これは、まねしなくていいよ。沙耶香は帝人君と、もっと穏やかで優しい会話して欲しいな。うん」 天然が入った切り返しに、千歳は心底反対した。決していい例ではない。こんなの目指してもらったら困る。 「ついでに、これは利発で頭は回るかもしないけど、人の心を思いやるっていう大切なものが欠けているから」 千歳は臨也を指さして吐息を付いた。 「悪かったね。性格が悪くて。でも、人のこと言えないよね?それに、いいんだよ僕はこれでも。その分、帝人君が素直で可愛く育ってくれれば。ああ、妹達は絶対に母さんに似るから、あまり期待し過ぎない方がいいよ」 つまり素直で可愛く育たず、自分のように育つと言いたかった。それを千歳は読みとって舌打ちをした。 「どの口がそんな事を言う?」 千歳は臨也の両頬をむにょーんとひっぱった。 「いっむ……んな……し」 「なに、言っているかわからないわ。子供が大人に口答えするんじゃないわよ。多少はいいけど、世の中には言っていいことと悪いこと。建前と本音があるのよ?世の中を上手に渡っていくつもりなら、そこのところを学びなさい。何でも口に出せばいいってものじゃないのよ?笑って欺くぐらいの芸当を身につけてみろ!」 千歳は、子供に言い聞かせるとは思えない台詞を並べて手を離した。 「……やって、やる」 臨也は千歳を睨む。子供に睨まれても千歳には痛くも痒くもない。けっと鼻で笑ってやって、沙耶香に笑顔で向き直る。 「こんな弟だけど見捨てないでね?それから、帝人君。こんなお兄ちゃんだけど、嫌わないであげてね?」 千歳は沙耶香から帝人に視線を移し、にこっと笑った。帝人も、ふわっと笑う。 「帝人君!僕のこと好きだよね?嫌いじゃないよね?」 思わず必死に臨也は手の中の帝人に問う。 「いざにぃ?だいすき」 ふわふわと笑った帝人を抱きしめる腕に力をこめて、臨也は安堵しつつ自分も極上の笑みを見せた。 「僕も、大好きだよ」 |