「沙耶香。私のところにいらっしゃい」 絶望で目の前が真っ暗になって、どうしたらいいか立ち止まっていた時掛けられた言葉だった。 「……千歳さん」 自分の前にしゃがんで視線をあわせ微笑んでいるのは折原千歳。沙耶香の母親の妹、つまり叔母だ。 両親は交通事故でなくなった。即死だった。 両親は知人の元に子供が産まれたからお祝いに行って来るといって出かけた。沙耶香はそれを見送って留守番をしながら課題をしていた。帰宅の遅い両親に、買い物でもしているのかと思っていたら、事故にあったと病院から電話が掛かってきた。急いで駆け付けて遭遇した光景を沙耶香は忘れられない。ベッドの上に横たわる父親と母親にはすでに息がなく、顔や身体に傷が覆い無惨な有様だった。 現実を受け止められない心と裏腹にやらなくてはならないことは山積みだった。親族に知らせなければならない。これから遺体を引き取り通夜葬式など行う。交通事故であるため、警察や保険会社の話もあるだろう。第一、十五歳の自分では、なにもできない。 そして、連絡した親族が急いで様々な事を執り行ってくれた。 それは感謝している。ありがたい。 ただ、一人になってしまった沙耶香を今後どうするかという問題が残っていた。高校生の子供を引き取るのは容易ではない。 自分の子供がいればなおさらだ。経済的なことだけではなく、お荷物なのだ。 だから、誰か保証人になってくれれば一人暮らしをしようかと考えていたら、千歳の言葉が降ってきた。 「ねえ、遠慮はいらないから、うちにいらっしゃい」 「でも、千歳さんのところ、子供が生まれたんでしょ?」 まだ会ったことはないがそれだけは聞いていた。年の離れた母親の妹である千歳は数年前に結婚した。話だけは聞いていても、遠方に住んでいるため行き来が頻繁に出来なかった。 「うん、今三歳よ」 千歳が笑う。 「だったら、なおさら……」 小さな子供がいる家にお世話になることは戸惑わせる。 「子供がなにを遠慮しているの?それに、沙耶香さあ、お姉さんになってあげてくれない?」 「お姉さん?私が?」 「うん。うちに来て、一緒に家族になろうよ。別に同情とか憐憫じゃないよ。引き取り手が現れないから気を利かせている訳じゃない。私が沙耶香と家族になりたいの。こんな娘が欲しかったんだ!男の子だとつまんないのよ」 「娘?私が千歳さんの?」 「そうよ。だから、うちの養女になっちゃいなさい。沙耶香は折原沙耶香になるのよ?」 「……ほんとに?」 「本当よ!ああ、うちの旦那も大歓迎だから!安心しなさい」 千歳はどんと胸を叩いた。容姿は美女なのに、大変漢らしい仕草だ。ついでに頼りがいもあった。 「……はい」 迷ったけれど頷いた。だって自分の遠慮なんか吹き飛ばす威力があるのだ。 そういえば、母親がいつか言っていた。自分の妹は、突飛で太っ腹で大らかだ。よく父親が男に生まれてこればよかったのにとこぼしていたと。 「そうと決まれば、善は急げよ。養子縁組しなくちゃ!必要なものは簡単に荷造りしてね、一緒に持っていけるように。それ以外大きなものは宅配で送って。学校はこっちで通うから転校になるけど、ごめんね?」 「いいえ。それは別にいいんです。えっと、なんでそんなに急ぐんですか?」 「だって!早く沙耶香を連れて帰りたいのよ!皆待ってるんだから!」 千歳の言葉に沙耶香は心が騒ぐ。嬉しい。自分になにもなくなってしまったと思ったのに、こうして与えられると涙が出るほど嬉しい。最近悲しくて泣いてばかりいた自分だけど、また涙があふれてくる。 「バカね。我慢なんてしなくていいのよ」 千歳が沙耶香の頭を優しく撫でて、囁く。 沙耶香はしばらく泣き続けた。 「さあ、ここが今日から沙耶香の家よ」 示された家の玄関、促されるようにして沙耶香は中に入る。暖かそうな雰囲気の家だ。千歳の人柄そのままの空気が漂っている。 「いらっしゃい、沙耶香ちゃん」 優しそうな顔立ちの男性が迎えてくれた。 「旦那よ」 千歳の簡単な紹介に笑顔で挨拶する。 「はじめまして、沙耶香です」 「うん、折原惟在です。今日からここが沙耶香ちゃんの家だからね。俺が頼りないかもしれないけど、お義父さんだし。……ほら、挨拶して」 惟在の足下からそっと男の子が顔を出す。そして沙耶香をじっと見上げる。 「こんにちは、はじめまして。私は沙耶香。あなたは?」 沙耶香は膝を付き、視線を子供にあわせて名乗った。子供はぱちぱちと目を瞬いて笑った。 「イザヤだよ」 さらさらの黒髪に印象的な瞳。美人な母親である千歳に似た容姿。素晴らしく可愛い子供だった。 「イザヤ君?」 こくんと頷く子供に、沙耶香からも笑みが漏れる。 「うちの子供。折原臨也。三歳よ」 千歳がからりと笑って子供の頭をぐしゃりと撫でた。 「これでも、いっちょまえに緊張しているのよ!お姉ちゃんが来るって聞いてから!」 母親から暴露された子供、臨也は唇を尖らせて抗議するがそれでも沙耶香の服を小さな手で引っ張った。 「おねえちゃんなの?」 「そうよ。今日から私は臨也くんのお姉さん。臨也くんは私の弟になってくれる?」 「うん!」 「ありがとう」 沙耶香は臨也と手を繋いだ。 暖かくて小さな手だ。自分には兄弟はいなかったけれど、まさかこの年で出来るなんて思わなかった。その上、とても可愛い。将来とびきりのハンサムに成長するんだろうな、と千歳の男性版を想像しながら沙耶香は楽しくなる。 ようこそ、折原家へ。 一家の歓迎に沙耶香は心の中で囁く。 どうか、よろしくお願いします。 |