「神様のいたずら」4




 

「臨也さん!」
 帝人はマンションへと駆け込んだ。そして叫んだ。
「臨也さん!臨也さん!」
「どうしたの?」
 あまりの剣幕に臨也が玄関へひょっこりと顔を出した。
「痴漢が!帰りの電車の中で!なんで?」
 ぶるぶると身体をふるわせて感情的に帝人は臨也に訴えた。
「気持ち悪い。怖い」
 痴漢などいうものに遭遇したのは初めてだ。東京の電車は混むから、そういったものがいることは知識として知っていたけれど、なぜ自分があうのかわからない。
 子供でまだ小柄だけど、男なのに。
 相手も男性だった。帝人の背後に立って、なぜか密着してきて。それで……。
 思い出すだけで、気持ち悪かった。触れられところを洗い流してしまいたい。吐きたいほどだ。
「帝人君、わかったから。落ち着いて。それに、こんなに濡れてどうしたの?」
 玄関でめちゃくちゃ喚いた自分を自覚して、帝人は真っ赤になった。現在帝人はずぶぬれである。突然の雨で傘を持っていなかった上にそのまま走ってきたせいだ。
「シャワーを浴びておいで。話はそれから」
「はい」
 帝人は神妙に頷いて靴を脱ぐとそのまま風呂へと向かった。
 
 シャワーを浴びて用意してある服に着替えて居間に入ると、
「はい。これ飲んで」
 臨也は帝人にミルクの入った珈琲、つまりカフェオレを差し出した。帝人はソファに座り一口飲んで、ほうと息を吐いた。自然肩から力が抜けてソファに身体を預けた。
「それで、帰りのJRで痴漢にあったの?」
「はい」
「それまで、なにもなかった?」
「なかったです。学校でも、正臣と街を歩いていても、なにもなかったのに」
「たぶん、帰りまでもたなかったんだろう。だから帝人君の力が発揮されたんだね」
「……嘘」
 そんな馬鹿な。もたないなんて!否、もたないと、ああいう目にあうのか?
 襲われると脅されていたけど、実感してみると、最悪だ。
「うーん、まあ。考えておくよ。一日持たせること」
「お願いします」
 帝人はぺこりと頭を下げた。
 こればっかりは臨也に頼る以外に道はない。というか、帝人は改めて必要性を感じた。自分の選択を信じてよかった。もし、一人だったら、どうなっていただろうか。
 恐ろし過ぎる。あんなのが日常茶飯事に起こったら怖くて外へ出られない。
「ああ、雨も帝人君の感情が乱れたせいだろうね。あんなに晴れていたのに、突然降り出したみたいだいし」
「……そういえば、そんな事も聞きましたね」
 帝人はがくりと肩を落とす。
 上手にコントロールできないせいで、天候にも影響が出るのだ。
「感情を揺らさないように訓練しないといけないけど、帝人君まだ十五歳だから、仕方ないよ。普通に考えて成長期の子供は感情の起伏が激しいものだし、そうあるべきだ」
「でも、その度に雨が降ったり風が吹いたりするんでしょ?」
「そのくらいなら、平気でしょ?天候が変わることなんてざらだし。台風が来る訳でもなし、人に被害が出ないなら、平気だよ」
「……ほんとに?」
「ああ。もしものために折り畳みの傘を鞄に入れておいたらいいと助言するくらいだよ」
「はい」
 帝人は笑った。
「ところで、帝人君はなんでダラーズなんて作ったの?」
「……なんで、と言われても」
 唐突に臨也から聞かれたが、帝人は驚かなかった。知られていて当然だと思うからだ。
 なぜなら、臨也が言ったように初めて触れた時に交じったからだ。あの後で帝人も自覚したのだが、確かにわかることがある。自分でさえそうなのだから、臨也に知られていても不思議ではない。ついでに、臨也が情報屋であることはすでに聞いていた。
「理由なく作るとは思えないけど?」
「そうですね、母親が普段いなくて、父親と僕の二人で生活をしていて。父親は働いて僕が家事を担当していて。だから帰宅部で、帰りにスーパー寄ってご飯作って、その間に洗濯して。宿題もしなくちゃいけなくて。それで、夜、ふっと空いた時間にネットをしていたんです。だから、理由といえば、それが理由」
 忙しかったけど、同じような日々が続いていた。だからネットの世界は魅力的だった。そのわずかな時間に普段と違う何かがしたかった。
「つまり、暇つぶしだったんだ?」
「そうかもしれません」
「おもしろいね。俺と一緒だ」
 臨也は目を細めて、にっと口の端を上げた。
 あまりに退屈で、暇つぶしにいたずらをして地上に落とされた臨也である。
「情報屋なんてしているのも、暇つぶしですか?」
 まともな会社勤務など似合わないというか、神がそんな事をしていたら驚きだ。ついでに天上が退屈だと思う臨也なら、地上で楽しいことを優先しそうである。帝人にもそのくらいはわかった。
「そうだよ。なかなか楽しいよ。俺は神だからね、人間を愛している。人間観察も興味深い」
「はあ、そうですか。確かに神なら人間は興味深いでしょうね」
 納得できる理由である。臨也のはた迷惑な人間観察および実験のような人間の行動を自分で促して遊んでいる態度は、人間ではないからという明確な理由があると、臨也によって人生を狂わされた人間は知らない方が幸せだろう。まさか神の退屈しのぎのために弄ばれたなんて知ったら不幸だ。
 
「そういえば、今日はなにが食べたいですか?」
 落ち着いた帝人は、臨也をまっすぐに見つめた。家に置いてもらうのだから、家事、主に料理をやらせて欲しいと申し出た帝人に、臨也は簡単に許可を出した。気にしなくてもいいよと言われて、帝人が得意なんですと答えたため、帝人の役割となった。
「そうだな。和食がいいな」
「メインは、肉それとも魚がいいですか?」
「今日の気分は魚」
 冷蔵庫の中を頭に思い浮かべ帝人は献立をさっと考える。
「お魚はブリがあったので、煮ましょう。あとは、ほうれん草のゴマ和えに茶碗蒸し。大根と揚げのお味噌汁、さつまいもご飯。きゅうりのあっさり漬け。そんなところですか?」
「うん、いいね。楽しみだなー」
 本心から楽しみであるとわかる笑顔を浮かべる臨也に、帝人も微笑む。
「じゃあ、これから作ります。ご飯は7時くらいでいいですか?」
「いいよ。任せる」
「臨也さんはまだお仕事ですか?だったらお茶もいれてきますけど」
「少しやることあるけど。そうだな、お茶は紅茶にして」
「わかりました。後でもっていきますね」
「お願い」
 はいと返事をして帝人は立ち上がった。
 臨也の好みは、さすがにまだ一緒に過ごしていないので、明確に把握できていないが、なんとなく感じるものはあるので、大丈夫だろう。いくつか試してみて、そのうち好みのものを出せるようになりたいなと帝人は思った。
 
 
 
 
 翌日の朝。朝早く起きて朝食も作り、臨也に美味しいと言われて、よかったなと思いつつ、昼御飯はどうしよう、用意しておいた方がいいだろうか、などと悩みつつ帝人は鞄を持って玄関へと向かう。
「行って来ます」
「帝人君、これ」
 臨也は自分の指にはめてある銀色の指輪をぬいて、帝人の人差し指にはめる。
「ああ、やっぱり大きいね。……明日にでも鎖は用意するとして、仕方がないから今日はポケットにでも入れておいて」
「え、はい」
 帝人は手の中に落とされた指輪を眺め、制服の胸ポケットに入れる。
「これは俺が身につけているものだから、お守りみたいなものだよ。俺の気配があれば、変なものは寄って来ないはずだ」
「なるほど」
 帝人は納得する。
 次の瞬間、臨也は帝人の顎に指を伸ばして口付けた。ひくりと肩を揺らすが帝人は必要性を理解しているから、抵抗はしなかった。だが、すぐに唇は離れない。
 あれ?と帝人が疑問に思っていると、臨也の舌が唇を舐めて驚いた隙間から口内へと入ってくる。
「……っ!」
 濡れた音を立てて帝人の口腔内を臨也の舌がかき回した。
「な……、やぁ」
 臨也が唇を離すと、帝人は真っ赤になって臨也の服をぎゅうと掴んだ。
「いざ、やさん」
「うん、これで今日は大丈夫。授業が始まるんだよね?」
「……はい。でも、なんで?」
「昨日のマーキングでは保たないからね。これくらいしないと」
「……必要なんですか?」
「必要だよ。帝人君襲われたいの?」
「いやです!あんな目はごめんです!」
 痴漢にあったことを思いだし、帝人はぶるぶると身体をふるわせた。
「そうだよね?なら、慣れてもらわないと」
 素晴らしくいい笑顔で、そんな事を言う臨也をもし咲耶が見たならば、このエロエロ魔神!と罵るだろう。だが、帝人は切羽詰まっているため、選択肢はないのだ。
「……はい。じゃあ、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
 
 帝人は礼儀正しく、挨拶をして出かけた。
 行ってらっしゃいと声を掛けてもらえることに喜びを感じながら。









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