「ああー、忙しい……!」 城之内は叫ぶ。 が、どれだけ叫んでもその手は休むことはない。目線も一瞬天井を見上げたがすぐに机上に戻る。 「煩い、城之内」 社長である海馬も城之内の叫び声に、眉間に皺を刻みながらも顔を上げない。 二人とも、本能的な文句は口から出せても無駄な時間は全くなかった。 そう、3月は決算である。 この「有限会社さんたくろーす」も世の中の会社と同じく多忙である。 掻き入れ時である12月はともかく、それ以外では3月が一番忙しい事は間違いない。 外の会社と違うことは、売り上げに対して人材が少ないことだ。人件費が一番高く付くから不必要な人は雇わない。常日頃は少人数で分担して仕事をこなしている。 おかげで、局地的に忙しい時その仕事量は殺人的だ。 「なあー海馬。この中長期計画これでいいのか?」 「いいに決まっている。だからお前に渡したんだ」 社長である海馬が計画を建てなければならない書類がたくさんあるから、海馬自身でできない事は城之内がパソコンで打つ。 「でもな、こんな計画でいいのか?見通しは〜?」 城之内は数字を打ち込みながら、唸る。 「実績だ。過去の実績を見てもわかる通り、増収増益だ。それくらい立つわ」 「……社長がそう言うならいいけど」 城之内はパソコン画面を見ながらブラインドタッチで打っていく。数字だけを打ち込む場合は殊更早い。この会社に入ってから覚えたパソコン機能も、数年立てば嫌でも慣れる。仕事の覚えは早いから城之内はすぐに仕事ができるようになった。 「なあ、これ経費で落ちる訳?」 「どれだ?」 「ここ。支店での福利厚生になるのかな?」 「……大丈夫だろ。多分。でも、金額が大きいな。何が打ち上げだ……」 各国に支店を持つこの会社であるが、支店事に大まかな権限が与えられている。全てを本社に問い合わせる訳ではない。厄介な仕事であったり求人だったっりと絶対に本社を通さなければならない事もあるが、例えば会社として日頃の慰安を兼ね社員を連れて食事に行く場合、中堅クラスの仕事のやり方等は任されている。それ以外でも社内で必用なものは支店長が決裁をする。 その、慰安目的の食事、酒代が妙に高額なのだ。 年間の予算というものが存在するのだが、果たしてこれはどうなのだろう。 しかし、あの支店のメンバーは確か酒飲みばかりが揃っていた。城之内は顔ぶれを思い出してため息を付く。きっと、ほとんど酒代だ。 「了解です。経費として落とします。……それより、さっきメールで来た書類そっちに送るから見てくれ。支店の教育計画だ」 「わかった」 城之内宛にメールで送られてきた教育に関する書類を一度目を通して海馬宛てにメールでまた送る。いちいち紙にプリントしなくともメールすれば、事足りる。最終的には書面で揃えるが、途中まではパソコン上で管理しチェックする事がほとんどだった。 さて、送られて来た書類の教育とは、社員教育のことである。 会社は、社員に新人教育から始まりステップアップや専門的な知識や社内で必用な教育をする義務がある。 入社したばかりの頃は自分に任される仕事や業界のことなど先輩から学ぶのが普通だ。OJTと呼ばれる教育方法である。 ステップアップや仕事上の専門的な教育は一般の教育機関の講座に参加させることもある。そういった社員の教育計画を1年分立てるのだ。 各支店から年間計画が送られ、本社でまとめて書類として残す。 「ああー、在庫があってないって。メール来てるぜ」 城之内はパソコンから顔を上げて海馬を見た。 次から次へと問題は尽きない。 「どこだ」 海馬の瞳は険しい。ここのところ徹夜続きなのだ。 「フォーク・カンパニーのとこ。まだあそこに2月にたくさん売ったベアがあるじゃん。それがあわないんだってさ。外のとこは大丈夫らしいけど……レンタル倉庫だから、入出庫の管理はしっかりしてるもんな」 年に二度、棚卸しが行われる。 繁盛期と閑散期の差が激しいため在庫はレンタル倉庫を使用している。そして、契約している生産工場の倉庫。クリスマス商戦だけではなく、今年の2月、3月はプロポーズ・ベアならぬ、メッセージ・ベアが売れたため、在庫移動が激しく数日前まで確定できていなかったのだ。 「ちっ……」 海馬は、珍しく舌打ちをする。 仕事は山のようにあり、やってもやっても終わらない。 毎年のことであるが、地獄のようだ。 普段であったなら、能率を考えて城之内が珈琲をいれたりするのだが、今は一分一秒が惜しかった。そのため、いい加減冷めてしまった珈琲が入ったカップが机の上にあるだけだ。 その、苛ついた海馬の表情を認めてさすがに城之内も不味いかもしれないと思う。 「海馬、10分でいいから休憩入れるか?インスタントくらいなら珈琲も新しくするぞ?」 気遣うような瞳で見られた海馬は、ふんと鼻を鳴らして眉間に深く皺を刻んだ。 「……ああ、珈琲だけ入れてくれ」 無愛想な顔に疲れが見えて城之内は内心吐息を付く。 海馬が切れる前に、なんとかならないかな……。 切れた海馬は全くもって手が付けれられないのだ。 城之内が椅子から立ち上がり、簡易キッチンへ歩きだそうとしたところに電話が鳴った。 「はい。……新一?……ああ、うん。そっちはどうだ?……はは、まあな。……わかった」 城之内は電話を取り、パソコン画面へ戻りメールをチェックする。 「来てるぜ。……サンキュー。うん、そうだな。今はこんなんだけど、今度絶対ゆっくりしような!約束、忘れてないよな?ああ!」 城之内は電話口で意気込む。 「じゃあな!」 ほぼ用件のみで電話を切ると、再び立ち上がる。 「どうした?」 「ああ、新一から。あっちで打ち込んでもらったやつ送ってくれた。それの確認。それと、無理するなって」 城之内はにこりと笑う。 同僚である新一も自宅で決算書類に勤しんでいる。電話には出ないけれどキッドも同様に仕事をしているだろう。 「そうか。……で、何を約束していたんだ?」 「約束っていうか、静香が逢いたいって言ってたからさ。今は忙しくてそれ所じゃないから、今度ゆっくり逢いたいなって。この間、新一に日本の桜が見られるところを教えるって約束したし」 基本的に城之内と新一は親しい。 だから、逢った時や仕事で電話をかけて来た時に世間話から約束をすることも当然ながらあった。 先日、約束したのが日本の花、桜が見られる場所へ連れていくというものだった。 この国の冬は長く、3月の現在でも雪が散らつき寒い。大地が緑豊かな恵みを受けるのは遅い春を迎えてからだ。その遅い春には綺麗な花々が一斉に咲き出す。 東の果てにある国、日本を代表する桜花がこの街に贈られたのは今から20年は前のことだ。国交親善という大使がやってきて、この街に桜花を植えていった。今では立派に育ち、ある小さな道だけ時期になると桜並木に変身するのだ。それが城之内は好きだった。 だから、見たことがないと言った新一に是非見せたかったのだ。 「ほう。……そうか」 海馬は意味深に口もとを歪めた。 「何?」 こういう時の海馬は何か企んでいる。そう城之内は経験上知っていた。だから思わず身構えた。 「……どうせ花見に行くなら、会社の慰安扱いにしておけ。費用は持ってやる」 「え?それって」 「目的は花見だけではないのだろう?だったら、社員の親睦を計るという理由で飲み食い代くらい出してやる。工藤にキッドに貴様とついでに貴様の妹にモクバ、この会社に関わっている人間を集めてな。……不服か?」 海馬は人の悪い笑みを浮かべた。 「……本当に?」 「ああ。それで、どうなのだ?」 「不服なんてある訳ねえじゃん。だったら、今から予定組んでおかねえとな。すっげー楽しみだ」 城之内は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。 疲れも吹き飛ぶ程だ。 「珈琲いれてくる」 城之内はご機嫌になりながら、スキップでも踏みそうに簡易キッチンへ向かった。しかし、一度顔だけ振り返ると。 「サンキューな、海馬!」 至極、幸せそうな目映い笑顔でお礼を言った。 その城之内の表情に、ほんの少しだけ海馬は目を見開いて表情を止めた。それを城之内は知らない。 END |