「有限会社さんたくろーす」5





「お帰り」
「ああ」
 海馬が帰ってきたのは、出かけていって2時間程経った後だった。その間城之内は仕事をこなしていた。パソコンで注文を受けるため、絶えずチェックを入れつつ在庫を睨んで出荷の準備をする。
 カードもお菓子の詰め合わせもぬいぐるみも予想以上に注文が来た場合は対応に追われる。カードは特に送り先の人物の名前を明記の上、何語であるのか決まらないと作れないため注文が来てから書くように依頼する。その数が多いと書いている人間は徹夜仕事だ。
 ちなみに、アラビア語やラテン語といった書き手が少ない文字は一手に新一が請け負っていた。彼の語学力は城之内からすれば同じ人間とは思えない程多彩だ。その上文字はこの上なく美しい。
 英語やフランス語という一般的な文字は筆跡がばれる可能性が高いので新一は書かないとは余談である。
「お疲れ」
 城之内は珈琲をいれるために立ち上がり小さなキッチンスペースへ向かった。そこで簡単にインスタントの珈琲をいれて海馬の机の上に置く。湯気が立っている珈琲は冷たい外から帰ってきた人間には何よりも嬉しいものだ。
 海馬はコートを脱いでソファにかけ、それを一口すすり椅子に座る。
 暖まったカップから手にじんわりと伝わる熱と喉を通って身体を暖める液体に海馬はほう、と息を漏らした。本当はしっかりといれた珈琲がいいのだが、さすがにこういう時に海馬も文句は言わない。
「で、どうだった?」
 城之内は成果を促す。城之内を断りわざわざ海馬が出かけていったのだから、それなりの結果がなくては許せない。
「俺が行ったのだ、向こうも何とかするだろう。……この時代に、来年から仕事がなくなるのは痛いだろう?」
「……お前、脅したの?」
「失礼な。公正なる話し合いだ。第一、納期を守れない工場は使えないと思われても仕方ないだろ?社会の常識だ」
「そうだけどな。確かにその通りだけど、でもお前、本気で契約を来年取り消す気じゃないだろ?あのプロポーズ・ベアを新たに事細かく指示して作るのはチェックするだけで大変じゃないか。今のところは条件がいい。品質がいいってお前言ってたじゃん」
 工場を無闇に変えるのはコストがかかる。
 品質の良い工場を押さえる事は案外難しいのだ。
「ふん。向こう次第だな」
 城之内の言うことは的を得ていて、海馬は鼻を鳴らした。
 今の工場を変える気がなかったとしても、そういうそぶりを見せてはいけないのだ。足下を見られたら終わりだ。
 交渉とは、いかに手の内を見せないでこちらに有利に持ち込むかだ。
 切り札を使うのは最後でなくてはならない。
 使わなければ、それに越したことはない。最終手段は取っておくものだ。
「それで城之内、仕事は終わったのか?」
「ああ、終わったぜ」
 言われた通り、今日の分の仕事は終えている。やることは常に山ほどだからいつも区切りを付けているのだ。
「何が食べたい?」
 海馬は立ち上がりコートを手に取る。
「……本当に、奢ってくれる訳?」
「俺は無駄な嘘は付かない」
 小首を傾げて見上げる城之内に海馬はきっぱりと彼らしく明言した。
「だよな。……えっとさ、でも、俺一人だけ飯食べるってのは、やっぱりできない。家で静香が待ってるし」
 城之内の妹は身体が弱く、普段は家の中で家事をしている。
 城之内はたった二人の家族である妹を大切にしていて、毎日彼女の作る質素だが暖かいご飯を食べている。妹を置いて一人だけ美味しいものを食べるのは気が引けた。
「それなら、妹も一緒でいい。俺もモクバを呼ぶ」
「本当に?いいのか?」
 城之内は顔を輝かせた。妹に美味しい物を食べさせられることが大層嬉しいのだ。
「ああ。食事は多い方がいいだろう」
 海馬はいつになく穏やかな目で滅多に見られない微笑を浮かべた。
 モクバとは海馬の弟だ。まだ高校生だから仕事はしていないが……バイト程度ならある……将来はこの会社に入る気らしい。城之内は何度もモクバと逢ったことがあるから、一緒にご飯を食べることは大歓迎だった。
「では、行くか」
「ああ、わかった。じゃあ準備する」
 城之内は立ち上げていたパソコンの電源を落とし机の上にあった書類を片付け引き出しに仕舞う。そして上着を着て鍵を持つ。
「家、電話していいか?」
 城之内がお伺いを海馬に立てた。
「ああ、使え」
 普段社内の電話を私用で使ってはならないのだが、今日はお許しが出た。
 城之内は家に電話を掛けて静香に一緒に出かけ事を伝えた。妹の嬉しそうな声に城之内も嬉しくなる。
「なあ、待ち合わせ場所は?それとも途中で静香を拾っていく?」
 受話器を耳に当てながら城之内は海馬に聞いた。
「ああ、拾って行けばいい。すぐに付くからアパートの前で待っていろ」
 了解と頷いて、城之内は妹に伝えた。今から用意してアパートの前に出てくるのなら、そんなに待たせることはないはずだ。このビルから城之内の住んでいるアパートまでは徒歩で10分の距離だ。
「城之内」
 呼ばれて城之内は慌てて電話を切りドアの外まで出て扉に鍵をかけた。そして先に歩き出している海馬の後ろを小走りに付いて行った。
 
 


 
「こんばんは、海馬さん」
「ああ」
 海馬は横目で少女を見て返事をするとそのまま歩き出した。
 二人が会社から歩いてくると、アパートの入り口にはコートを着た城之内の妹、静香が立っていた。彼女は薄茶の長い髪に琥珀の瞳をの持ち主で顔かたちは兄によく似ている。そして病弱な感はあるが、どこから見ても十分に美少女だった。
「待ったか、静香?身体冷えてないか?」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
 海馬に挨拶をした後、心配症の兄に静香は微笑む。
「だったらいいけど、無理するなよ」
 お前はすぐに風邪を引いて寝込むからと城之内は付け加えた。
「このくらい最近はいいってば。そんなに心配するとお兄ちゃん禿げるわよ」
「禿げるかって」
 くすくすと笑みを漏らす静香に城之内は唇を尖らせた。妹にからかわれるなんて兄の立つ瀬がない。城之内は自身の金色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
 そして、離れた先を歩いている海馬の後を慌てて走って追い付いた。
 雪道を歩いて15分ほどの場所に地元で美味しいと有名な店の看板がさりげなく下がっている。一見見逃しそうな厚い木材でできた看板には店名が彫ってある。その店の前に海馬の弟モクバが待っていた。兄とは違う色の黒髪に黒い瞳という容姿だ。あと少しで青年になりかけたの少年は端正な顔立ちでそこだけ兄弟よく似ていた。
「よう、モクバ」
「モクバ君こんばんは」
「待たせたか、モクバ」
 三者三様の言葉にモクバは苦笑する。そして、城之内兄妹には、久しぶりだなと返して兄にはさっき来たところだよと言った。
「予約はさっきしたから、入るぞ」
 海馬はそう促して3人を引き連れて店内に入った。重厚な扉を開くと中はとても暖かかった。そして、食欲をそそる匂いが玄関にまで漂って来る。
 人気の店は予約していないといくらか待たなければならないのが常だ。
 海馬が名前を告げると、ボーイが脱いだコートを受け取り4人掛けのテーブルに案内した。
 海馬兄弟、城之内兄妹が隣に座り、兄同士、弟妹同士が正面だ。
 実はこのメンバーで食事をするのは初めてではないので、この席順は定位置と言って良かった。
「何にしよう?」
 城之内はメニューを渡されて悩んだ。この店はビーフシチューが美味しいと評判の店だ。それを目的で訪れる客がほとんどと言っていい。
「何を悩む?貴様はビーフシチューではないのか?」
 海馬が城之内に問う理由は、城之内がここのビーフシチューを好んでいることを知っているからだ。よく煮込まれた肉は柔らかくシチューの味はコクがあって最後の一滴まで旨いと以前来店した時に褒めちぎっていたことを海馬は覚えていた。
「え?ビーフシチューは決まりだぜ。そうじゃなくてさ、サラダをどうしようかと思って。ここサラダの種類も豊富だから悩むぜ……」
「貴様は馬鹿か?いくつか種類を頼んで分ければ良かろう」
 そんな事で真剣に悩む城之内に海馬は呆れたように提案した。
「お兄ちゃん、じゃあ私と違うのにしようよ、ね」
 にっこりと微笑んですかさず静香はフォローする。それに笑顔を向けて城之内は頷いた。
「俺と分けような、静香」
「うん」
「静香が先に選べよ、俺は違うのにするから」
「え、いいよ、お兄ちゃん選んで」
「いいや、お前が選べ」
「……じゃあ、お兄ちゃんが好きなシーフードにする。だからお兄ちゃんは静香の好きな温野菜のサラダにしよ?」
「いいぜ」
 微笑みあう二人に入り込む隙間はどこにもなかった。
 それぞれ好きなものを頼むんではなく、互いの好きなものを頼む精神構造はかなり人並み外れている。
 この兄妹は仲が大層いい。傍目には恋人同士のように仲がいい。二人の容姿が似通っているせいで、血のつながりを確信できるからこそ当てられていると思わないけれど、そうでなかったら腕は組む、抱き合う、見つめ合うと人目も憚らない。
「……」
「俺も一緒にしてよ。そうすれば、いろんな種類が食べられるぜ城之内」
 海馬は無言を保つが、モクバはそれに乗った。
「だよな」
 城之内はモクバににこりと笑って同意した。まるで子供みたいな笑顔だった。
 そんな城之内をモクバは気に入っていたし、目の前の仲の良い兄妹が微笑ましかったので4人で食事する事が好きだった。だから兄から誘われて断った事はない。
「決まったか?注文するぞ」
 海馬はまるで引率者のようにどれがいいと騒いでいる子供をまとめて注文を聞いてボーイを呼んだ。
「ビーフシチュー4つ、シーフードサラダ、温野菜のサラダ、キノコのサラダ、トマトのサラダに、パン。それからハウスワインの赤、食後に珈琲だ」
 もちろん、ワインは兄二人の飲み物だった。
 下二人は未成年ということで、認められない。
 この国は子供だってワインくらい飲むから未成年などという理由で怒られることもないし、店側から拒否されることもない。それならなぜかと聞かれたら外では飲むな、ということだ。家であれば目を瞑るけれど外では二人の兄は許さなかった。
 それは、兄であり、親代わりであるせいだ。
 海馬兄弟も城之内兄妹と同じく二人きりの家族だ。両親がなくなって今は海馬がモクバを育てている。父から受け継いだ会社をここまで大きくしたのは海馬の力が大きい。
 
 



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