「有限会社さんたくろーす」4





「ここ?」
「ええ、ここみたいですね」
 二人がやってきた場所はイギリスの辺鄙な田舎だ。ヒースロー空港から車で2時間程の位置にある街の少し外れにある屋敷。降り積もった雪で一面銀色に染められていた。
 正門で依頼の件を話すと、屋敷に通された。
 書類にあった通り、話しは付いていて準備するための部屋を貸して貰うことになった。
 今回の依頼者は、この屋敷の主である老人だった。厳つい顔をした眼光鋭い一見偏屈そうな老人だ。
 メッセージを届ける相手は、彼の孫息子。
 まだ7歳の子供だが、足が悪くて歩くことができない。そのせいで、親しい友達もいなくて普段から臥せっている。そんな孫に少しでも希望を与えたいとメッセンジャーを依頼したのだそうだ。
 見かけはしかめ面の老人が縋るように、よろしくお願いしますと頭を下げた姿が印象的だった。
「夜、12時なんだよな」
「ええ、ベランダから入るようにという指示ですから、私がお連れしますよ」
 少年の部屋の窓、ベランダから天使がやってきたように登場しなくてはならない。隣の部屋からキッドと共に降り立つのが一番確実で安全だろう。
 天使として少年に希望を与えて欲しいという老人は新一を見て嬉しそうに笑った。
 何でも、想像通りの容姿だったのだそうだ。実は新一が少年の大切にしている児童書に出てくる天使そっくりなのだ。
 黒髪で蒼い瞳の美しい天使。
 メッセンジャーの話を聞いた時、そんな容姿の人間がいることに驚き喜んだ。天使を貸します、といったキャッチフレースに思わず老人は会社に申し込んだのだという。
「天使を貸します」とは何というネーミングセンスであるのか、それはやはり社長のセンスであるのか、的確であっても今一頭を悩ますコピーに二人は肩を落とした。
 しかし、新一はできるかぎりがんばりますと返した。
 そして、天使の衣装を着替えて時計を見ながら今かと待っていた。
 白いたっぷりのドレープが入った衣装は腰で結ばれていて細さが際だっている。足下はサンダルのようなもので、この寒空の中裸足だ。首もとや手首には蒼い宝石が輝き、頭には天使の輪を付けている。
 キッドは黒衣の正装の姿をしている。新一と対照的だが引き立つ衣装だ。
「では、行きますよ」
「ああ」
 新一はキッドの首に腕を回して抱きついた。キッドは新一を抱きしめたままベランダから隣の部屋のベランダにふわりと飛び下りた。一瞬の浮遊感は空を飛んだような気がした。
 新一はキッドからそっと離れると、ガラス窓を開けた。
 音を立てて開いた窓から中に入ると、室内はベッドの枕元にある明かりだけで暗かった。新一はそのままゆっくりと歩く。
 ベッドに寝ているだろう少年が人の気配に反応して上半身を起こした。そして新一の姿を認めて目を見開く。
「……」
 少年は新一をただ一心に見つめてまるで息を止めてしまったかのように身動きしない。
「メリークリスマス、ハワード」
 新一が少年の枕元にたどり着き、にこりと極上の微笑を浮かべ綺麗な英語の発音で言葉を紡ぐ。
「……天使様?」
「そうだよ、ハワード」
 微笑んだ新一の綺麗な顔を凝視して、ハワード少年は訪ねた。
 天使が本当にいるなんて、思わなかった。
 しかし、自分が読んでいる児童書に出てくる天使そのものだ。その証拠に天使の輪が頭に輝いていた。
「えっと、でも、まだクリスマスじゃないよ。どうして?」
 クリスマスに来るのはサンタクロースだけれど、天使だって現れるだろうとは思う。キリストの誕生日には天使が祝福して飛んでいたのだから。
「それはね、クリスマスの1日では回れないためだよ。私は一人だから、全ての人のところに行ける力はない。私を強く呼んでくれる場所に順番に回っているんだ。ハワードは呼んだだろ?」
「呼んだ。すごい、わかるんだ」
 ハワードは感嘆して声を上げる。
「わかるよ。本当に呼んでいる声は届くものだ」
「そうなんだ」
「ああ」
 新一は頷いた。ハワードは綺麗な天使を見つめてしばらく逡巡するが思い切ったように口を開いた。
「僕、歩けないんだ。歩けるようになるかな?天使様」
 それは、誰にも言えなかった言葉だ。
 自分を心配して気づかう家族には、聞けなかったことだ。聞いたら困るだろうと幼心にもわかっていた。大丈夫だよ、歩けるようになるよと慰められる事も嫌だった。
 だから、ハワードは天使に聞いてみたかった。天使なら正直に答えてくれると思ったのだ。
「ハワードは歩きたいだろう?だったら歩ける。神が願いを叶える事は容易い。けれど、神は全ての者の願いを聞く程暇ではない。神は、人間に試練を与えた。試練とは人それぞれ違うものだ。ハワードの場合は、それが今歩けないことなのだろう。その代わり、ハワードは歩けない人の気持ちがわかる。どんな事が困るか、悲しいかわかる。どうしたら助かるのかもわかる。ハワードは人の気持ちがわかる人間になれる。そして、ハワードが歩くのだと自分で決めれば、そう遠くない未来歩くだろう。願うだけでは、駄目だ。ハワードができる事をしなさい。私の言う事がわかるか?」
「……うん」
 ハワードは真摯な瞳で新一を見つめた。
 天使は優しい事を言う存在ではない。願いを叶える存在でもない。けれど、まるで予言のように自分に事実を突きつけた。
 願うのではなく、自分でやれと言う。
 そうすれば、歩けるのだ。天使は自分が未来に歩く、と断言するのだ。
 それを叶えるのは自分だ。
 目の前が開けたような気がした。誰も気休めでしか言ってくれない言葉を天使は断言してくれるのだ。こんなに嬉しいことはない。
「僕、歩くよ。それに今の僕があるから、歩けない人の気持ちがわかる。試練ってそういうことでしょ?聖書で読んだよ。与えられた試練を疑ってはいけないって書いてあった」
「よく知っているね」
「うん」
 誉められてハワードは嬉しそうに笑った。新一はそんな少年の頭を撫でてやる。そして、目を細めて笑った。
「今日はハワードのために、仲間を呼んだんだ。彼はマジシャンなんだよ」
 新一は、開いたままの窓を指差した。その先に黒衣の青年が姿を現した。そして、優雅に一礼して室内に歩いてくる。部屋の中央まで来て彼は何もないところからシルクハットを取り出して、中に手を入れるとそこから薔薇の花を抜き出した。
 1本、2本、3本と次々に現れる薔薇の花はこの冬だというのに、綺麗に咲いていた。花びらから甘い香りがする。そこから確かに本物だとわかる。
 マジシャンはその薔薇の束を掴んで白い布を被せると小さく呪文を唱えて布を取り去った。
 すると、そこにはクマのぬいぐるみが座っていた。
 マジシャンはそのクマをハワードの手元に投げた。放物線を描いてベッドの上の手元に落ちて来たクマのぬいぐるみにハワードは目を丸くして嬉しそうに口元を和らげる。
「どうぞ」
「ありがとう」
 ハワードはマジシャンにお礼を言った。
 そして、マジシャンはシルクハットを大きく振って、色とりどりの光の粒を部屋中に撒き散らした。暗い室内に金色の粒子がきらきらと光る。見たこともない幻想的な光景にハワードの目は釘付けだ。
「すごい」
 驚嘆して大きく目を見開いて部屋の情景見つめるハワードに新一は静かに諭した。
「君の未来は君だけのものだ。思うままに生きなさい」
「……はい」
 ハワードはしっかりと頷いた。
 彼にとって、それは違えることのない約束だ。天使と交わす約束だ。
「ハワードを、これからも見守っているよ」
 そう新一が言うと、一際室内の輝きが増して、眩しいと思った後には誰もしなかった。
 幻みたいに天使もマジシャンも消えていた。
 自分の体験した事が確かに現実だと証明できるものは、手の中にあるクマのぬいぐるみだけだ。ハワードはそのクマを自分の隣に並べて眠ることにした。
 今夜見る夢は、あの天使の夢だ。
 
 



 二人はすでに屋敷の門の外にいた。
 衣装の準備をしてから着替え等の荷物は全て運び出しておいたから、少年の部屋から消えてそのまま外までキッドが新一を連れて飛んだのだ。今は着替える時間がないため、大きくて暖かなコートを着て姿を隠している。
 新一は無言で少年の部屋であろう窓を見つめた。すでに明かりは付いていない。
「……きっと、彼は希望を手に入れましたよ」
 願うように見つめる新一の気持ちが手に取るようにわかって、キッドは口を開く。
「そうかな」
「もちろんです」
 キッドがきっぱりと自信ありげに頷くので新一も微笑した。
 こんなメッセンジャーも悪くない。
 自分が天使を演じるのは、おこがましいとは思うけれどそれでも少年が前を向いてくれたらいい。友達だって己の心持ちでいくらでもできる。
 そして、自分で歩くと決めたら歩けるのだ。
 聞いた話によると、リハビリに励めば歩くことは夢ではないそうだ。
 このまま歩けないのではないか、という不安は何よりリハビリを妨げる。家族から大丈夫だと言われても、信じるには少年は賢すぎた。
 仕事として受けたメッセンジャーであるが、自分にこんな仕事を回してくれた海馬社長に新一は感謝したい気分だった。
 新一にあわせてこのメッセンジャーの仕事を受けてくれたみたいだ。
 他に依頼があったかどうかなんて、知らない。これから、どんな依頼があるのかもしれない。お金をもらうのだから、仕事はきちんとするのが新一の嘘偽らざる気持ちだ。
 けれど、つまるところ、海馬はいい社長であり経営者であるのだろうと新一は思った。
 適材適所がよくわかっていて、人の使い方が上手い。上に立つ者に必用なものを持っている。新一はそう分析していた。
「行くか、冷えるし」
「ええ」
 すぐ近くにホテルが取ってある。そこで1泊して明日帰る予定だ。
 キッドは新一の背に腕を回して雪道を歩き始めた。
 




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