「さてと、どこの国だ?」 「イギリスみたいですね」 書類には依頼主と依頼先の住所、地図が記されていた。 報酬は1万ドル。出来高払いで、半分が新一の取り分となる。 飛行機代などの移動費は別途支給。 仕事内容は、メッセンジャー。 ただし、衣装は指定されていた。 スーツケースに入れられて衣装は純白の天使を模したものだ。豊富な布地を使った上品な洋服。宝飾品は持参。新一が持っている宝飾品を適当にあわせて使用すること、それのレンタル代は払うとあった。 「キッド、これにあわせるのは、どれがいい?」 彼らは打ち合わせのために一度借りているアパートメントまで帰ってきていた。これから海外へ行くのだから当然である。仕事自体はそれほど時間はかからないが、イギリスはイギリスでも目的の屋敷は少々辺鄙な場所にある。そして時間も指定されているから、1泊は覚悟しておいた方がいいだろう。 パスポートや旅行の準備をして、衣装あわせをした。 新一がその衣装を纏うと、本物の天使がこの地上に舞い降りたかと錯覚するほど似合った。神秘的な蒼い瞳はどこまでも澄んでいて、人の心の奥底まで踏み込んで来る。 惹き込まれてしまったら最後抗うことなど出来ず、ただ焦がれるしかない。 「そうですね、これはいかがですか?貴方の蒼い瞳にぴったりです」 キッドが差し出したのは蒼い宝石。大粒のサファイアだった。 「そうか、じゃあこれにする」 新一は素直にそれを受け取って身に付けた。 部屋のベッドの上に並べられた宝石は、新一のものだ。 彼は実はある小国の王子だ。それも困ったことに第一王子。つまり第一王位継承者だ。 彼の下に年の近い第一王女と年の離れた第二王子が一人ずつ。兄妹仲は大層良く両親は民衆から慕われる賢王と王妃として有名だった。 蝶よ花よと育てられた新一は国民から慕われて愛されてすくすくと育ち、帝王学を身につけた。将来は素晴らしい王になるだろうと評判で、そのまま時間が流れれば新一は国王の座に付いただろう。 が、新一とキッドは出逢ってしまった。 キッドが王宮に忍び込んだ先で出逢った王子は、キッドが今まで生きてきた中で見たこともない程美しく稀に見る宝石の瞳をしていた。 一目で恋に落ちた。 その日から彼の顔がちらついて離れなくて寝ることさえもできない。 いよいよこの病も末期かもしれないと自覚して再び王宮に忍び込み、奥宮の私室などどこにあるか探し当てる事は難しいのだが、本当に偶然に新一に巡り逢えた。 彼が自分に好意を持ってくれていると知った時どれほど嬉しかったかしれない。例え叶わない恋だとしても、諦めることなどできなかった。 新一に隣国の王女との結婚話が出た時、キッドはどうするか悩んだ。 あまりにも立場が違い過ぎて、自分が彼を不幸にしてしまったらと……。 結局新一はキッドと共に生きることを選んだ。自分の生まれた国を愛された家族を国民を捨てて。それがどれほどの覚悟が必用か想像するだけで胸が痛い。 キッドには暖かな家族はいなかった。 小さな頃に捨てられて、拾われた先は泥棒を生業とする集団だったのだ。表向きは旅芸人だった集団の中で奇術師の技を覚えた。そして、裏の仕事として泥棒としての仕事を叩き込まれた。どこにも行く所のない子供が仕事を覚え食べられるだけ増しだった。だからキッドは熱心に学んだ。その決して健全ではない場所で生きて行く術を覚えて、結局怪盗なんて者になった。 新一はキッドを照らす光だ。 犯罪者の自分とは対極に位置する聖者のごとく人間。本当なら一国の王になる器の貴人。そんな彼が自分を選び側にいるというのだから、キッドはいつもその幸せに慣れない。 「どうだ?」 「ええ、ぴったりです」 キッドを見上げた新一ににこりと微笑む。 新一が今身に付けている宝石は彼がわざわざ持ってきたという訳では決してない。 第一新一はそんな事をするような人間ではない。それならなぜ駆け落ちの際宝石を持参したかというと、新一の国は宝石を普段身に纏うのが習慣なのだ。民族衣装も布をたっぷりと使ったものでその上から宝石を身につける。 天文学的な宝石の数々は自国で取れる宝石サファイアが主で、王宮の宝であり財源でもある。国には小さいながらも鉱山があり良質のサファイアが取れることで有名だった。 中でも大粒で深い色合いの透明感が美しい『王者の蒼』と呼ばれるサファイアは王宮深くにあり門外不出だ。戴冠式の際にしか見ることができない、と言われている。 新一は着の身着のままキッドと駆け落ちをしたけれど、その身には数々の宝石を纏っていた。新一の身を飾るのは彼の瞳の色にあわせたサファイアと煌めくダイヤモンド。そして、ルビーにエメラルドと貴石が多かった。新一が身につけて持ってきた宝石は全部あわえせると、やはり目の玉が飛び出るような金額になるだろう。それを売るという概念が新一にはないし、キッドも売るつもりもいため、仕事をしながら細々と暮らしている。 それに、売ると足が付くこと請け合いだ。 キッドは新一に苦労をさせたくなかった。 しかし、彼は根底から王の器であるためか、何事も鷹揚に構える人間だった。守られるだけの王など彼の中には存在しないのだ。王は王としての努めを果たしてこそ、王としての存在が認めれる。王としての贅沢な生活があるのは、その必然性のためだ。王は国民のために生きて死ぬ。 そんな教育を受けた新一は、一人で立つ人間だった。 世間知らずで箱入りだけれど、彼はそんな事ちっとも気にしないで逞しく生きる。 本当は国民に向けられた視線も愛情も全てをキッドに向けてくれている。それが嬉しくもあり、苦しくもある。ただ、自分を選んでくれた新一が愛おしくて大切で、これ以上どうしていいかわからない。 キッドは新一と駆け落ちして以来怪盗としての仕事をしっていなかった。 その金で新一と暮らすことは憚られた。 得意とするマジックで行商して金を稼ぐ傍ら、今は共に同じ会社で働いている。新一が楽しそうに働いている様子がキッドは見ているだけで嬉しい。 同じ社員の城之内とは気があうらしく、新一は逢うとよく世間話をしている。彼は真っ直ぐで嘘を付かず気持ちのいい人間だ。誰からも好かれるだろう。反面社長の海馬は無駄な事をしない冷静な経営者で冷酷だと言われるが新一は全面的に信じていた。自分に回される仕事を疑いもしないし、本国の追手に売られる心配もしていない。 新一の人を見る目というのは、キッド同様に本質を見極める。 新一はその王となる資質のため、キッドは泥棒として生きてきたためだ。 「キッド?」 新一が困ったようにキッドを下から覗き込む。 ぼんやりと思考を飛ばしていたキッドにどうしていいか困惑しているのだ。 「ああ、すみません」 「ぼんやりして、何かあったか?疲れた?」 気づかうように瞳を揺らめかせて真っ直ぐに見上げてくる瞳が、溜まらなく切ない。 「疲れてなんていません。心配かけてすみませんでした。何もありませんよ」 しかし、新一はキッドの表面に過ぎない笑顔に誤魔化されなかった。 「……何だ?お前、どうしてそんなに悲しそうに笑うんだ?最初から諦めたみたいに笑わないでくれ」 新一の瞳には嘘も誤魔化しも通用しないようだ。 キッドの不安を映し出して、暴くように晒け出させる。 「なあ、キッド。俺と来たことを後悔しているのか?俺はお前の負担になっている?」 真摯な口調で新一はキッドの瞳の奥までを見つめた。 「そんな、そんな事あるはずがありません!」 誤解も甚だしい言葉にキッドはきっぱりと否定した。 そんなことはある訳がないのだ。 「私は貴方を愛しています。この世の何よりもです。自分より大切です。これは何があっても変わりません。変えようがありません。貴方を諦めることができたなら、今ここに私がいるはずがないのです。それができるなら、とうの昔にしています……」 苦しげにキッドは告白する。 「私が貴方に相応しくない。後悔なんて何度でもします。国王になるであろう貴方を、私自身が縛り付けている。貴方を必用としている人間がどれだけ多いことか。それがわかっていても、私は貴方を手放せない。傍らにいて欲しいと思ってしまう。それが叶えられるなら何でもします。例え悪魔に魂を売っても構いません。私は、自分の侵した罪を知っている。だから罰などどれほどでも受けるでしょう」 矛盾しているのだ。 自分が大罪を犯したと知っていても、新一を手放せないのだ。罰をどれだけ受けても責められても、彼だけは離せない。 けれど、心の底でいつか彼を返さなければならないのではないか、と思う。このままの幸せが長く続くとは思えない。 今だけでも。共にいたい。 彼の側にいたい。瞳に映していたい。 そして、できるなら、望めるなら、ずっといて欲しい。 自分にできることで彼が離れないのなら、悪魔と契約だってする。 けれど、彼の幸せだけを祈っている。 独占していい人ではない。 個人が独占できるような人ではない。 人の上に立つ人だ。王になるために生まれてきた人だ。 彼の頭上に王冠が見える。輝かしい金色の王冠には蒼い宝石が付いている。祝福する人々の声が聞こえる。 幻想であるとわかっていても、その想像は本来のあるべき姿だった。 この目でそれを見たら誇らしく感じるだろうか。嬉しく感じるだろうか。 それとも、悲しくて堪らないだろうか。 どれも本心なのだ。 全て自分の気持ちで、嘘じゃない。選べない自分は意気地がないだけなのかもしれない。 「キッド」 新一はキッドの名前を呼ぶ。 「はい」 少しだけ瞳を揺らめかせて視線を戻すと新一はキッドを射るように見上げた。 「俺が俺である限り、お前はずっと苦しむのかな。でも、俺は自分を変えられない。国を国民を家族を捨てても、この身に流れる血はどれだけ経っても変わらないのと同じように、俺の本質はこのままだ。変える事はもはや不可能だ。でも……だからお前を愛している。俺を構成するものが王族としての誇りであるのか刻まれた遺伝子なのか血なのか定かではないけれど、そのどれが欠けていてもいけない。お前が忘れてくれない拘っているこの血を持つ俺が、今の俺だからこそ、キッドが好きだよ。傍にいたいと思う。俺がここにいるのは俺の意志だ。誰に強要もされていない。……なあ、キッド」 「はい」 「相応しくないなんて、言うな。後悔はしてもいいけど、お願いだから俺との距離を作らないでくれ。折角一緒にいるのに、触れられる距離にいるのに心が遠いなんて勿体ないだろ?」 新一はキッドの頬に手を伸ばした。その手をキッドは上から包む。 「キッドが怪盗でも、過去に何があっても俺がキッドを好きな事は変わらないよ。例え人を殺しても、罪を犯してもだ。俺は勝手だし我が儘なんだ。一般的な倫理なんてどうでもいい。……王位は妹か弟が継ぐ。そして国を治めるさ。だから、俺が戻る必用はない。俺がいなくても、大丈夫なんだ。国なんてそんなものだ、キッド」 国というものを見据えているのか、その言葉には迷いはなかった。 誰が継いでもいいと新一は言う。もちろん妹弟を信用しているのだろうけれど、できるなら最も相応しいと思われる人間に国王になって欲しいと思うのが国民の希望ではないだろうか。 それとも、しっかりした基盤の上に成り立つ国は誠実な王でありさえすればやっていけると信じているのだろうか。 どちらにしても、新一が自分が戻らなくても国は大丈夫だと安心していることはわかる。そして、戻る気もないことも……。 「新一……、すみませんでした。己に自信がないせいで、貴方を不愉快にさせてしまった」 「不愉快なんて感じていない。キッドが不安なら、何度でも言おう。俺はお前から離れない。国にも戻らない。あの時、そう決めたんだ」 「はい」 そう断言して強い瞳で告げる新一は、正しく王だった。 今は、キッドだけの王だ。 キッドの生まれは定かではないとはいえ、捨てられていた街は新一の国だ。だから、どう考えてもキッドは新一の国民の一人であったのだろう。その後拾われた盗賊集団と転々と各国を旅したが、キッドの故郷は多分あの美しい国。 我が王……。 自分たった一人だけの美しい王。頭上の冠はキッドだけに見える。 キッドは新一の白い手を取り甲に口付けを落とす。恭しく、敬愛と愛情と親愛を込めて。 「ずっと、側に」 いつも願っていた誓いを口に乗せ、敬虔な信者のように項垂れた。 |