「サクラサク」




 問題集を広げてさらさらとノートに書き込む。
 ふと、考えるそぶりで思考する時のくせなのか、ペンを持ったまま細い指を顎に当てる。
 そんな仕草さえ絵になって、向かいで一緒に勉学に勤しんでいた快斗は見惚れた。

 「………新一、休憩する?」

 快斗はそっと声をかけた。
 集中している時の新一は目の前の快斗の存在さえ忘れてしまうのだ。
 それは感嘆するほど尊敬するけれど、少し口惜しい。
 自分の方を見てほしいだなんて、口には出せないけれど………。
 少しくらい、いいかなと思う。

 「………ああ、そうだな、そうするか」

 新一は随分時間が経過していたことに気付き、同意した。
 勉強に付き合わせているのだから、そろそろ休憩したくなってもしかたない、と新一は的外れな事を思う。

 「じゃ、用意してくる」

 快斗は席を立つとキッチンで慣れた仕草で紅茶を入れる。
 何度も来ている工藤邸。キッチンも使い慣れてしまった。
 おかげで、彼の好きな紅茶の缶も数種類戸棚に並んでいるほどだ。
 それだけここに入り浸り、新一と一緒にいられて、それが許されていることに嬉しくなる。

 「はい、どうぞ」

 快斗は白地に青い模様のカップに自慢の紅茶を入れて、新一の目の前に置いた。

 「ありがとう」

 素直に受け取り、口を付ける。

 「美味しい?」
 「ああ、美味しい」
 「良かった………」

 快斗は安心したように自分も紅茶を飲む干す。

 「毎回、悪いな。無理に付き合わなくてもいいんだぞ?」

 新一は高校を辞めてから、ひとまず身体の調子を整えつつ、大検でも受けようかと最近勉学に勤しんでいた。もともと頭のいい新一だからそれほど問題もないが、……予備校に行く気もなかったし……学校でどんな風に学んでいるのかは知りたかった。参考書なども何を使うのか等、現役の高校生の情報に勝る物はないだろう。
 快斗はその点、ずば抜けて頭が良かった。
 思考力といおうか、理解力、記憶力が優れているのは少し話をしてみただけでわかることだった。

 「悪いなんてないよ、無理なんてしてない。俺が自主的に来てるの」
 「そうか………?でも、お前一緒に勉強する必要ないだろう?東都大学合格程度は軽いだろうし。ま、変な所で馬鹿だがな………」

 新一は過去の快斗の行動を思い出す。自分を捜した気力と努力は馬鹿としか思えなかった。

 「ひどい、新一。馬鹿って何だよ、これでもIQ400なのに………!」
 「それはない。IQ400なんてありえない。お前がどれほど頭脳明晰か知っているが、それは偽称だ」
 「新一?偽称って………」
 「IQとは知能指数、『intelligence quotient』の略だ。(精神年齢÷生活年齢)×100で算出される。平均値が100になるように造られたそれは、計算式上満点を取っても200を越えることはない。つまり、400なんて数字は生まれないんだ。それくらい、お前だって知ってるだろう?」

 新一が笑う。
 きっぱりと一刀両断された快斗は苦笑を浮かべるしかない。

 「それに、IQは不変でもない。子供時代に、例えば8歳時、10歳時、計る時期が違えば変わることなど、往々にありえる。このテストで計ることができるのは人間の能力のごく一部に過ぎず、『記憶力』『空間把握』『語彙』『計算力』だ」

 快斗が感心するほど迷いもなく語られる知識。
 それは快斗より、ずっと真実を見ることができる新一の特権。

 「俺の推測では、IQ400は物の例えだったんだろう?それだけ、頭の回転が良かった。それだけだ」
 「う〜ん、ご名答。じゃあ、俺がそう言い続けてる意味も?」
 「そんなのもっと簡単だろう。お前は自分の能力の隠れ蓑にその言葉を使っているに過ぎない。IQが高いんですって、言っておけば少々頭の回転が良かろうが記憶力がコンピューター並であろうが誤魔化せるだろう?」

 新一は白々しいと冷たい目で快斗を見る。
 快斗は降参です、と両手あげてみせた。

 「感服しますよ、名探偵」

 快斗はKIDの口調で敬服してみせる。

 「これくらい、考えるまでもねえっ」

 新一は嫌そうに吐き捨てた。

 子供時代に、IQの高さが噂され、尾ひれが付いた。
 日本でもIQが高いと研究機関からお呼びがかかる。
 そして、できすぎる能力は皆一緒を望む平均的教育の日本では浮いた。
 その中で段々誤魔化すことを覚える。笑って、俺はIQが高いんだって!と冗談半分に言っていれば誰も事実の重要性など問題にしなくなる。明るい気分屋でいれば、そんなの信じられないわ、と笑われるようになる。事実、そうなった………。

 なのに、なぜ?
 この目の前の人は全てを当たり前と見抜くのか?



 新一は快斗が心の奥底で何か考えていることを察する。
 また、下らないことを考えてるな、と思う。
 だから、一言。

 「お前は、EQでも磨いておけ………!」

 EQとはダニエル・ゴールマンが唱える心の知能指数の事である。
 その能力は自己に厳しく無償の努力をしないと身に付かないのだ。

 「承知しました………」

 怪盗をしている自分が頷ける話ではないが、そういう意味ではないのだろう。
 だから、快斗はにっこりと頷いた。
 自分を信じていてくれる目の前の希有な探偵であり、愛おしい存在に、誓う思いで。
 新一は快斗の柔らかな笑顔を見て、ふん、と横を向いた。
 けれど、耳が少々赤くなっているのに、もちろん快斗は気付いていた。



 今度の春には『桜が咲く』だろうか?


                                         END









 追記。


 EQとは・・・。


 EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授ピーター・サロヴェイ博士とニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士によって理論化された概念で、日本では「情動(こころ)の知能指数」と訳されています。
 EQとは、自分の感情を知り、現実的な自己モデルを形成してそれを行動の指針とする能力(心内知性)と、周囲の人の気分や動機、欲求をとらえて適切な行動をする能力(対人知性)とを合わせた能力(人格的知性)のことで、よく知られているIQ(論理数学的知性や言語的知性など)と同じように、情動の関する能力も人間の知性の一部であるという考えに基づく概念です。
 またピーター・サロヴェイ博士はEQを次の5つの領域に分けて説明しています。
                    (ダニエル・ゴールマン「EQ─こころの知能指数」著より抜粋)





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