はじめに。 最初に、ひとつ言っておきたい事がある。それは誰にでも大恋愛ができるという訳ではないことだ。こればかりはその人物の人間性や感受性などある一定の条件が必要だ。ただ、恋愛とはある意味思い込みの産物であるから、これが大恋愛なのだ、と本人が思えば「大恋愛」であることは、間違いではない………。 本書は「大恋愛のあり方、条件を考察すると共に、いかにそれを逃さないで引き寄せられるか」を問うものである。これを読んで少しでも恋愛に興味を持ってもらい、豊かな人生を歩んでもらうことを希望する。 さて、世に言う「大恋愛」とはどんなものであるか。大恋愛のもたらす効果を考察してみたいと思う。 大恋愛をして結ばれたという話を聞いたことはあるだろうか。 その時、貴方はどう思っただろうか。羨ましかったか、ねたましかっただろか、それとも自分には無理だと諦めただろうか。興味ないと思っただろうか。 人は皆、恋愛に憧れる。 私はそんな低俗なものに興味がない、という人もいらっしゃるだろう。 しかし、少し待って欲しい。たとえ貴方が恋愛とは関係のないところで静かに暮らすことを望んでも、誰とも全く逢わないでは暮らせない。人と出会うということはそれだけ分恋愛をする可能性を秘めているということであり、本人の意思など問題にされず恋愛の渦に巻き込まれるということがある。 生きているということは、それだけで努力が必用だ。 食事をしないと生存できない。 眠らないと生きていけない。 性欲は本能だ。 生まれて死ぬまで誰とも関わらずに済む人間はいない。 人は人を欲する。 最初は親に与えられる愛。それを与えられない子供が増えているという事は大層残念だが、ここで問題にすべき事ではないので割愛する。 そして、次は好きという感情に出逢う。淡い初恋もあるだろう。自分が好きな相手、好きだと告白された相手。恋愛に発展しなくても、好きだと思ったことはきっと誰もがある経験だ。 貴方は、世界にたった一人でいる訳ではない。 貴方は、一人で生きてきた訳ではない。 人は、人との関わり合いの中で生きている。 その中で、恋愛というものは生活を彩るエッセンスだ。恋愛をするために生きている訳ではないが、恋愛にかなりの時間とお金と力を傾ける恋愛至上主義な人間も存在する。 そういった人間は、大概「恋愛は楽しい」という。恋をしないのは勿体ないという。こういった人間は恋愛の極意というか、プラス効果を知っている。 人は恋をしていると綺麗になるという。 一言でいうなら脳内ホルモン、エストロゲンのおかげだ。 恋をするとドーパミンやセロトニンといった脳内伝達物質がたくさん出てくる。ドーパミンは幸福感を感じさせ、セロトニンは気持ちを明るくさせる働きがあるから、恋愛中は笑顔が増え当然周りに魅力的に映る。感情が豊かななると情動を司る視床下部も活発に働き初める。視床下部は女性ホルモンの分泌を司る中枢でもあるから、ここが活性化すれば女性ホルモンの分泌が増える女性ホルモンのエストロゲンは美容ホルモンでもあるから、そうすると肌のハリや輝きも変わってくる上ボディラインにも影響が少なくない。 このように、恋をするわかりやすいメリットだ。 恋が励みになるり、仕事に精が出る。向上心が芽生える。満足感、充足感がある。 恋が精神に作用する効果は想像を超える。 もっともデメリットももちろんある。 恋が上手くいかなければ、悩みで鬱蒼とすれば落ち込んで勉学や仕事に支障を来すことは間違いない。 つまり、恋は己の気持ち次第でどちらにも作用するものだということを弁えて、有意義に楽しんで欲しい。 1章 大恋愛をするための条件 第一に「恋愛体質」というものを考察する。以下5点を上げてみた。 1.持久力 2.情熱 3.巡り会い(運、確率) 4.引力 5.自身の魅力。 恋をするには持久力が必用である。好きな相手がころころと変わり目移りする人間は小さな恋は遭遇しても大恋愛には至らない可能性が高い。 大恋愛に発展させるには、その恋にかける情熱が必用不可欠だ。 持久力とそれにかける情熱。 情熱とはつまり燃焼力、わかりやすく言えばカロリーのことだ。恋とはそれだけの熱量を必用と消費する。大層体力のいるものだ。弱い身体では折角の恋愛も成就まで達せられない。 また、この情熱もあればいいというものではない。熱しやすく冷めやすい人間の情熱は大恋愛には向かない。恋多い人ではあるだろうがそれまでだ。 運命の相手に巡り会う。 この場合の運命の相手とは、生涯の相手の事ではない。生涯の相手になるかはその後の努力の賜物であるからだ。本人次第である。 運命の相手に出逢う確率は低い。とても低い。 出逢った人間が運命の相手だと思い込み(勘違い)する場合があるが、この違いを見極めるにはある程度の経験が必用だろう。初心者の場合は、これを判断できずに見逃す場合がある。が、初心者なのにわかる訳なかろうという意見もあるだろう。そう言った場合はひとまず、後込みしないで恋へ向けて全力投球してみることをお勧めする。 結果は後で付いてくる。がんばれ! さて、確率の話になるがこの日本に人口は1億3千万存在する。そのうちの半分が例えば異性だとしよう。性格には男女比率は半々ではないのだが、この際わかりやすく半分とさせてもらえば、6千5百万人だ。これを世界に広げたら62億人、その半分で31億人。一番多いのは中国の12.8億。次いでインドの10億。日本は9位となれば、出逢う人間の少なさがわかるというものだ。そして寿命からいえば日本は恵まれている。平均寿命1位であり、80.7歳だ。長く生きればまあ様々な出会いがあるだろう。 ただ、恋愛ができる年齢に絞ると当然ながら減る。赤ちゃんや子供や棺桶に片足を突っ込んだ老人を相手にして大恋愛はできないからだ。恋愛にはしっかりとした自我と体力が必用であるのだから。 この場合、幼い恋や老いた恋を否定するものではない。 あくまでも、大恋愛の前提としている「恋愛」の場合の話である。精神的に素晴らしい恋をしいてる方もいらっしゃると思うので、それはそれで是非続けて欲しいと望んでいる。 生殖能力。種の保存について。 子孫を残そうという性欲の時期はかなり恋愛のできる期間と重なり合う。恋愛は確かに精神の発現のものであるが、欲なしでは語れないからだ。恋愛において性欲が全くないという事はありえない。 絶対とはいえないが、ほぼ99.9%そうである。 神話における神様だって、ギリシャ神話であろうとケルト神話であろうと日本古来の神話であろうと中国であろうと、婚姻を結んで子孫を残しているくらいだ。 つまりは、そういうことである。 恋愛は綺麗事ではない。 それにこの世の中、異性ばかりではない。恋愛に同性を含める人間も多々あるのだから、実際問題恋愛ができるであろう地球上に存在する人間は相当な該当者になるだろう。 その中で運命の人間と出逢うという確率がいかに低いことか。 赤い糸伝説、というものがある。 赤い糸で繋がれている、と言う。 本当に運命の相手と繋がっているのだろうか。そもそも赤い糸で繋がるという考えが全世界に通用する訳ではない。つまりは、生まれた時から運命の相手が決まっていてその人物に出逢うのだ、という安易な考えである。 はっきり言おう、それは間違いだ。 浅はかな考えだ。自分が出逢って選んだ人間が赤い糸の人間であり、幸せな内はいいがもし不幸になったら、間違えたのだという思考は自分勝手だ。 第一、運命の人物との大恋愛が幸せだと誰が言ったか。 運命の相手との出会いが、恋愛が不幸を招くこともあるだろう。 運命の相手は一人でもない。 その意見に反論をする人は多いかもしれない。 が、例えば、若くして死んでしまう人間がいたとする。その人物には運命の相手が存在しないのか。もし、存在した場合、相手は運命の相手が若くしてこの世からいなくなってしまう。もう、大恋愛はできないのか。 例えば運命の相手に出逢っても見抜けず通り過ぎた場合、もう二度と巡り逢うことはないのか。 例えば大恋愛の場合、三角関係や四角関係、入り乱れた相関図なんてことになる場合もある。この場合は誰と誰が大恋愛に当たるのか。 不幸でも運命の相手である事があるのだから、偏に括れない。 つまり運命の相手は複数存在すると考える。 この現在の地球上で考えるなら、最低5人くらいいるのではないか。それは決して多い訳ではない。5人いたとしても出逢わない人間の方が多いのだから。1人でも出会えればかなり奇跡的だ。幸運だ。 話を戻すが、運命の相手に出逢う確率が低いということは、それを引き当てる運が必用だということだ。運がよい人間はめでたくその人物に遭遇することができる。 しかし、そこで通り過ぎてしまえば意味がない。 引き寄せて離さないように努力しなければならない。 これぞ、と思ったらまず行動してみよう。物語はそこから始まる。 引力。 運命の相手とは引力が存在する。引き合う力がある。 離れようとしても、出逢ってしまう。それは紛れもない引力が働いている。そんな人間に出逢ったら、様子を見てみよう。かなりの確率で運命の相手だ。 運命の相手でなくても、その人物は貴方にとって大切な人間になるだろう。 なにせそれほどの引力があるのだから、この先もずっと長い付き合いになるに違いない。 魅力。自身の魅力。 自覚のある人間、自覚のない人間の二通りだ。魅力のある人間は相手に巡り逢う確率も高い。それを見過ごすかそうでないか、が問題だ。 貴方の魅力。 当然ながら魅力がある人間には人が集まるから、運命の人間に出逢う確率は高くなる。それに運命の人間に気に留めてもらえやすい。 自覚のある人間はよくわかっている。どうすれば、人が寄ってくるか。余計な人間を寄せ付けないか。 自覚のない人間は、困ったことにわかっていない。 まあ、自覚はなくても魅力に溢れていれば人は集まる。集まるのだが、どう対処していいか全く不得手だ。人が上手く交通整理されないと折角の運命の相手にも出逢いにくい。 それは、人も車も同じだ。 交通整理されていれば、出逢いやすい。スピードにも乗れる。邪魔者も存在しない。 が、混雑し渋滞していれば、行きたい場所にも行けない、時間がかかる。 2章 心理学的確率論 1.好意の相互性 2.ロミオとジュリエット効果 3.単純接触効果 4.合意性妥当化 5.情動の二要因理論 1.好意の相互性。 人から好意を示されればその人に好意を抱くようになる。単純に誉められれば人を好きになる。これの一番有力な方法は最初に貶して次第に誉める事だ。相手から最も好かれる可能性が高い。 最初の出会いは最悪で、逢う度に喧嘩を繰り返しながらも良い部分を知り見直し、日々深まる愛情。そして紆余曲の末のハッピーエンド。 ドラマでもよくお目見えする、あれである。 2.ロミオとジュリエット効果。 恋愛において障害によって恋愛感情が一層増してしまう現象のこと。 障害があるほど燃え上がる恋心。 親に反対され、逢うことが叶わない。今時あまり見かけないが、身分違い。 それは駆け落ちという行動に出やすい。何ものも捨てて相手だけと生きて行く。まさに大恋愛らしい筋書きである。 パワーも持久力も必用であるから、駆け落ちして長年続きくのならかなり大恋愛に近いだろう。精神的、経済的に大変で苦労は絶対であるだろうから。 そうでなくても、恋敵が、強烈なライバルがいるという障害が世の中には多いだろうか。 障害にぶつかり、相手をより手に入れようと心酔していく。ドラマどころかそこら変にころがっていそうである。 3.単純接触効果。 ある物事や人に繰り返し接触するとその対象に対する好意度が増すとい現象。ザイオンスの研究でお互いが単に接触するだけでも好意を持ちえるという証明がされている。 触れ合う確率の高い人物、毎日顔をあわせる人物。職場恋愛、幼なじみ等。 大恋愛には発展しにくい関係である。 穏やかな愛を育むには良いかもしれない。 4.合意性妥当化。 自分と意見や態度の似た人を好きになる。 その理由の一つとして「合意的妥当化」による説がある。 日常生活において、物事の判断が正しいか否かを一義的に決めるのは困難である。 そこで私たちは、他の人が「それは正しい」と同意してくれるかどうかを基準にこうした判断や行動の正しさを知ろうとする。 これを「合意的妥当化」と言う。もしある人と態度や意見が類似しているならば、その人の価値基準と自分の価値基準が似ているということになり、この「合意的妥当化」が得られやすくなる。 つまり、自分と意見や態度の似た人と一緒にいることは、「合意的妥当化」によって、自分の意見や行動が正しいと確信できることにつながるのだ。 初対面の人でも、同じ趣味を持っていたり共通の話題があると、話がはずみ互いに好意を感じるかもしれない。このように、人を好きになる原因の一つに、自分と似た考えや性質を持つことが考えられる。 これを「類似性」と言う。 バーンとネルソン(1965)という研究者たちは、この「類似性」の効果を実験によって明らかにしようとした。この実験は「見知らぬ他者」実験と呼ばれている。 似たもの夫婦。似た恋人等が存在するのはこのためだと言えるだろう。 もちろん、自分にないものを相手に求めるため、全く性格どころか趣味も考え方も何もかも違う人を好きになるパターンもあるため、一概に似たものが良いとは言えない。が、似た部分があれが親しくなる可能性が高く速度も早まる事は否めない。 5.情動の二要因理論。 有名な実験、ダットンとアロン(1974)の「つり橋実験」から考える。 つり橋のような場所では誰でもドキドキする、その生理的興奮の認知を巧みに利用した実験である。つり橋は高さ約70メートル、ケーブルと板でできており、人が渡るとゆらゆら揺れてスリル満点だ。そのつり橋を渡ったあとの男性に対して女性か男性の実験者が面接を行うというのが実験の手続きだ。 また、面接が終わると実験者は「もし興味があれば、この実験について詳しく説明しますので、この電話番号に電話してください」と言って、電話番号の書いたメモを渡した。 結果は、男性の実験者よりも女性の実験者の場合に、面接の回答が性的な内容になっており、また、電話をかけてきた人数も多いというものだった。また、つり橋ではなく高さ3メートルほどの頑丈な橋でも同様の実験を行ったところ、電話をかけてきた人数は少数にすぎなかった。 スリル満点のつり橋を渡った男性被験者の方が女性の面接者に対して興味を示したと考えられるのだ。 スリル満点のつり橋を渡るところを想像してみよう。おそらくほとんどの人がゾクゾクした感じ、緊張のあまりドキドキするといった生理的興奮状態になるだろう。 もう一つ、非常に魅力的な異性に会って話をしているところも想像してみよう。緊張して顔がほてったり、手に汗をかいたり、ドキドキしたりと、これもまた生理的興奮状態になるのではないだろうか。 これら二つの状況によって生じる生理的興奮状態は、それ自体はあいまいな区別しかない。どちらもドキドキして興奮しているという状態に変わりはないからだ。 そのため、つり橋を渡った男性被験者は恐怖から生理的に興奮(ドキドキ)していたにかかわらず、魅力的な女性と話をしているという状況の方に生理的な興奮(ドキドキ)の原因を誤って帰属してしまったのだ。 これが情動の二要因理論である。 そこから導かれる答えは、十分にどきどきを恋愛と勘違いするということである。 勘違いから始まる恋愛もあるのである。それが間違いだとは決して言えないが、いかに大恋愛に発展させるか否かは本人の努力かもしれない。 3章 科学的論理 HMC(主要組織適合性複合体)遺伝子。 白血球などにあるタンパク質を作る遺伝子の複合体。このMHCはヒトによって型が違い、何万通りもあるのだが、ヒトはこのMHC型が似ていない相手に惹かれるという事が研究で明らかになった。 では、まぜヒトは、MHC型の違う相手を好むのか。 もともとMHCはウイルスや病原体など体外からの侵入者を捕らえその居場所を免疫細胞に知らせるという役割をもっている。つまり体内のMHCの型が増えれば捕らえられる外敵の種類も多くなる。よって型が異なる者同士の子供は病気に冒されにくい丈夫な体を持つことができるメリットがある。 ただ、これはMHC型の違う相手にそそられやすいということであり、生殖行動を取る相手にしがちになり、子供を残すという結果になる。 生物学的には、これは最もな事であり理由になる。が、種の保存という目的のための人間の無意識の行動であり、運命の相手では決してない。 ゲイ遺伝子の存在。 ショウジョウバエを使って「同性愛遺伝子」を発見し、解明するために現在研究中である。 同性愛が「不自然」だというのは科学的におかしい。 同性愛の行為はいろいろな動物の間(ショウジョウバエも含む)でも、人間の歴史上でも昔の日本でもたくさんの例があり、同性愛は自然な行為といえる。 時代によって、文化によって価値観が違うだけだ。 文化による価値観の違いとはつまり・・・。 例えば、キリスト教でいう13日の金曜日。キリスト教でなければ意味はない。映画でジェイソンが現れて大量虐殺をして不吉さをアピールしたから有名になり、キリスト教徒でもない人間までもが、なんとなく不吉な日であると認識しがちだ。 日本での場合で言えば、仏滅。日が悪いという。 結婚式には向かいない。友引は日がそれなりに良いが葬式をしてはいけない。 仏教徒以外からすれば、意味はない。 毎日日は変わらず過ぎていく。それは遙か昔から変わらない。そこに価値を見いだすのはその人の勝手なのだ。文化、宗教、習慣によって個々に価値を持たせるだけなのだ。 つまり、恋愛において性別の貴賎はない。 文化、宗教、習慣によって精神や思考が縛れているのだ。それを解き放てば、人との出会いの確率は広がるだろう。 4章 恋愛についての研究 恋愛関係(romantic love) 好意は、「好意的評価」「尊敬と信頼」「類似性の認知」からなり、恋愛は「親和欲求」「援助傾向」「独占欲」からなるとされている。また友情に「情熱」と「世話」が加わったもの、「コミットメント」に焦点を当てたものもある。錯誤帰属によって生じることもある。 愛の三角理論 スタンバーグ(1986)提唱。 「親密性」「情熱」「コミットメント」の3要素で8種類(好意・友愛・空虚な愛・愚かな愛・情熱・ロマンティックな愛・完全な愛)の愛の類型を説明する。 「親密性」 愛情関係に暖かさをもたらし、相手と緊密に結びついているという感情を言う。 相手の幸福を願い、理解し、尊重するといった様々な特徴が含まれている。 多くの愛情関係の核であり、親、兄弟姉妹、恋人、親しい友人などの関係で、「親密性」は高くなると考えられている。 「情熱」 愛情関係にロマンスや性的関係を導く、心的・身体的喚起のことである。 特定の愛情関係、特に恋愛関係に限って見られる傾向がある。 「コミットメント」 その人と一緒にいよう、その人を愛し続けようという決意、自己関与のことである。 種々様々な愛情関係に見られますが、その度合いはきわめて変化に富んでいる。 例えば、わが子への愛ではきわめて高いが、一生を通じて時々付き合う友人に対する友情においては比較的低くなる傾向がある。 対人魅力 1)人格的特徴・身体的特徴・類似性・熟知性・接近性・報酬性によって規定される。 2)バーシャイドとウォルスター 人に対する好き・嫌いを対人魅力と呼ぶのですが、魅力とは具体的には何を意味するのでだろう。 直感的には、「好きだと感じる」「魅力を感じる」と言うように、魅力とは誰かに対して抱く感情であるように思われる。しかしバーシャイドとウォルスター(1969)によれば魅力とは、感情だけではなく、認知や行動も含んでいるらしい。 「感情」 感情というと、喜怒哀楽という言葉が思い浮かべるが、私たちは普段非常に多種多様な感情を感じている。これらの感情を単純化すると、快−不快の程度に分けることが出来る。従って、誰かに抱く感情は、快に近いのかそれとも不快に近いのかという基準で、まず判断できそうだ。 「認知」 次に認知とは何だろか。私たちは誰かについて、たくさんの知識や情報を持ってる。 その人の見た目、過去にした行動、家族関係、試験の成績、その人が悩んでいる事などなど・・。そして、私たちはそのような知識に基づいてその人の性格や能力などを推測している。これを対人認知と呼ぶのだが、その中でも重要な観点として注目されるのが「評価(良い−悪い)」だ。 従って、誰かに対する認知は、良い悪いのどちらに近いのかという基準で判断できそうである。 「行動」 ある人に対して行われる行動、対人行動と呼ばれるが、それには様々なものが考えられる。一緒に映画を見る、悩みの相談困った時に援助する、その人を避ける、悪口を言うなどなど・・。 行動は、その人に対して、接近する傾向があるのかそれとも離れる傾向があるのかといった基準で判断する事が出来る。 最後に。 <大恋愛のススメ> ここまで読んで、大恋愛をしてみようという気になっただろうか。 自分にはそんなことは、無理だと思っただろうか。それとも是非チャレンジしてみようと思われただろうか。 「大恋愛」は皆ができる訳ではないが、目指してみる価値はある。 大恋愛に至らなくても、恋愛は貴方を確実に人間として成長させるだろう。恋愛だけが全てではないが、馬鹿にするほど愚かでもない。 それに、愚かな自分というのも乙なものである。 愚かな自分を自覚できる事、それは自己に対する理解力を深めるだろう。 本書を読んで恋愛に対する認識が少しでも変わってくれれば、と思う。 運命の相手。 大恋愛の相手。 見つけるべき、見つけられたら奇跡な相手。 それは。 実は、貴方の隣にいる人物が運命の相手かもしれない。 交差点で横切って通り過ぎた人物かもしれない。気付かないだけで、身近に存在するかもしれない。 それとも、どこか遠い空の下で生きているかもしれない。まだ、生まれていないかもしれない。 さあ、しっかりと目を開いて見て欲しい。 そして、見つけて欲しい。 見つけたら、遠慮せず、躊躇せず、掴んで引き留めて欲しい。 それが「大恋愛」への第一歩だ。 東都大学、文化人類学教授 多田 明著 *「多田明」なる人物は存在しません。モデルもいません。 設定の都合上、名前を勝手に付けさせて頂きましたが。 一応専門用語や実験等は調べて引用させてもらっておりますが、エッセイの文章は不肖私春流が書かせて頂きました。 そうでないと、著作権に引っかかるからね。(笑)というか、人様のものを新一さんに貶させることはできませんとも! |