「2005’愛鳥週間」


今年も愛鳥週間の季節がやって来ました。
巣箱オーナーに届く年に一度の白い鳥と飼い主の素晴らしい姿です。

水無月あきひさま、毎年素晴らしく麗しいイラストを本当にありがとうございます。
心と目が潤います。ついでに頭は妄想がいっぱいになります。
ということで、これもシリーズと化してきました彼らのおまけ小話を今回も付けさせて頂きますね。
また、来年もよろしく、と強請っておく。

                                 はるる



 満月の夜は明るい。
 
 太陽と比べるべきではないが、それでも半月の12倍明るい。
 暗闇を照らす月光が一番明るい夜は星々の明かりもその美しさを些か遠慮しているようで、煌めきが落ちる。
 だが、眼下に広がる都会のネオンは色とりどりの花のようにどんな夜も光っている。まるで空に輝く月が満月であろうと新月であろうと関係がないかとあざ笑うように。
 例え深夜であろうとも、人工の明かりで過ごす事に慣れた人間は夜空を見上げる機会を減らしている。
 どれほど満月が美しくても。
 その月を守護に頂く世界に名だたる奇術師が夜空を飛んでいても。
 関心のない人間からすれば、どうということもない空だ。
 
 
 
 
 
「よう、お疲れさん」
 
 怪盗がビルの屋上に降り立つと、青いブレザーに深緑のネクタイという見慣れた制服姿の探偵が振り向いた。フェンスに背を預け犯罪者に向けるには相応しくない穏やかな顔で怪盗を見ている。
 古来探偵は泥棒を捕まえるはずだが、彼は怪盗を捕まえようとしていない。
「ほら」
 一歩近づいた自分に投げて寄越したものは、缶の紅茶だった。放物線を描いて落ちてきた缶を手で受け止めると暖かさが手袋越しに伝わってくる。
 見やれば、探偵は自分用に無糖の缶珈琲を手にしている。
「ありがとう、ございます」
 怪盗は優雅に一礼して感謝を述べた。
 その、世間で囁かれている慇懃無礼で優美に夜空を翔る怪盗紳士然とした様を探偵は全く相手にせず、ちょいちょい人差し指で呼びつけた。その動作は怪盗を呼びつけるにしてはかなり親しみを感じさせる上、通常なら怪盗が従うとは見る人があったなら思わないだろう。
 だが、怪盗は何も戸惑うことなく探偵の側まで歩いていった。探偵は自分の前に立った怪盗を見上げその片眼鏡越しの顔をじっくりと観察すると、シルクハットを素早く奪い取り怪盗の肩を押した。
「座れ」
 そして、己の顔をあと少しで触れる程近くくっつけて逃れられないように視線をあわせにやりと、口の端を上げて笑う。
「回れ、右」
「……え?」
 怪盗紳士らしくない間抜けな声を上げた怪盗の肩に両手を乗せくるりと身体を回し、もう一度座れ、と言って怪盗が抵抗をする意欲をなくした隙にぎゅっと下方へ押しつける。怪盗は結局探偵の言われるがままコンクリートに腰を下ろした。
 一体どうしたのか、怪盗が頭に疑問を浮かべ探偵に問いただそうとすると、頭をぐちゃぐちゃとかき回された。元々癖っ毛だからすぐにあらゆる方向にぴんぴんと伸びてしまう。
「……名探偵」
 情けなさそうな声音で呼べば、探偵の笑い声が耳に届く。
 そして、頭をぽんぽんと叩き宥めるようにそのまま手が置かれた。
 優しい手だ。労るような細い指だ。
 まるで癒すよう頭を撫でられて、怪盗の心まで彼の体温が届くような気がした。
 
「別に、俺の前でまで格好付けてる必要ないだろ?いつもあほ面晒しているんだから、今更なんだよ」
 しばらく優しい手に身を委ねていると、探偵が咎めるような言葉を柔らかな声で怪盗にかけた。
 怪盗が座っている自分よりずっと高い位置にある探偵を見上げると、奪われたシルクハットをひょいと投げ捨てられた。思わずそれを受け取り、首をひねって探偵をまじまじと見つめる。そんな怪盗に探偵は小さく笑い、飲めば?と言った。
 怪盗は手で暖を取っていた缶に視線を移し、左手の手袋を一端取り去りシルクハットの中に落とし缶のプルタブを開けて一口飲む。
 暖かくなってきたとはいえ、まだ夜は肌寒い。まして上空を生身で飛ぶのだから寒さも人一倍だ。甘くて暖かな液体が喉から体中にゆっくりと広がり、こわばった身体の焦れを取り去っていく。
 なぜ、探偵がこの場にいるのか。
 どうして、缶の紅茶を差し入れてくれたのか。
 何も言わないで、頭を撫でてくれるのか。
 自分が言わなくても、探偵はほんの少しの痕跡からすべてを見通す慧眼を持っているから、結局己の心理状態がばれているのかもしれない。
 1年前も、何も言わない自分を慰めてくれた。手を差し伸べてくれた。
 今の自分は世界的犯罪者である怪盗紳士の仮面などきっと被れていないのだろう。
 偽りのKID。
 本物はこの世にもう存在しない。その後を継いだのは己の意志だけれど、本物を知っている人からすれば自分は偽物ではないのか。尊敬する人の志を、彼が消滅した原因を自分の手で壊したいと思うのは、ただの欺瞞ではないのか。探しても探しても見つからなくて、本当に見つけられるのか、その前に組織に消されるのではないのか、先を越されるのではないかと焦る気持ちが胸に広がる。
 そんな不安に激しく苛まれ精神が不安定になる365日の中でのたった1日。
 怪盗は缶を握りしめながら、そっと探偵を見上げた。そこには想像した通り慈愛に満ちた笑顔があって、怪盗は胸を突かれた。
 どうして、そんな顔で自分を見てくれるのか。
 どうして、自分のことをわかってくれるのか。
 どうして、優しい手を差し伸べてくれるのか。
 どうして。どうして。どうして。
 怪盗の心に制御不可能の嵐のような激しい感情が吹き荒れた。
「ありがとう」
 その荒れ狂う感情を抑えた怪盗は、小さな声だが万感の思いを込めて呟くと、探偵は小さく笑い頭を撫でていた細い指を耳から頬へ滑らせた。その暖かな指に懐くように一度頬を寄せて祈るように目を閉じた。
 
 こんな風にいられるのは、いつまでなのか。
 いつまでも探偵に甘えていてはいけないと知っている。
 
 いつ果てる時が来ても、何を失っても、罪に問われても。
 己にはやり通さなければならないことがある。
 誰と別れても、全てを捨ててもだ。
 だから、探偵に弱さを晒け出すのは今日だけだ。今日だけで振り切ってみせる。
 明日からは、怪盗紳士らしく婉然と笑ってみせるから。
 
 心優しい探偵に怪盗は心の中で、闇に染まってしまいそうな己を救ってくれてありがとうと呟いた。
 だが、決して言わなくても探偵がどういたしまして、と答える声が聞こえる気がした。
 
 


                                               おわり。




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