「It’s time to go」




 「こんばんは、名探偵」

 舞い降りたビルの屋上にはいつものようにフェンスに背中を預けて探偵が立っていた。
 絶対ではないけれど、かなりの確率で来てくれる。
 一課での事件で要請がない限り、あっても終われば何だかんだ文句を言いながら約束をした訳でもないのに駆け付けてくれる。
 自然暗号に力が入って、時々難解さに中森警部が「なんでこんな暗号出すんだ、KIDのやつ!」と悲鳴を上げてのを知っている。
 それでも彼との追いかけっこは楽しい。
 最初はKIDの現場にも来てくれたけれど、最近ではめっきりご無沙汰だ。
 自分のテリトリーはあくまで一課、殺人事件だからと傲慢に言っている。確かにその通りなのだが、なんとなくそれだけではないとわかっている。
 現場では捜査二課のKID専属の警部、そんなはずはないのだがKID専属だと言い張る探偵もいる。仲がいいとは言えない間柄の二人。そんな共同戦線が張れない中では名探偵が入っても折角の頭脳も水の泡だ。
 面倒は嫌いという名探偵だから、わざわざその中に入ることなどしない。
 必然的に答え合わせとして一人で逃走経路に顔を出す。そして、あっているとわかって楽しそうに満足そうに笑う様は子供みたいだ。
 KIDはその笑顔を見るのが好きだった。

 「よう、KID」

 だから片手を上げて名探偵が今もその笑顔を向けてくれる事がとても嬉しかった。

 「今日もここまでたどり着けたのは貴方一人ですね」
 「そうみたいだな。でも、わからない方がどうかしているぞ」
 「………そうですか?しかし、ここまで来たのは今だかつて貴方しかいませんよ」
 「うーん、信じらんねえな。………何でだ?」

 だって逃走経路くらい簡単に割り出せるだろうと探偵は首を傾げる。

 「さあ。私に聞かれても困ります。名探偵こそ、毎回わかっているのに一人で来るのはなぜですか?警部や探偵を連れて来てもよろしいのに」
 「………本気で言ってるのか?性格悪いぞ。お前を捕まえるのは俺だけだけど、捕まえちまったら俺の好きな暗号や謎が消えるからなあ。………そしたら惜しいだろ」

 探偵はくすくす笑い肩を揺らして、探偵らしくないことを告げる。

 「名探偵に、惜しいと言われるのですから、光栄ですね」
 「おお。今日の暗号は最近の中ではなかなか秀逸で良かったぞ。難解さの中に奥深さがあって、わかった瞬間は快感だったな!」

 その時の高揚感を思い出したのか、普段お目にかかれないくらい相好を崩す。

 「それは何より」

 KIDはまるで観客にするように優美に一礼する。
 探偵は怪盗を構成する一部だ。相対する関係だが、なければ色あせるほど味気ない。そんな中で互いの頭脳を競い合うことのできる存在は貴重だ。
 だから敬意をずっと表してきた。
 しかし、目の前の探偵は稀にみる名探偵で、その頭脳ばかりでなく心まで澄みきっていた。全てを見据えるその瞳はまるで心の奥底どころか自分を通り越して過去や未来まで見えているのではないかと思う時がある。わずかに残る痕跡から真実を暴き出す瞳なのだから、それくらいできてもおかしくはないだろう。

 「宝石返しておこうか?」

 そういえば、と探偵は手を出した。このように獲物の宝石の返還に探偵は手を貸してくれようとする。もちろん遠慮する時もあるし、頼む時もあるから探偵は毎回気軽に聞いてくる。

 「今日は、いいですよ。………偶には警部の渋い顔を見てこないといけませんからね」

 KIDは口元を釣り上げて、警部も年ですから血管を切らすといけませんしと付け足す。

 「………余計切れると思うぞ」

 少しだけ真面目で熱血な警部が可哀想で探偵は眉をひそめた。

 「これも、愛情ですよ」
 「どこが………」
 「この溢れる愛情が見えませんか?」
 「見えない。どこにも見えない。あるとしたら、随分ひねくれた愛情だな………警部も可哀想に」
 「おかしいですねえ、こんなに有り余る程の愛が伝わらないなんて。片思いは辛い」

 声だけ寂しそうにそんな事を言うKIDに探偵は肩を落とし吐息を付く。

 「俺はやっぱり同情する。KIDに警察官人生賭けて付き合ってるのに、これじゃあ憤死するぞ?生き甲斐でもあるけど、脳梗塞やくも膜下出血や心筋梗塞とかあるから。年齢も年齢だしさ」
 「………名探偵の方が失礼ですよ、絶対」
 「そうか?」
 「ええ、その見かけによらず口がとっても悪いです。時々檄辛ですね。辛辣を極めている時は毒吐きまくりですよ。普段は大きな猫を被っていらっしゃるけど」
 「………」
 「おや、気になさるんですか?」
 「むかつく………」

 探偵は唇を尖らせて抗議を態度で現した。

 「でも、事実ですよ。反論はおありですか?」
 「お前の方が俺より悪い、口調じゃなくて内容が悪い!性格も悪い!根性も悪い!」

 探偵の言いように、KIDは声を立てて笑う。

 「そうですか。私の方が悪いですか。これでも怪盗ですので、仕方ないんですよ。なにせ、私は犯罪者ですから」

 ねえ、そう思うでしょうとKIDは探偵に返す。
 探偵は憮然としてKIDを睨み付けた。

 「………そんな顔なさらないで下さい。これで機嫌を直して下さいませんか?」

 KIDは微笑を浮かべて、何もないところから薔薇を取り出し探偵に差し出した。探偵は一瞬その赤い薔薇を見つめて気が削がれたのか、しぶしぶ受け取る。

 「これは『希望』という薔薇です。日本の方が作ったものなんですよ」
 「へえ、これが?」

 探偵はしげしげとその赤い薔薇を観察する。幾重にも重なった花弁、大輪の薔薇。その名前のような気品のある薔薇だ。

 「綺麗だな」

 素直な探偵の感想に、ええとKIDは頷く。

 「お前、よく薔薇寄越すよな。まあ、らしいけど」
 「いけませんか?名探偵も喜んでくれていると思ったのですが」
 「薔薇に罪はないから」

 探偵は薔薇に鼻を近づけて香りを吸い込む。肺にまるで色の付いた芳香が入り込んでくるような気がする。それくらい、香しい。

 「じゃあ、そろそろ帰るか」

 探偵は目的は達したと笑って薔薇をKIDに向かって掲げてみせた。

 「お気を付けて。今夜は冷えるようですから、早くお休みになって下さい」

 KIDは心からの心配と心情を向けて微笑した。

 「ああ、お前もな」
 「………ありがとうございます。それでは、名探偵。また」

 KIDに見送られて探偵は非常口の扉に消えた。KIDはその探偵らしい笑顔を見つめて幸せそうに顔をゆるめる。
 今日、逢えて良かった。
 そのために、彼が唸るような難解な暗号を手がけた。
 予定通り彼はここに現れて輝かしい笑顔を向けてくれた。
 それだけで、十分。
 
 彼に渡した『希望』の薔薇。
 それは己に向けもの。
 
 彼の存在に今までどれだけ慰められたか知れない。
 相反する探偵でも、彼がいてくれたから今まで、ここまで戦ってこれた。
 KIDはポケットからビックジュエルを取り出し月に翳す。宝石に内包された赤い光り。本当は、先日見つけていた女神の名前を持つ禍の宝石。今日盗んだのはフェイク。
 少し時間が必用だったから。
 そして、最後に逢っておきたかったから。
 最後にするつもりはないけれど、それくらい覚悟が必用な戦いが待っていた。
 
 あの笑顔はお守りみたいなものだろうか………。
 
 らしくないけれど、こればっかりは仕方ない。自分も血の通った人間なのだから。
 最後に気に入りの蒼い瞳と存外優しい名探偵の笑顔を刻んでおきたかったのだ。
 
 KIDはフェンスの上に軽々と飛び上がるとマントをはためかせながらシルクハットを片手で直す。見つめる先は暗闇のもっともっと奥に存在する組織。
 

 客に接する時そこは決闘の場、
 決しておごらず侮らず相手の心を見透かし、
 その肢体の先に全神経を集中して持てる技を尽くし
 なおかつ笑顔と気品を損なわず
 いつ何時たりともポーカーフェイスを忘れるな。


 聞こえる声。蘇る面影。残された意志。
 
 
 さあ、行こうか。
 
 KIDは夜空に飛び立った。
 彼の守護である月光が見守る中、やがて白い鳥は闇に消えた。





                                               END



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