〜宮野志保の場合〜 1年に1度の逢瀬。 織姫と彦星のお話。 今日は晴れて欲しいと世間はいうが、それがどうしたと思う。 第一、恋ばかりにかまかけて、仕事をほっぽりだした報い。 それでも、お慈悲で年に一度逢えるだけありがたく思えば? それとも、天の川を命がけで渡る? どちらにしても馬鹿な恋人同士の陳腐な話。 七夕といえど、私にとってはどうでもいい。 が、隣のバカップルはそうでもないらしい………。それとも結婚式をあげたから、夫婦?と言った方がいいのかしら? 二人は新婚旅行を楽しんで日本に帰国すると、お土産を持って挨拶に来てくれた。しばらく工藤邸に住んで蜜月を楽しんでいたみたいだけれど、どうしても断れない仕事があるとかで、黒羽君が泣く泣くアメリカに渡ったのが、数日前のこと。 それでも、7月7日には帰ってくるからと約束して旅立った。 もともと遠距離恋愛だったし、結婚しても工藤君が学生だからアメリカで住むわけにもいかず、日本の工藤邸で新婚生活を営むことにした二人。旦那の黒羽君は仕事の度に海外に行くという、まるで単身赴任のような生活になるらしい。さしずめ、工藤君は一人で待つ妻みたいなものかしら?と言うと、真っ赤になって否定するに違いないけれど。でも、それ以外例えようがないわ。事実だから。 昨日工藤君がここに来て、 「快斗が明日帰ってくるって言ってた。無理しないで欲しい」 と心配していたのよね。だから、 「好きでやってるんだから、いいんじゃなくて?新婚なんだから、一緒にいたいのよ。工藤君もでしょう?」 とからかった。 耳まで紅く染めて、うつむいて照れている姿はとても可愛かったわ。 「志保………」 と言いながら、それでも頷くんだから、当てられる。 どこまでもバカップルで羨ましい限りね。 本人達は自覚がないんだけど。 特に工藤君、貴方もう少し認識した方がいいわよ? 私はいいけれど………。 七夕の話になったから博士がもらってきた小さな笹をおすそ分けしたわ。短冊でも用意して願い事でもかけば、雰囲気も盛り上がるんじゃないかしら? 新婚さんにはもってこいね。 折り紙もついでに渡しておいたわ。 「ありがとう」と微笑む工藤君はとても幸せそうで。 どうなったか報告してね、と言ったら「うん」と頷いたから明日を楽しみにしておきましょう。 きっと惚気を聞かされるだけだけど、幸せそうな顔が見られれば、それでいいわ。 ああ、お隣で声がするわ。 黒羽君が帰ってきたようね………。 楽しい時間を過ごしてね。 なんといっても、バカップルなんだし。 私が認めるバカップルは貴方たちだけなんだから。 〜新婚さんの場合〜 「ただいま、新一」 「おかえり、快斗」 数日振りに帰ってきた快斗は玄関で出迎えてくれた新一を抱きしめた。 ぎゅっと背中と腰に腕をまわして離れた場所などないように、大きな腕で抱き込む。 鼻先を掠めるさらさらの黒髪から漂う甘い芳香を吸い込んで新一の匂いだ、と快斗は実感する。 「新一……」 そっと頬に手を添えて顔を上げさせて、小さな唇に口付けを落とす。 新一も唇が触れる瞬間目を閉じて静かに受け入れた。 (少し離れていただけなのに寂しい気持ちになった自分。けれど、今はとても安心する……。快斗が傍にいるだけで、こんなに心が満たされる………) 「快斗」 だから、新一は嬉しくてその感情を伝えたくて、背伸びをして自分からもキスを返した。そしてにっこりと微笑んで、 「入って」 快斗の腕を引いて居間に即した。 「ほら」 ミルク、砂糖たっぷりの珈琲(のようなもの)の入ったマグカップを快斗に渡して、ソファに座る快斗の横に新一は腰をおろす。自分用にはもちろんブラックの珈琲をもっていた。 「ありがとう」 「そっちこそ、お疲れ様。今日帰ってくるなんて無理しただろう?」 「無理なんてしてないよ?新一に逢えない方が絶対に身体に悪い。これで当分は離れないからね」 「……仕事は?」 離れない、という快斗の言葉に新一は眉を潜める。 「日本の仕事はあるけど、東都だし。アメリカは当分やらないから」 「そうもいかないだろう?ハリウッドとかの仕事を断っていいのか?これからの快斗のためにならない……俺のせいだったら、ダメだぞ?」 新一は心配する。 傍にいられれば嬉しい。でも、仕事をおろそかにしてはダメだ。 自分のために仕事を断るなんて、絶対にさせてはいけない。 「……これでも実力をそこそこ認められて仕事も選べるし、自由もきくようになったんだけどな。……そうだ、新一が夏休みになったら一緒にアメリカに行こうか?それなら、いいよ」 「……快斗。そうじゃなくて、仕事を優先しろよ」 新一は快斗の子供みたいな理屈に困惑する。 「嫌だ。もう、新一なしじゃ生きていけないの。一緒に行ってくれないなら、向こうで長期になんていられない。仕事があってもここに、新一の傍にすぐに帰ってくるよ?」 断固とした快斗の意思に新一は、呆れるやら、嬉しいやら反応に困った。 ただ、もう快斗なしでは生きていけない、という気持ちはわかる。 (しょうがないなあ……) 新一は内心苦笑しながら、それでも綺麗に笑って、 「わかった。夏休みになったら、一緒に行ってやる。だから、しっかり仕事しろよ?」 と言った。 「うん。ありがとう。夏休みの間一緒にアメリカで過ごそうね。どこかに遊びに行こうか?今から楽しみだな〜」 現金なのもので、新一の了解の言葉に快斗は乗り気である。 アメリカには快斗の家がある。つまりは二人の家が……。ついでに言えばイギリスにも二人の家がある。それは結婚をした二人に父である優作からの贈り物であった。それはいつでも行けるように管理がされている別荘のようなもの……。現在二人が所有する、というか住む家は日本、アメリカ、イギリスと3カ国あった。これから増える確立は高いかもしれなかった。 「あれ、これって……?」 快斗が、ふとある物に気付いた。新一しか見えていなかったため、通常なら些細な変化にすぐに気付くのだが、今回は目に入らなかったのだ………。 「ああ、志保からもらったんだ、綺麗だろ?」 快斗が指差した先にあるのは青々した葉の小ぶりな笹の枝だった。ちょうどいい大きさなのか、ガラスの花瓶に挿してある笹には色紙が折った鶴が飾られたり、小さく短冊に切ったものが下げてある。それは飾り用なのか、「天の川」とか「七夕」書いてあるだけだった。 「願い事は書かないの?」 「それは、快斗と一緒に書こうかと思って」 花瓶の横にはすでに折り紙を切った短冊とペンが用意されていた。 「……願い事ねえ……。新一と一緒にいたい、かな」 快斗は悩む間もなく答える。 「それは願い事じゃないだろ?もっと、ないのか?」 「だったら、新一は?」 「……」 「ないの?」 「……思いつかないかも。夢は自分で叶えるものだし」 新一は思案しながら首を傾げる。 「俺も同じかな。マジックの腕をもっと磨くことは自分の努力だし、新一を幸せにするのも、そう。甲斐性のある男になるよ?」 快斗は微笑しながら、片目を瞑って新一を見る。 「……馬鹿。俺だって快斗を幸せにしたいと思ってる。それは二人で作るものだろう?」 「うん。そうだね。じゃあ、お願いごとじゃなくて公約でどうかな?」 「公約?」 「これから、必ずすること」 必ずすること。 それは二人に限り有効な約束。 これから作り上げる未来の予想図。 新一は小さく頷いて、快斗に微笑む。そして片手を上げて宣誓の仕草を真似た。 『……二人でいつも笑っています』 小さいがはっきりした声で新一は公約する。 『……できるだけ、可能な限り一緒にいます』 快斗も同じように宣誓を真似た。 『……二人で「幸せ」を探します』 『「行ってきます」と「お帰えり」と、「おはよう」と「おやすみ」、「ありがとう」と「ごめんね」の言葉とキスを贈ります』 快斗の言葉に新一は頬を染めた。一度うつむいて、それでも顔を上げて真摯な瞳で快斗を見つめた。 『いつも、いつも抱きしめていて?』 それは公約、誓約というより、心からの欲求。 愛している人だから、手を伸ばす。その最たる行為。 『……いつでも、どこでも抱きしめている。この両手は新一だけのものだから』 そして、快斗は公約を実行すべく新一を両手でしっかりと抱きしめて、耳もとに「愛してる」と囁きながらキスを贈る。その言葉とキスが一番多く贈られることになるだろう。 七夕なんて関係がない。 1年に1度の星空よりも、毎日見守る月の守護の方が二人には価値がある。 どれほど太陽が昇っても、月が輝いても、それは変わらない誓約になるだろう。 〜志保&新婚さんの場合〜 「志保、昨日はありがとう」 「どういたしまして、ほんのお裾分けだから気にしないで、工藤君」 「こんにちは、志保ちゃん」 「あら、お帰りなさい、黒羽君」 玄関先でそれぞれの挨拶に志保は答える。 七夕の翌日、快斗と新一の二人は阿笠邸にやってきた。 飾られた笹を志保からもらったのだと新一から聞いた快斗がお手製のフルーツタルトを焼いてお礼を兼ねてやってきたのだ。 留守の間、「新一をよろしくね」と内緒でお願いしていった快斗は感謝を込めて志保が以前食べて美味しかったと誉めたタルトを焼いたのだった。 「これ、どうぞ」 快斗が差し出した箱を見て中身を察知した志保は微笑んでお礼を言う。 「ありがとう、黒羽君」 大事に受け取って、 「上がっていくんでしょう?どうぞ」 二人を居間に即した。 「もらいものだけど、どうぞ」 志保は快斗からもらったフルーツタルトを3人分切り、紅茶をいれる。 「博士、今日はいないのよ」 ネットで知り合った仲間と旅行に行ったのよ、相変わらず元気でしょう?と志保は笑う。 「博士、本当に元気だな」 感心したように新一は言う。 昔から付き合いが良くて、子供の自分とも遊んでくれて、大人になっても協力してくれる頼もしい存在だ。 「元気で何よりだね」 快斗も頷きながら紅茶を飲む。 もちろん彼のカップには砂糖とミルクがたっぷりと入っていた。 「美味しいわ、黒羽君」 志保はタルトを味わって満足げに快斗を見る。 志保好みのベリー系、ストロベリー・ラズベリー・ブルーベリーを使った甘すぎないタルト。カスタードクリームとサワークリームの2種類を敷き詰めたタルトは絶品だった。 「お気に召して頂けて、何よりです」 快斗は上品ににっこりと微笑む。 志保も快斗の意図がありありと理解できるため、快斗の瞳を見つめながら艶やかに微笑んだ。それは、「工藤くんが幸せそうだからいいわよ?どれだけでも協力してあげるわ」というものだった。 暗黙の意志を確認すると、志保は新一に興味深げに視線を向けた。 「それで、笹は飾ったの?」 「ああ………。折り紙ももらったから短冊にして飾った。な?快斗」 「そうそう。やっぱいいよね〜。志保ちゃんも飾ったの?」 「ええ。博士が喜んで短冊に願い事を書いていたわよ?」 「何て?」 「新発明が上手くいきますようにとか、100まで生きますようにとか………らしいでしょう?」 志保はくすくす笑う。 「本当だ。新発明に関しては毎年というか、いつも『世紀の大発明じゃ!』って言ってるけど、気にしてたんだな?」 その発明品には多々お世話になったので、一応新一は感謝していた。 これからも、がんばってほしいと思う。頭を使っていればぼけないし、と少しだけ失礼なことも思うが………。 「で?貴方達は何を書いたの?」 「え………?」 新一は志保に突っ込まれて瞳を見開くと、次いで頬を染めた。 (何が昨日あったかなんて、聞くだけ野暮かしら?) 志保の頭の中ではきっと数日の埋め合わせをするかのように、蜜月を過ごしたに違いないとはじき出した。考えるまでもないが………。 「で?」 それでも、頬を染めた新一が可愛くてついついいじめてしまう。 「………特別、願いごとは書いてない………。だって、思いつかないし、夢は自分で叶えるものだろう?」 「そうね。じゃあ、どうしてそんなに動揺してるの?工藤君」 新一は益々赤くなる。そして、助けを求めるように隣の快斗を見上げた。その可愛らしい仕草に快斗は内心理性がぐらつきながら、押しとどめる。ここが工藤邸ならぎゅっと抱きしめるのになあと思いつつ、新一を安心させるように微笑んだ。 「志保ちゃん、新一いじめないでよ」 「失礼ね、いじめてなんていないわ。愛情表現でしょ」 いつもは姉のように注ぐ愛だが、時々屈折した愛情表現をする志保である。 「願い事はね、自分たちでしたの。紙に書くのではなく言葉で伝えたの。了解?」 「ご馳走さま………」 幸せそうに快斗が笑うので志保は肩をすくめた。 「良かったわね、工藤君」 そして、今度は本当に姉のように慈愛に満ちた笑顔を新一に向けた。 「うん」 新一も素直に頷く。 照れたように、幸せそうにはにかんで。そんな表情を見せる新一に志保は、本当に良かったわ、と思う。 いつも笑っていてね。 幸せになってね。 私は一生貴方の主治医なんだから、ずっとずっと見ているわ。 七夕なんてただの行事だけど、貴方達がそれで笑って楽しむならありがたいものね。 それは、志保が七夕を有意義かもしれないと思った初めてのことだった………。 END |