1日の始まりはメールチャックから始まる。 それがこの2週間の日課になった。 幼い頃出逢った快斗が怪盗KIDだと知って、アメリカへ行こうと誘われたけれど、新一は断わった。でも思いは伝わったし、伝えた。 快斗と空港で別れて、次の日からメールが毎日くるようになった。 自宅のパソコンに来るメールもあるが、携帯に来るメールもある。電話は、新一が事件の捜査に加わっているかもしれないという考慮なのか、あまりかかってこない。 それでも自宅なら事件が終わってるか、現在関わってないかと思うらしく、電話がかかってくる。それでも、時差があるはずなのに。 内容はたいしたことはなくて、元気か?とか、好きだとか………。そんなものだ。 自分がそれに律儀に付き合って返しているのが恥ずかしくもあり、嬉しくもある。 「あれ?」 新一が目を覚まし身体を起こそうとすると、妙に重い。身体がだるくて、起きるのがとても億劫に感じる。 ひょっとして風邪か?と新一は原因に行き当たった。 昨日まで事件に関わって警視庁に通っていた。 まだ春先で冷たい空気の中、現場に行ったりして随分寒かったことを覚えている。 それでも暖かなコートやマフラーで防寒していたつもりだったが、現実は甘かったらしい。一度推理に没頭してしまうと、睡眠や食事を忘れてしまう自覚があったが、だからといって、その時は忘れてしますのだからしかたない。おかげで、風邪を引き込んだらしかった。最中は気を張っているためか、わからなかったがどうやら微熱があったのかもしれない。現在自分は熱が高そうだと新一はぼんやり思った。 また、志保に怒られるんだろうな、とちょっとだけ憂鬱になりながらそれでも携帯を取り、短縮1番を押した。 「もしもし?俺」 『おはよう、工藤君。どうしたの?こんな朝から………。何かあった?』 「ああ………」 新一は言い淀む。 『ひょっとして、体調が悪いの?貴方』 「………」 志保はどうしてこんなに鋭いのだろう?疑問だ。 『工藤君?』 穏やかだが怖い声だ。 「風邪みたいなんだ………」 申し訳なさそうに新一は言う。 『わかったわ。今から行くから』 「すまねえ。手間かけて」 『手間くらい構わないわ。でも、後でゆっくりお話しましょうね』 「………はい」 志保は勝って知ったる他人の家とばかりに新一の部屋まで上がってきた。何かあった時のために、合い鍵は渡してあるのだ。 ノックして扉を開けると新一はベットで寝ていた。 「工藤君?」 「志保?朝からごめんな」 「それは構わないと何度も言ってるでしょう。何かあったときは早朝であろうが、真夜中であろうが、呼びなさいと言ったのは私ですもの。呼ばなかった場合の方が怒るわよ?」 「うん」 「さあ、熱計って」 志保は体温計を取り出し新一の耳に付ける。耳で計るタイプのものだから、数秒で計れるのだ。耳だと例え赤ん坊であると、意識がない者であろうと誰でも計れるため、志保はこのタイプを常備していた。 すぐに、ピピッツ!ピピッツ!と電子音がする。 38度7分。 志保は体温計の表示を見た。 「熱が高いわね。それ以外の症状は?」 「ちょっと喉が痛い」 「口開けて」 主治医の顔で新一を診察する。喉をのぞき込むと扁桃腺が少々腫れているようだ。 「ちょっと赤いわね。扁桃腺が腫れてるから高熱もでるでしょうよ。それ以外はなんともなさそうね」 「ああ」 「この調子だと栄養も足りてなさそうだから、抗生物質の点滴と一緒に栄養剤も入れておくわね。腕だして」 志保はてきぱきと作業をして新一の細い腕に注射針を刺す。 この部屋には簡易の医療器具がある。何かあった時のため、クローゼットの中に志保が用意したものが入っている。点滴などは品質のためその都度志保が持ってくるが医療器具と一緒に薬箱の中に大量に薬も入っている。 器具に点滴を吊して、ゆっくり流すように調節する。 「しばらく時間がかかるから。寝てもいいわよ?」 「うん」 「軽く食べられるなら何か取った方がいいわね。果物でもどう?ちょうど昨日博士が苺をもらってきてたくさんあるのよ」 「じゃ、もらう」 「わかったわ。しばらくじっとしてなさい」 志保はそう言うと階下へ降りていった。 新一は目を閉じる。 熱い息。 もろい身体。 本当に、嫌になる。 思い通りにならない身体に、歯がゆい。 再び現れた志保は苺を盛ったガラスの器を持っていた。 「もういいわね」と言うと腕から針を取り出し、その場所を押さえながらテープで留めて点滴を片付けた。 「はい、どうぞ」 志保は新一に苺を渡してやる。 新一は皿に添えられたフォークで苺を指して口に入れ租借する。冷たくて甘酸っぱい感触。喉を、心を潤す。 「美味しい」 「それは、良かったわ。ところで工藤君、私が言いたいことわかってる?」 「わかってる」 志保を上目遣いで見る新一は、どこから見ても可愛らしかった。が、志保はだからといって、誤魔化されない。 「どうわかってるのかしら?典型的な睡眠不足と、栄養不足に過労。風邪を引いて当たり前過ぎて、笑っちゃうわ。私がどれだけ口を酸っぱくして言っても聞いてもらえないし」 はあ、と見せつけるようにため息を付く。 「ごめん………」 「謝って欲しいわけじゃないわ。しばらく外出禁止よ。いいわね?」 こくりと新一は頷いた。 「私たちの身体はほんの些細なことで危ないのよ。風邪を引けばそれだけで身体が持たないわ。風邪一つでも間違ったら命取りだって覚えておいて」 「ああ」 風邪だといって侮ることができない身体。 免疫力が低下しているので一度風邪を引くと直りにくい。回復が遅いのだ。 薬の市販品は飲めない。 全て志保が製造したり、市販品でも大丈夫なものを検分していいものなら、購入して用意しておく。つまり志保の許可がないと薬も飲めない。滅多に医者にもかかれない。 弱い身体。 嫌になるが、自分が望んで劇薬を服用して成長したのだ。 子供のままより、ずっといい。 「悪かったな」 だから、新一は志保に心から謝った。 彼女にいらない気遣いを心配をさせてしまったから。 どれだけ眠ったのだろうか? 優しい気配が側にある。 髪を撫でる、指。 何度も梳いては、繰り返す。 ふわり・・・。 気持ちいい感触。 例え寝ていても、コナンの時代に身に付いた癖で気配には敏感になり、敵意があるかどうかはわかるようになった。けれど、そこにあるのはただ優しくて労る気配だけだ。 これは、何だろう? そっと目を開くと、なんと快斗の顔がある。 ここにはいないはずの人物。遠くアメリカの空の下にあるはずに青年。 どうして? 「快斗………?」 新一は名前を呼んだ。 「うん」 「何で?」 「逢いに来ちゃった………」 「は?」 それはどういうことなのだろうか? アメリカは飛行機にしてどれだけかかるだろう。場所にもよるが、片道1日くらいかかるのではないだろうか? 簡単に逢いにこれる距離ではない。 新一の不信そうな顔に快斗は苦笑する。 「だから、仕事終わって飛行機飛び乗ってきたんだよ。新一の顔が見たかったから。そしたら新一、熱だして寝てるし。タイミングは良かったな。弱ってる新一を一人にしないですんだ」 「馬鹿」 「うん、馬鹿でいいよ」 快斗は嬉しそうに笑う。 馬鹿だと言われて笑う馬鹿がいるなんて。新一は本当に、こいつ馬鹿だと思う。 「ね、早く治してね。元気になって?」 「うん」 「側に付いているから、安心して寝ていていいよ」 耳元にそっと囁く。 頷いて、新一は目を閉じた。 新一の片手を取って、指を絡めて甲に口づける。 そして、ふわりと屈むと軽く羽みたいに口付けた。唇が触れるだけの優しい労るような、慰めるような、そんな感触。 伝わってくる想い。 「早く良くなるように、おまじないだよ」 額にかかった髪を梳く。少し汗ばんで張り付く髪を梳いて。 「好きだよ………」 そして、優しい声を最後に新一は意識を手放した。 翌日、昼過ぎに新一が目覚めると、側には誰もいなかった。 夢だったのだろうか? でも?それにしては現実感のある夢ではないか? 例え夢だとしてもとても気持ちよくて、熱で身体が辛い時はいつも憂鬱になるはずなのに、気分がいい。 ふと目を留めた先。 机の上に薔薇が1輪とカードがある。 『1週間後にもう一度来るから、その時までに治してね。貴方のマジシャンより』 本当に、昨夜はここに居たらしいことがわかる。 けれど、もう居ない。 どうなってるんだ???新一は疑問に思う。 この事実から理解できることは、昨夜は確かに日本に居たけれど、もう帰ったということだ。24時間日本に居なかった可能性が高い。 新一の推測通り、実は快斗、とんぼ帰りをしなくてはいけなかったのだ。 どうしても新一に会いたくて、短い時間をぬって日本に来た。 片道1日かかる距離。おかげで、日本に24時間もいられなくて………。 熱のある新一の様子を名残惜しげに、すぐにアメリカに戻ったのだ。 本当に、馬鹿だ。新一は思う。 何してるんだかな、あいつは………。 薔薇からはいい香りがした。白い薔薇は快斗を思い出させる。 それも計算に入れているのか。だったら、とんてもない策士だ。 知ってるけどさ。 なんとなく、してやられたような気がして少々悔しい。 それからの新一は賢明に療養に専念した。 おかげで風邪を治すことに成功する。 珍しく睡眠を取って食事もして、なんと警部からの依頼も断って。 もちろん、志保から外出禁止令が出ているのだから、出かけられる状態ではなかったのだけれど「すみません」と電話で断る新一の態度はやけにきっぱりとしていた。通常であればもっと後ろ髪引かれるのに。 志保曰く、「こんなまだ寒い中外出したら、絶対に併発する。ウイルスなんて街じゅうに溢れている。これで、インフルエンザなんて拾った日には、目も当てれれない。だから、絶対安静、外出禁止」との仰せである。 新一はこれ以上酷くなるのも、病気を拾うのもごめんであった。 なぜなら、1週間後には快斗が再び来るのだから。 その時に、寝ていては悔しすぎるではないか。 そんな様子の新一を見て志保は笑っている。 もちろん新一専属の主治医である志保だから、毎日様子を見て、それに応じて薬を変えたりして対処していた。 ちなみに「いつもこうでいて欲しいわね、工藤君」と嫌味を言われたこことは快斗には絶対秘密である。 約束の日。 飛行機の時間は前もってメールで教えられているので、待つだけだった。 新一は朝からそわそわしている。部屋の掃除をしたりお茶の用意をしたりと落ち着かない。 もうすぐかな?とどきどきしていると、玄関に人の気配がした。 ピンポン!と来訪のブザー鳴らす頃には玄関の扉を新一は開いていた。 目の前にはトランクを下げた快斗の顔。 憎らしいくらいにハンサムでかっこいい。 「新一!ただいま」 でも、そう笑ってくれるから、新一も嬉しくなる。 「おかえり、快斗」 新一は快斗の首に腕を回して飛びついた。もちろん、快斗は危なげなく抱き留める。 華奢な身体を思い切り抱きしめて、新一の髪に顔を埋める。彼から甘い香りが漂う。 「大好きだよ」 焦がれる程に溢れる想いを口にする。 傍にいたい。 どんなに自分を戒めても、逢いたくなってしまう。 それは恋人を持つ人間にとって当然の欲求だ。 でも、しばらくは遠距離恋愛。 これくらいでは、へこたれない。 だって、やっと手に入れた愛おしい存在なのだから。 だから、短い時間でも逢いたいんだ。 そんな我が儘を、許して欲しいんだ。 いつか、君の傍らに居たいと思う。 どんな時も。 笑っている時も、泣いている時も、寂しい時も、熱を出して苦しんでいる時も。 その時が来たら、君に告げよう。 ずっと傍らに居たいと………。 その時、君は頷いてくれるだろうか? END |