全面ガラス張りになった先に見えるのは雑踏の街。 知らない人たちが通りすぎて行く。 どこへ行くのか。 駅に、お店に、帰途に、それとも誰かの元へと? 視線を手元の真っ白なカップに戻して、濃いめの珈琲をすする。 酸味の苦手な私にとってはここの珈琲は美味しく感じる。人に言わせると苦いらしいが、そんなもの感じない。心地よい苦みと口に広がる後味が私好みなのだ。 だからいつもブレンドではなくて、マンデリンを頼む。 マスターというより、オーナーと呼ぶに相応しい初老の店長の趣味なのか、店内もすこぶる上品である。飴色のテーブルに曲線が美しい椅子。室内は落ち着いた木目で統一されていて、所どころの壁にはさりげなく絵が掛けられる。 テーブルの上には小さな一輪挿しの花瓶が置かれ、現在は野の花が生けている。 いつもどこから取ってくるのか不思議である。なぜなら、春ならたんぽぽ、蓮華、白爪草、枝物なら梅、桃、桜、連翹、色とりどりの花が飾られているから。 これも店長の趣味だったら、奧が深いなどど思う。 私は腕時計を見て確認する。 現在時刻は2時。 待ち合わせは、1時のはず。 ふう、と大きくため息を付いた。 なんというか、これってひょっとして? 嫌な予感が頭を閉める。 どうしようか、かれこれ1時間も珈琲1杯で粘っていることになってしまった。待ち合わせだからと思ってずるずると居続けたのだけれど、このまま待つならもう1杯頼もうか? 私が「すみません」とオーナーに声を掛けようと顔を上げた時、チリンと涼やかな音を立てて玄関の扉が開いた。 私はひょっとしたら?と期待を込めて振り向いた。 が、そこにいたのは待ち人ではなかった。 私は驚愕で思わず口をぽかんと開けてしまった。 一言でいうなら、それ以上の人物だったから。 かっこいい………。 すらっとした長身で細身だけど華奢なんてイメージはない。鍛えた筋肉が付いていそうな感じがする。切れ長で涼やかな瞳は光の反射か紫色に見えた。少々くせ毛らしく跳ねた部分が大人の雰囲気とアンバランスだ。端正な顔は室内を見回した。 私は見惚れていたことを自覚して誤魔化すように下を向いた。 「すみません、さん」 するとオーナーが声を掛けてきた。 「はい?」 馴染みなので気軽に返事をする。 「実は満席で、相席お願いしてもよろしいですか?こちらのお客さんも待ち合わせみたいで………」 オーナーの横で微笑んでいるのはさっきのハンサムさんだった。 「はい」 ちょっとだけ、緊張して返事をする。 私は4人席に1人で座っているのだ。当然であろう。 「失礼します」と断ってハンサムさんは向かいの席に座った。そして、オーナーに「ブレンドお願いします」付け加えた。 私はどこに視線を向けていいか、迷う。 だって、こんなハンサムそうそう拝めないわ。 この際、見ておこうか?と誘惑に駆られる。 でもでも、失礼よね。それなら窓の外でも見ておこうかしら? ああ〜、どうしよう………。 ひとまず、珈琲でも飲むか?私は 「すみません」 と可愛らしくオーナー呼んだ。 嫌、だって、そりゃ可愛く見てほしいじゃない。それくらい、いいわよね。 「カフェオレ下さい」 「畏まりました」 私はオーナーに注文する。オーナーはいつものように、一礼して去っていった。 ここのカフェオレは好きだ。 濃いめの珈琲にミルクが入ると、美味しさも一塩。 だいたい、珈琲専門店のくせして、不味い店が多すぎるのだ。 専門店と銘打って、1杯ずついれてるくせに沸騰した湯使うんじゃないよ、と思う。温度は90度、これは最低限のルールだ。そして、入れ方一つで同じ豆でも味が違う。愛情でいれられた珈琲はそれだけで、美味しい。最初の蒸らし、湯の注ぎ方。例え、同じ豆でも珈琲メーカーで入れるのとはやはり味が違う。微妙な加減が大切なのだ。なぜなら、豆の状態できっと温度も入れ方も違うから。家でペーパードリップで入れているから良くわかる。専門店で満足のいく珈琲は以外に少なく、数少ないお気に入りの店なのだ。 ぼんやりとそんなことを思っていると、オーナーが私のカフェオレとハンサムさんのブレンドを持ってきた。 「どうぞ」 それぞれの前に注文のカップを置く。そして、通常は付かないおまけで小皿にチョコチップクッキーが乗っていた。私はオーナーを見上げた。 「内緒だよ」 優しい声がいつも嬉しい。 「ありがとう」 オーナーに微笑みながらお礼を言った。 気遣いが嬉し過ぎる、こんな時は………。 私は入れ立ての珈琲を香りを楽しみつつこくりと飲んだ。 やっぱり美味しいわ。 ん?しかし、目の前の光景にちょっとだけ、びっくりした。 見るつもりはなかったんだけど、ハンサムさんがシュガーポットから砂糖を大盛り3杯くらい入れて、ミルクをあるだけ注いでくるくるとスプーンでかき回しているではないか! 似合わない………。 偏見だろうけど、外見が大人のいい男だとブラックなんかで飲むかと期待してしまうのだ。 そんな私の視線に気付いたようで、ハンサムさんはくすりと微笑んだ。 う………、どうしよう。 見ているころがばれてしまった。 「私、こう見えて甘党なんですよ。珈琲は砂糖とミルクがないと飲めません」 悪戯っ子がするように茶目っ気たっぷりに片目を閉じて見せた。 「すみません、そんな気はなかったんです。美味しく飲めれば何でもいいと思います」 うう〜、ウインクなんてこんな様になる人いるんだな。かっこいいよう〜。 「さんは珈琲がお好きみたいですね?」 へ?名前どうしてわかったのだろ。 私の疑問が顔に出ていたのだろう。ハンサムさんは、言った。 「さっきオーナーが呼んでいたでしょう?だからです。勝手に名前を呼んで失礼しました」 「いえ、いいんです」 私は手を振って肯定する。 「珈琲はですね、大好きです。中毒です。1日何杯も飲みます」 私は焦って、聞かれもしないことを言っていた。 「知人にそんな人がいますから、わかりますよ。美味しい珈琲じゃないと文句を言うのに、中毒症状になると、何でも良くなる。インスタントでも、缶でもいいから珈琲を摂取しないといられないって」 彼は楽しそうに話す。 「同じ人種かもしれませんね、その方」 私は見も知らぬ相手に同族意識を持った。 「さんもですか?」 「はい。思いっきり当てはまります」 「それはきっと話があうでしょうね」 「中毒症状の苦しさは、分かり合えると思います。あれは、狂気の瞬間です!珈琲は私の命の水です。珈琲があれば、生きていけます!!ないと生きていけません………!!!」 力説する私にハンサムさんはくすくす笑う。 あ、やってしまった。 「すみません」 恥ずかしいったら、ないわ。 「いえいえ、反応が同じで笑えるだけですから、気になさらないで下さい」 「………」 笑い上戸なのか、我慢しようとしているのに、まだ笑っている。 いいけどね、ハンサムさんの笑顔は格別だ。 あれ?ジャケットのポケットに入れておいた携帯にメールが入ったみたい、バイブ機能にしてあるから、振るえているのがわかった。 私は、ボタンを押して、メールを取り出す。 ………。 『別れよう。さようなら』 これって、どういうことよ? 何も、今日という日に「さようなら」という必要がどこにある? お前は悪魔か? ちくしょう。 悔しくて、悔しくて………。 なんとなく、そんな気がしていたけど、でも、だからといって、この仕打ちはないんじゃない? 恨んでやろうか。 今度、呪いの人形でも買って送り付けてやろうか。 そんなことはしないけど、一言言ってやりたい。 ぐるぐる渦巻く気持ち。 私は唇を噛んだ。 どうしよう、こんな所で。 泣きたくなんてないのに、涙が溢れそうだ。 私は下を向いた、やり過ごそうとしていたら、気遣う気配がした。 「どうかしましたか?」 「何でもありません。すみません、急に」 私はどうにか持ちこたえようと無理に笑って見せた。 ふむ、とハンサムさんは考えるそぶりをすると、私の目の前に手を伸ばした。 ポンと音がすると、なんと白い薔薇があった。 は? 瞳を見開いて、ハンサムさんと薔薇を交互に見る。 「どうぞ」 「ありがとう」 思わず受け取ってしまった。 不思議そうに見上げた私にハンサムさんは優しい声で言う。 「悲しいことがあった顔をしていますよ。どうしました?」 好奇心とか同情とかそんなものはなくて、ただ、心配しているという気持ちがわかる。 逢ったばかりなのに、どうしてこんなに安心できるのだろう? 私は、なるべく軽く明るく事実を述べた。 「今日、ここで待ち合わせしていた人に振られたんです。それもメールで。さよならって簡単な言葉だけで。どうせなら、逢って言って欲しかった」 「そうですか。ああ、ひょっとして今日は………?」 ハンサムさんが気付いたように私の顔を見た。 「ええ、世間はホワイトデーですから、例外にもれず私もそのつもりでここに来ました。ヴァレンタインに振らずに、ホワイトデーに振る男ですから、清々します」 無理に笑う私にハンサムさんは穏やかに見るだけだ。 瞳は無理しなくてもいいのに、と言ってる。 でも、それくらい言わないと泣き出しそうだったのだ。 けれど、いい。 こんな聞いても楽しくない失恋話を聞いてくれる奇特な人がいてくれただけ、幸せだ。 それにしても、変わった人。 突然、薔薇の花を出したことといい、何者なのだろうか? 「はい」 そして、ハンカチが差し出された。 「思いっきり泣いてすっきりして、いいんですよ」 私はハンカチを受け取ると目の端に溜まった涙を拭いた。 「ありがとう。でも、もう涙なんてどこかに行ってしまいました」 そして、泣き笑いになってしまったかもしれないけれど、微笑んで見せた。 「そうですか。泣いてるより笑っている方がいいですけどね、さんは」 「あの、私は貴方をどうお呼びすればいいでしょうか?名前を呼んで、ありがとうと言いたいんです」 「失礼しました。私は………」 「快斗!」 いきなり第三者の声に驚いて、私は声のした方、すぐ横に立っている人物を見上げた。一方ハンサムさんはあれ?と見つめていた。 ………。 これは奇跡? なんて綺麗な人なんだろう。 黒い絹糸みたいな髪。小さな顔には蒼い瞳が輝いている。引き込まれそうな夜空の蒼は宝石みたいだ。桜色した唇は口紅も塗っていないだろうに、艶めいていて、雪みたいな白い肌に映えていた。少年と青年の真ん中くらいのしなやかで、華奢な身体からは瑞々しい色香が漂う。 「新一」 ハンサムさんはこの奇跡みたいな存在を、そう呼んだ。 「何してるんだ?快斗」 「何してるはないんじゃない。新一を待ってたんでしょう?」 優しげに微笑む、ハンサムさんだ。 「ちょっと座りなよ」 美人さんの腕を取り、自分の隣に座らせた。そして、私に向き直ると楽しそうに笑う。 「失礼しました。私は黒羽快斗といいます。こちらはさんの同族、珈琲中毒者の新一です」 「え?この人が?」 驚愕である。 まさか、同族がこんな美人だとは思いもしなかった。もっと叔父さんかと………。偏見とは恐ろしい。 「何だ?その同族とか、珈琲中毒は?」 「こちらのさんは新一と同じくらいの珈琲好きなんだよ」 「珈琲好き?」 きらりと美人さん、新一さんの瞳が光った。 「はい。中毒だと自覚してます。飲まないと、1日が始まりません。あれがないと生きていけません!」 「同感です」 にこり、と微笑んだ。 ………!!!! なんて強烈に、犯罪的に綺麗な笑顔なんだろう? これって、奇跡だよね。 目の保養を飛び越えて、眼福だ。 神様、ありがとう、感謝します。 今まであまり信じていなかった天に祈りを捧げてしまった。 私が固まっていると、新一さんはハンサムさんこと快斗さんに向いて 「それで、どうして彼女は泣いてたんだ?お前、何してた?」 冷たく言い放った。 「それはね、誤解」 快斗さんが肩をすくめて弁解しようとする。 「違います!!!黒羽さんは私がたまたま目の前で失恋したんでハンカチ貸してくれただけなんです!!!」 私は恩を仇で返してはなるまいと、大声で言った。 すでに、失恋なんてどうでもいい。 私の必至の声に新一さんはきょとんとして、くすりと小さく笑う。 可愛いったら、ないわ。 美人はどんな表情をしてもいいものだ。 うっとりしてしまう。 「それは、失礼しました。そんな事言わせてしまって、申し訳ない」 「いいえ。もう、忘れましたから。全然構いません」 「そうですか」 「はい」 現金なものだ。本当にどうでもいい。 ただ、この奇跡みたいな美人とハンサムさんを見れただけで失恋なんてお釣りが来るわ。 恋なんてしようと思えばいつでもできる。でも、美形は、そう簡単に拝めない。まして、こんな極上な人間は、これっきり逢えないかもしれないではないか! 目に焼き付けておこう、と心に誓う。 「新一、ここの珈琲は美味しいらしいから、1杯どう?」 「そうだな、もらおうか」 オーナーにブレンドを注文する。 「珈琲1杯の時間を一緒に過ごしてもいいですか?さん」 新一さんがそう言ってくれる。 「はい」 「ホワイトデーに私がさんに1杯珈琲をご馳走しますよ」 快斗さんが綺麗にウインクしてくる。 「ありがとうございます」 嬉しくて、嬉しくて、今度は嬉し涙が出そうだ。 珈琲1杯だけの時間をありがとう。 絶対に忘れない。 今度、この店を訪れる時は、きっと思い出さずにはいられない。 このお店が思い出に変わっても、この出会いは心にずっとある。 だから、一時の至福の時を過ごそう。 END |