「はあ・・・」 自然とため息を付いてしまう金蝉である。 「どうなさいました?」 連翹が手を止めずに金蝉を伺い聞く。 先ほどから夕餉の支度、お着替えに入った金蝉である。 ここは桜の間、通称衣装部屋である。 着替えを見たそうな数人を追い払い金蝉は連翹と二人でここに隠もっている。 「なんで、こうなるんだ?」 嘆く金蝉に連翹は微笑む。 「よろしいではありませんか。たまには我が儘も聞いて差し上げても」 「ばばあには付き合いきれん」 「観世音菩薩様ではありませんわ。天蓬元帥ですよ、金蝉様」 「・・・天蓬?」 「そうですわ。珍しいではありませんか、あのように嫉妬される元帥は希でございます」 からかう風でもなく、優しく語る連翹には不思議と反発心も沸いてこない。 「嫉妬?」 「はい」 連翹は穏やかに返事を返す。 会話をしながらも金蝉を着付け、帯を締める。 薄い桜色の上衣。 下衣には薄紅色。二重とも身動きする度に揺れるほど軽くて薄い。 帯は細くて銀糸で編まれている。 「今日はどのような簪にしましょうか」 髪を結い上げながら、金蝉に尋ねた。 「どれでもいい」 「そればかりですわね・・・。でも、今日は格別にお美しくあられるべきだと思いますわ」 連翹は銀の細工に柘榴石と紅玉が滴のように連なり、揺れると涼やかな音を立てる見事な簪を選び髪に刺す。 耳には銀地に大きな月長石だけの耳飾り。 出来上がった金蝉の麗姿に満足げに連翹は微笑んだ。 「いいじゃねえか、金蝉!」 「綺麗だ〜」 「ふ〜ん、なるほどね」 「・・・」 着飾った金蝉を見たそれぞれの声である。 金蝉は誉め言葉にも嫌そうに眉を寄せるだけだ。 「そろそろ時間だろ、夕餉に行くとするか」 観世音に即されて、観世音が住む宮の夕餉の支度がされた間に行くこととなった。 「いってらっしゃいませ」 連翹の声を後ろに聞いた。 部屋には食事と酒が用意されていた。 自分の隣に金蝉を引っ張ってきて観世音はどかりと座る。 「ほれ、酌だ、酌!」 観世音は楽しそうに金蝉に向かって則す。 金蝉は眉間に皺を刻む。 けれど観世音はこれっぽっちも気にしない。 無理矢理酒の入った硝子の瓶を持たせると自分は瑠璃色の杯を差し出した。 金蝉は内心あきらめの境地に達しつつ、杯に酒を並々と注いだ。 実はこれまでにも幾度となくやらされてきたおかげで、金蝉は酌に慣れていた。 慣れたくなんてなかったけれど、これは必然だった。 注いだ瓶から酒は一滴も漏れることがない。 楚々としているつもりはないが、自然と仕草はそうならざるを得なかった。 「旨い!」 観世音は酒を煽ると満足げに笑った。 「ほれ、捲簾にも注いでやれよ」 ふられた捲簾は喜んでいいのか、判断に苦しむ。 隣にいる親友が怖い。 そんな今にも殺するような視線で見ないで欲しいと思う。 が、金蝉はもはやあきらめていたので、一杯だけ注いで後は逃げようと考えていた。 だから、捲簾の隣に来ると何も言わずに杯に酒を注いだ。 首を傾げた拍子に金の髪に刺さった簪の柘榴石と紅玉が揺れて灯りに反射する。 簪はしゃらんと涼やかな音を立てる。 衣からは焚きしめた香なのか、艶やかな香りがする。 伏せた睫毛に輝く紫水晶の瞳。 白い手が、指が目の前にある。 捲簾は思わず見惚れていた。 これはまずいんじゃないのか?と冷や冷やした。 一方捲簾の変化に当然気付いていた隣の親友はにこやかに笑った。 その瞳は絶対零度であった。 「金蝉・・・」 そして、かの人を呼ぶ。 金蝉は顔を上げて天蓬を見た。 「僕にもお願いできますか?」 金蝉は黙って頷いた。 天蓬の隣に座り、杯に酒の瓶を傾ける。 杯に気を取られている金蝉をじっと見つめる天蓬。 いつも美しいけれど、今日は匂い立つような色気がある。 ちょっとした嫉妬と独占欲から出た欲が身をほろぼしそうだ。 これを捲簾に見せたのは失敗だったかもしれない。なんて、もったいないことをしたのだろうか、と天蓬は少しばかり悔やんだ。 そして、これは拷問かもしれないと思う。 「ありがとうございます。貴方もいかがですか?」 天蓬は杯を金蝉に差し出した。 にっこりと微笑みを付けて、いいでしょう?と瞳が言う。 金蝉は一瞬躊躇したが杯を素直に受け取った。 酒で満たされた杯を傾けて、美酒を味わう。 「まあまあだな・・・」 金蝉はそんな感想を漏らす。 注いでばかりで、自分では味わっていなかったのだからしょうがない。 「金蝉、これ美味しいよ!」 悟空が金蝉の側まで寄ってきて、着物を引っ張る。 指し示す先は新鮮な魚介類を使った料理だった。 「ああ、たっぷり食っておけ。こぼすなよ」 そして、悟空の口に付いた汚れを指でそっと拭った。 「うん!!」 悟空は上機嫌である。 まるで、母と子のような穏やかな空気がそこにはあった。 それを見守る者達はほほえましい光景に優しい気分になる。 しかし、それでは終わらないのが観世音であった。 「どうだ、悟空?飲んでみるか?」 よりにもよって、悟空に酒瓶をふって見せた。 「うん」 悟空は嬉しそうだ。 大人がいつも飲んでいる酒を一度飲んでみたかったのだ。 「猿に酒なんて飲ませるんじゃねえよ」 金蝉は観世音に怒る。 「いいじゃねえか。なあ、飲んでみたいだろう?」 「飲みたい!」 「だめだ!」 金蝉が悟空にも怒鳴る。 「どうしてだめなんだ?いいじゃんかよ〜」 「絶対酔う。どうなるかわかったもんじゃねえ、止めておけ」 「・・・けち」 「この、ばか猿!!!!」 金蝉は悟空の頭を叩いた。 「ばばあも猿になんて飲ますなよ!」 金蝉は釘を刺す。効果があるとは到底思えないが・・・、言わないではいられないようだ。 「まあまあ、金蝉も折角なんですから食べてはいががですか?お酒も美味しいし、ね?」 天蓬は金蝉の肩に手を置いて、手を取ると再び杯を持たせる。 「ほら」 金蝉も気分を切り替えて楽しむことに決めた。 いつまでもばばあと猿に付き合ってなどいられない。 天蓬に勧められるままに酒を飲む。 ついでに、天蓬の杯にも酌を返した。 天蓬は自分の隣から金蝉を離す気はなかったのだ。これ以上捲簾の側になんて絶対行かせるつもりはなかった。だから、酒と食事を勧めまくった。 有能な元帥は、とても心が狭かった・・・。 どれほど時間が経っただろうか? 観世音に酒を飲まされて酔いつぶれた悟空。 ほろ酔い気分の捲簾。 酔ってるんだか、いないんだか、さっぱりわからない観世音。 酔いが回ってふんわりしている金蝉と彼を肩で抱き留めている天蓬(外見に変わりなし)。 そろそろお開きだなと、意識のある3人は思った。 当然ながら、当たり前のように天蓬は金蝉を抱き上げた。 金蝉もぼんやりしているため素直に身を任せている。 「宮まで送ってきます」 天蓬は観世音に言う。 「ああ、帰ってこなくていいから」 ひらひらと手をふった。 「お子さまは俺が預かっておいてやるから!」 捲簾はにやにや笑いながらそれでも楽しそうに言う。 「それは、どうも」 天蓬は表情の読めない顔で返した。 二人の視線をものともせずに、部屋を後にした。 長い廊下を金蝉の住まう宮まで歩く。 照らす灯りは月の輝き。 「うん・・・?」 腕の中の金蝉がうっすらと瞼を開く。 「天蓬?」 天蓬を認めて、自分の置かれて状況がぼんやりだが理解できた。 「金蝉?もうすぐ宮ですから」 天蓬の声に金蝉はこくんと頷くと再び目を閉じた。 安心しきって身を任せている金蝉に、天蓬は嬉しいのだけれど、困ってしまう。 「ほら、金蝉」 天蓬は金蝉を寝台に静かに下ろす。 「邪魔だ・・・」 結っている髪が鬱陶しいのか、天蓬に支えられながら金蝉は簪を抜き取る。 すると、金色に輝く長い髪がゆるやかに波打ち背中に落ちた。 金蝉はふわりと天蓬を見つめる。 酒のせいで肌が上気している。触れている部分から暖かい体温が伝わってくる。 「天蓬・・・?」 「はい」 「今日のお前、おかしい」 「・・・ちょっと、つまらない嫉妬をしてしまいました」 天蓬は素直に伝える。 「お前って、馬鹿だな」 そう言って天蓬の頬に白い指を伸ばす。 「嫉妬する必要があるのか?」 瞳をのぞき込み、首を傾げる。さらりと流れる金の波。 天蓬は切なげな瞳で金蝉を見ると柔らかく両手で抱きしめた。 「金蝉・・・」 抱きしめる腕に力を込める。 金蝉は自由になる指で天蓬の髪をゆっくり梳く。 「ところで、天蓬。お前が見立てたんだろう?似合わないのか?」 「え?」 天蓬は身体を少し離して金蝉を見る。 「そんなことありません。とても良くお似合いです。まるで桜の花の化身みたいです」 「ふん。だったら最初からそう言え」 あわてて答える天蓬に金蝉は咎めるように言う。 実は天蓬、今日金蝉の衣装について何も感想を述べていなかったのだ。 自分で選んでおいて、それはないのではないか?と金蝉が思っても不思議はなかった。 なにせ、天蓬の発言のせいで、着替えをしなければならなくなったのだから・・・。 「あ、すみません。僕って馬鹿ですね」 天蓬も自分の失態に気付いた。 はははと、苦笑いである。 「本当に、馬鹿だ・・・」 金蝉は囁くように言う。けれど、天蓬の胸にことんと、頭を預けて。 「・・・いいかげん、わかれ」 小さな小さな声。 天蓬に気かせるつもりのない心。 「金蝉・・・」 その声が聞こえてしまったのかどうかは金蝉にはわからなかった。 でも、自分を呼ぶ優しい声にゆっくりと顔を上げた。 重なる唇。 触れている先から伝わる熱。 想いが溢れるほどに流れてくる感情。 吐息が漏れる。 薄れる意識の中で天蓬の声を聞いた気がした。 「愛しています・・・」と。 END 「後書き」 天蓬の嫉妬も最後は甘くなるようです・・・。(笑) ラブラブやん!と思いました。(←ばかです) |