お日様はぴかぴか、空気もまどろんでいるようで、深呼吸するだけで、春を感じることができる。英都大学のキャンパスを研究棟へと一人の男性が歩いていた。 金髪碧眼の背の高い英国紳士風のその男性、なかなかハンサムである。 今日の抗議はもう終了し、桜並木を堪能しようと、散歩していたのだ。 ジョージは八分咲きの染井吉野を見上げた。
「ジョージさん!」 そこへ、一人の青年が歩いてきた。 学生、否、院生くらいだろうか?20過ぎくらいに見える。 明るい茶色の髪に琥珀の瞳。背は低くないが華奢な身体付きをしている。 そして、花がほころぶような笑顔。 彼を見下ろす桜が歓迎しているように、さわさわと揺れる。
ジョージは笑顔を浮かべて、アリスに近寄った。 「今日はヒムに逢いに?」 「はい。いい天気なので、花見がてら…」 アリスは空に、桜に向かって手を広げる。 そこに、花びらが舞い降りて、一瞬目を奪われる程の情景があった。 「お茶でもいかかですか?アリスさん」
「美味しいですね。」 「それは良かったです」
自慢の紅茶をジョージは丁寧にいれて、お茶請けは、生徒の差し入れのマドレーヌであった。今日のお茶は「ベノア」の「セイロンディンブラ」であり、ミルクティーにしてあった。ジョージお薦めの一品である。 アリスはティーカップを持ったまま、小首をかしげて、ジョージを見た。 その姿はとても30過ぎには見えない可愛らしさであった。 アリスはジョージの同僚のヒムこと、火村英生の「親友」?である。 時々火村を訪ねて、彼の母校でもある、ここ英都大学にやってくる。 ジョージは火村の研究室や図書館などでアリスと逢う機会があった。が、大抵火村も一緒で個人的に話はなかなかできなかったのである。 しかし、今日は大変良い機会である。 ジョージは常々思っていた疑問を聞いてみることにした。
アリスはくすり、と微笑んだ。 「実は、大学2年の時なんです。階段教室の最上段で、俺、小説を書いとったんですよ。そしたら、隣に座った男が書き掛けの原稿を読んでいたんです。で、授業が終って立ち去ろうとしたら、「その続きはどうなるんだ?」って」 「それが、ヒムだったんですか?」 「ええ、俺が「あっと驚く真相が待ち構えているんや」っていうたら、「気になるな」て。俺も小説家志望やったから、嬉しなって「ほんまに?」って聞いたんです。そしたら・・・」
ジョージは続きを促す。 「火村は「アブソルートリー」って!その後は話がはずんで、食堂でカレーライスをおごってもらいました」 アリスはその時を思い出したのか嬉しそうだ。
学生の時のアリスを想像するに、きっと今よりもずっと無邪気で、可憐だったに違いない。とっても、とっても、もてていたことだろう。けれど、どうして気付かないのだろう。学生時代の火村の苦労が忍ばれた…。 「ヒムは学生時代から、変わっていたんですね」 それでも、口に出したのは無難な答えだった。 言えるわけがないではないか、恐ろしい。
アリスはジョージの瞳を覗き込んで、大きな瞳を楽しそうに瞬いた。 ジョージは引きこまれるように、見つめる。 その柔らかそうな頬に手を伸ばしてみたい、と思う。が、まずいだろうと諦めた。 「アリスさんの瞳の色って、茶色っていうか、琥珀っていうか、微妙ですよね」 変わりに瞳を見ていても、問題なさそうな話題に切り替えてみる。 「そうですか?自分ではわからんのですけど」 「ええ。とても、美しいです」 流石、英国紳士。誉めることは美徳であるらしい。 「ありがとう」 アリスは、きょとんとして、お世辞だと思ったようだ。 アリスはふんわりとして、そんな殺し文句を言う。 ジョージは「そんな無防備でいいんですか?男にそんな風に、笑いかけたら、だめですよ、危ないです…」と喉まで出かかった言葉を飲みこんだ。 全く、ヒムのものでなかったら、絶対くどいてますね、と思う。 ちょっとだけ、軽くため息をついて、 「ありがとうございます。アリスさんにそう言って頂けると嬉しいです」 笑顔まで付けて、答えた。 一緒にいられることは、大層喜ばしいが、精神衛生上はよろしくないらしい、とジョージは判断した。
アリスを無事火村の研究室まで送り届けることに決めた。
「有栖川君?」 後ろから声がかけられる。 アリスは聞き覚えがある声に振り向いた。 「佐伯教授?」 「やっぱり、有栖川君だ。最近来てくれないから、締め切りが大変なのかと思っていたんだよ。でも、桜の時期だし、有栖川君が逃すわけないと思っていた。的中だね」
もちろん、ジョージも佐伯教授のことは知っていた。
「ああ、わかっているよ。君の載った雑誌も読んでいる。でも、私には探偵の才能がないのか、さっぱり犯人がわからないよ」 「ありがとうございます。今度新刊が出るので、持参しますね」 アリスはぺこり、と頭を下げてお礼を言った。 そして、懐かしそうに、佐伯を見上げる。 優しい表情でそれを見ていた教授は、にやり、笑うと、 「じゃあ、これから研究室においで。先日イギリスに学会に行ったんだけど、君の好きな紅茶を買ってきたんだよ。逢えたら、渡そうと思っていたんだ。どうだい?」 そんな事を言われて、断れる訳がなかった。
「わかりました。お邪魔させていただきます」 アリスは心の中では「火村、ごめん」と思いながら、それでも恩師には笑顔を向けた。 佐伯教授はアリスの学生時代、ゼミ担当の教授だったのだ。 その際かなり、可愛がってもらった自覚がある。それは他人が見ても一目瞭然である、事実であったのだ。小説を書いていた事も知っていて、がんばれ、と応援してくれた数少ない人物であった。アリスにとって大切な理解者であり、理想の父親のような、大好きな人物だったのだ。 結局ジョージも一緒に研究室にお邪魔することとなった。
一方噂の火村助教授は、というと…。 研究室でむっすとした、いかにも機嫌の悪そうな表情を浮かべて、キャメルをふかしていた。レポート提出に来た生徒はいい迷惑である。 その、機嫌を損ねる情報を火村に告げて来たのも生徒であったが。 今日は特別アリスと約束をしていたわけではなかった。 けれど、学生がアリスを見かけた、というのだ。 それもジョージと一緒にいた、と。 きっと内緒で来て講義でも覗こうと、早く来たに違いないのだ。 なぜなら、火村の講義のある時間に大学にいたことがはっきりしているためだ。 なのに、一向にアリスは現れない………。 その答えは???
そんなことを考えるあたり、子供扱いしてアリスに怒られるのだが、自覚がなかった。 そして、火村の杞憂はあながち間違いではないのである。 そう、人気者のアリスは校内で片っ端から捕まるのだ。アリス自身はその自覚にまたまた欠けていて、火村の気苦労が絶えない。きっと彼の白髪の一部はアリスの責任だろう。 いい加減焦れてきた火村は心当たりを探してみることに決めた。
「アリス?」 一歩ドアを出るとそこには、アリスの一行がいた。 ジョージ、佐伯教授、火村の助手(本地)、院生(浅野)とアリスである。 全員男性である所が、火村の嫉妬心を煽っていた。普通は逆じゃあ?と思わないでもないが、アリスが相手では、さもありなん。 しかし火村は腐っても臨床犯罪学者?であるし、名探偵でもあるので(笑)一瞬の間にこの集団の行動をはじき出した。まず、助手も院生もアリスを直接誘うわけはないので、火村の研究室に来るついでで、一緒に来たのだろう。そして、ジョージは一緒にいたことが判明しているので、どうせ研究室でも行ってお茶していたことだろう。佐伯教授に至ってはアリスが誘われて断れるわけがなかった。 けれど、いくら優秀な頭脳で判断できたとしても、嫉妬心がなくなるわけでもなかった。かえって、燃え上がったかもしれない。 アリスが地を這う程の不機嫌オーラを醸し出している火村におそるおそる声をかける。 なんとなく、状況の悪さを認識した一団は「それじゃあ」とか言って、去って行った。
「火村?」 研究室に入っても答えてくれない火村に、アリスはどうしたものか、考える。 ひとまず、すぐに来れなかったことを謝ろう…。 「ごめんな、火村…」 冷たい声に、びくんっと、ふるえる。アリスは小さな声で 「だから、もっと早よう来るつもりやったんや。でも・・・」 アリスは続きを言うことができなかった。なぜなら火村に壁に押しつけられ、唇を塞がれていたから。「ちょ…と、う…ん…」押し返そうとした手首を反対に捕まれて、抵抗を封じ込められる。口付けはより深くなり、舌を絡められ、意識がぼっとしてくる。腰を支えてもらっていないと、崩れ落ちそうである。 どうしてこんなに、火村は怒っているのだろう?アリスは朦朧とした頭で考える。 やっと唇を離してもらった時には息も絶え絶えであった。
火村の不可解で強引な行動を咎めるように、聞く。 「お前は何にもわかってない」 アリスは不思議そうに火村を見上げる。
今は、己だけを見つめる、その澄んだ瞳がずっと自分だけを映して欲しいと火村は思う。 「他の男を見るな…。俺はこれでも嫉妬深いんだ、アリスが他の男と一緒にいるだけで、俺は相手を許せなくなる…。お前はこんなに綺麗で、誰からも好かれる」 火村はこれでもかなりさっぴいて、説明している。 正確に言うならば、アリスはとても綺麗で可愛くて、性別不祥。誰からも好かれるどころか、ほれられる。はっきり言ってライバルが増えまくって、火村は困っていた。誰も見るな、俺だけ見ていて、どこかに閉じ込めてしまいたい!!というのが本心であった。
そっと、火村の左頬に指を伸ばして、優しく撫でる。 「何で、不安になるんやろ?こんな、いい男やのに、なあ?」 アリスはふんわりと微笑んで、そのまま首に抱き付いた。 どこまでも、火村の気持ちがわかっていないアリス。火村は心の中で軽くため息をつきアリスの腰に手を回し、ぐいっと引き寄せると力強く抱きしめた。
そう、その時点で火村はアリスには絶対に勝てない。 絶対に、絶対に、他人に渡すものか、と心に誓う火村であった。
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