有栖川家の秘密 百人一首編



 一面紙?
 半紙、色紙、扇面が部屋いっぱいに散らばっている。
 火村はリビングの入り口で、足の踏み場のない部屋を見つめながら、途方にくれた。


「君に袖振る」か。

 火村は扇面を拾い上げ、墨で書かれた達者な文字を読んだ。
 そして、もう一枚。

「人こそ知らね 乾くまもなし」

 さらに、

「われても末に あはむとぞ思ふ」
「今朝はものをこそ思へ」
「長々し夜を一人かも寝む」
「濡れにぞ濡れし 色は変わらず」
「夢の通ひ路 人目よくらむ」

 古の歌が書き散らしてある。
「火村、ごめん。」
 紙の野原の真中にアリスはいた。ちょっぴり、困り顔ですまなそうにしている。
「跨いで、来て…。」
 火村はしかたなく、紙達の隙間をぬってアリスに近づいた。
 けれど、火村の居場所はないようで、
「アリス、キッチンに移動しよう。」
 火村の提案にアリスも頷く。


 コーヒーのいい香りがリビングに満ちている。二人は入れたばかりのコーヒーをおそろいのマグカップで飲む。

「それで、これはどうしたんだ?」
 火村が嫌そうに聞く。もう、毎回毎回アリスの起こしてくれる事には慣れっこであるが、どうして、こう尽きないのだろう。本当に、あきない。
「見ての通りやけど…。おばちゃんがお正月に書いた扇面くれてん。それで、俺も久しぶりに書いてみようか、と思って。ちゃんと、墨すって、筆で書いてん。まあまあやろ?」
「お前に、そんな趣味があるなんて、知らなかったぜ。…そこそこじゃないのか?」
 火村は傍にある色紙を見ながら、言う。
「そやろ〜。色紙なんかの平面に書くのは簡単なんやけど、扇面みたいに曲がったものに書くのはすごい難しいねん。おばちゃんの見て練習してたんやけど、それだけは、すぐには上手くならへんわ。」
 アリスはにこにこしながら、答える。

「それで、どうせならって、歌ばかり書き散らしたのか?百人一首が多いよな。」
「やっぱ、わかるんやな。そやで。途中から、百首全部書こうって気が変わって、順番に書き出したん。おばちゃんの見本は万葉集やけど、目標があった方がええやろ?」
 アリスは見本にしたらしい、百人一首の札を見せる。色とりどりの絵札だ。平安時代らしい十二単を着た婦人、袴姿の男性、坊主、(正確には奈良時代から鎌倉時代の衣装だけれど)………昔「坊主めくり」をしたことを思い出す。けれど、この絵札はかなり古そうだ。少し黄ばんでいるし、角が丸くなっている。ただ、大切に扱われていたことだけはわかった。

「ずいぶん、昔の札だよな、これ。」
 アリスは気付いた?という顔で嬉しそうに笑う。
「そうなんや。おばちゃんがお嫁に来る時に持ってきた、っていうやつ。大切にしてたんや、それを持ってきてくれた。おばちゃん、子供おらへんで今のうちに次の世代に渡したい、って。」
「そうか…。」
 どうやら、この札はアリスの思いでの一品らしい。
 火村はその束の中から、一枚取り出す。

「きみがため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな」

 アリスは火村の声にうっとりと聞き惚れる。
「火村に、読んで欲しいわ。そうすれば、すごく楽しい。」
「何がだ?」
「決きまっとるやん。百人一首や。坊主めくりやないで、「かるた」や。うちの正月は「かるた大会」があるんや。皆、凄腕で、「上の句」で取ってしまうんや。おかげで、小学生の頃から覚えたで。大きくなると、読み手も回ってくるようになってな。これが、独特のイントネーションなんや。お正月にNHKとかで大会やるやん、その時「読み手」がおるやろ、あんなんや!!火村やったら、いいと思うんやけど?皆聞き惚れてまうな。」

 アリスはそんな可愛いことを言う。
 正月に百人一首大会が親族であり、毛筆でさらさらと歌を書ける有栖川家…。何度聞いても、恐ろしい。いや、奥が深い。
 火村は心の中で、頷いた。

 しかし、アリスも火村にはあえて語っていないことがあった。実はお正月の「かるた大会」では皆、着物姿であり、アリスは女物の晴れ着を着せられていたのだ…。懐かしくも、悲しい思い出である。どうして、そんなことになったのか、それは女の子がいなかったからだ。大人も男の子ばかりで寂しかったのだろう、華を添えよう、と白羽の矢が当たったアリスは当然女の子に負けないほど可愛かった。おかげで、毎年晴れ着を着せられる羽目に陥ったのだ。さすがに中学に上がってからは止めてもらえたが………。

 その他には中学時代のことで、アリスの通っていた学校では1月に「百人一首大会」行われ、3年間学年1位だったことであるとか。かなりの腕前で、もし火村と対戦しても勝つ自信があり、今度、何か賭けてみよう!と思っているとか。火村が思っているより、有栖川一族はとんでもなかったのだ。

 知らぬが仏?(笑)

「小さい頃の方が物覚えがええのかな?その頃覚えた歌は忘れへん。一番最初は「むすめふさほせ」言う、最初の一文字で「下の句」が決まる歌から覚えて、好きな歌覚えて、そのうち、どんどん入りこんでいったわ。その次は万葉集とかも興味が出てきて。そう言えば、恋の歌が多いよな。」
「そりゃ、そうだろう。なんてったって、8割が恋の歌だ。」
「うん。書いていると、いつの時代もみんな同じ気持ちなんやな、て。なんやら、嬉なったわ。「逢いたい」って気持ちを歌にして、相手に渡すんや。今やったら、電話とかFAXとか、メールとか方法がたくさんあるけど、昔は紙に書いて渡すしかなかったんや。だから、皆この31文字に自分の思いを込めたんやな。香を焚き込めたりして、優雅や。」

「俺は実物がいい。歌なんかで我慢できるか。」
 火村のあまりの言いように、アリスはどっと疲れた。
「君は、どうしてそう、即物的なんや…。もうちょっと、こう。」
「何だよ。」

 ………。火村に雅な心を理解しろというのが、土台無理なのだろうか?アリスはため息をついた。すると突然、火村はアリスの手首を掴んだ。その拍子に火村へアリスの身体が倒れこむ。そして、手の甲に軽く唇を寄せる。アリスはびくりっと振るえる。
「触れあえる方が良くないか?」
 アリスは大きな瞳をさらに見開いて、微笑んだ。
「そうやな。うん。こっちの方がええわ!」
 アリスは火村に抱き付き、火村も満足そうに強く抱きしめた。

 結局二人には「雅」だとか「歌心」だとかは無縁らしい。
 けれど、幸せなら、いいか!!



                                END




BACK