「お手前頂戴致します」 両手を着いて、深くお辞儀。 右手でお茶碗を持ち上げ、左手の手の平の上に乗せ右手を軽く添える。 時計回りに軽く2、3度回して、正面を避け陶器の茶碗に口をつけ頂く。 無駄のない、流麗なしぐさ。 朱い毛氈の上。 わびさびの世界。 文字だけ書かれた掛け軸。 寒椿が一輪。 ピンと張り詰めた空気の中で、その場所だけが火村の心を占めていた。 火村は隣のアリスに見惚れていたのだ……。 事の始まりは、久しぶりの逢瀬。 研究室に遊びに来たアリスを「お茶でも飲もう」と言葉巧みに、英都大学の片隅にある茶道部部室、当然和室の前に引きずってきた。 「ど〜ゆうことや!」 アリスが声を潜めて問い詰める。 火村は顔をしかめて、眉間には縦じわまで作って、嫌そうだ。 「しょうがないだろうが。」 「何がや?」 「断りきれなかったんだよ。お前だって関係あるんだぞ。佐伯教授の娘さんがここの1年生で茶道部に入ってるんだよ。たまたま教授に逢って、是非お茶会があるから寄ってくれって言われたのさ。だいだい、佐伯教授はお前の先生だったろうが!」 そう、佐伯教授はアリスの学生時代のゼミ担当だった。 大変可愛がってもらい、今でも時々研究室におじゃまするほどだ。 火村もそれは承知していたので、無下に断れなかったのだ。 その当日アリスが居るのだから、一緒に参加するのは当然の義務といえよう。と火村は勝手に思っていた。 「そんな、でも…。何で黙って連れてくるん?」 アリスは困った顔で火村を見上げた。 「言ったら、着いて来たか?うん?」 可愛い顔に見上げれられ、ちょっぴり口調が優しげになる。 「ま、俺だって面倒なんだ、お前も付き合えよ」 「……、うん。でも、火村作法なんてできたん?」 「適当だな。そうゆうお前はどうなんだ。大丈夫か?」 火村は楽しそうにアリスをからかう。 「常識程度には、や。忘れてるかも知れへんけどね」 アリスはなぜだか、ふんわり笑った。 「忘れてなくて、ほっとしたわ!」 アリスは無邪気に火村の前をほてほてと歩く。 火村はさっきから、無口だ。 背広からキャメルを取りだし、火を付ける。 吐き出した煙が空へ上がる様を見つめながら、先ほどのアリスの姿を思い出す。 それは、意外な一面だった。 「お前、茶道習ってたことあったのか?」 アリスが振り向いた。 「ちゃんと習ったことは、あらへんよ。一般常識や、ゆうたやろ?」 火村は唇に形のいい指を当てて、思案げに、 「でも、あれは適当じゃなかった、と思う。しっかり先生に着いて訓練された動作だったぞ」 アリスは火村の言葉に瞳を和ませた。そして、火村の傍まで寄ってくると、下から覗き込んで、茶目っ気たっぷりに、 「お盆点てくらいなら、いれたるで?」 夕陽丘のマンションで、簡単だが先ほどの世界が再び広がっていた。 テーブルの上だし、作法もなしや、と言ってアリスは火村の向かいに座って袱紗をさばく。 火村は目の前のアリスに再び驚く。 ことり、と信楽焼きらしい茶碗が置かれる。 「どうぞ」 無言で綺麗に点った抹茶を頂く。 もちろん、だまもなく美味しい……。 「ご馳走さん」 火村は礼儀として、先に感謝の意を表す。 「で?」 けれど、火村はこれから犯罪学者?として恋人として追求させてもらおう、と思った。 「何がや?」 「アリス、わかってるんだろう。種明かししろよ。」 「………。」 「言いたくなるように、してやってもいいけど?」 「あのな……、どうして、そう強気なんや、君は。」 アリスは呆れたように、ため息をつく。 けれど、くすくす笑い出した。そして 「うちのおかんは、知っとるやろ。その姉さんが裏千家の師範なんや。でも生徒さん持っとる訳でもなく、ただの趣味や。もちろん、おかんもある程度はできるけどな。そんで、小さい頃から、行くたびにお茶入れてくれるん。小さいからって、甘やかしてくれへんで、ちゃんと和室に正座して、や。まあ、習うより、慣れろ?かな。ちょう違うかも知れへんけど。おかげで簡単なことなら身についてしまったわ。」 アリスの母親には何度か逢ったことがあった。 アリスに良く似てふんわりとして、かわいらしい。色素の薄い髪と瞳。抜けるような肌の白さ、どう考えてもアリスは母親似だった。本人は不本意なようだが。どう見積もってみても50は超えているはずなのだが、外見は30代に見え、その上中身は少女のように無邪気であった。その、姉???容易に、想像できる。 きっと、母親同様アリスを可愛がったのだろう。 恐るべし、「有栖川一族」である。 「しかし、この道具一式どこにあったんだ?」 火村は疑問を口にした。 「ああ、寝室の押し入れや。普段は使わへんから片付けてあるんや。」 「見たこと、ねえぞ。」 「そうやろなあ。一人暮らしする時、おかんに持たせられて、そのまま奥に寝むっとったから……。そう言えば、君が飲んだ信楽焼きの茶碗、結構なものやで。それはおばちゃんにもろうたんや。せめて、娘の一人でもいればよかったんやけど、おばちゃん子供おらへんし。おかげで、何かと大変やったわ」 子供時代を思い出したように、アリスが遠い目をする。 まだまだ、何かあったらしい。 しかし、一人暮らしをする際、一人息子に、お茶道具一式持たせる、母親……。 火村は少〜し、頭痛を覚えた。 「お前にも、小説書く以外に、特技があったんだな」 手持ちぶたさでキャメルに手を伸ばす。 アリスは火村のからかいに、にんまりと笑った。 「謎がた〜くさんあるやろ、解いてみたくならへん?(笑)」 「……。」 火を付ける手が、瞬時に止まる……。 「俺が君の最大のミステリーや!」 高らかに、アリスの声が響いた。 END |
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