「有栖、久しぶり!」 え?と思う間もなく、突然有栖は抱きつかれた。 有栖はあまりの出来事に呆然とする。 自分に抱きついているのは、誰?と不思議に思いながら、自分の胸に顔を埋めている小柄な女の子をよく見ようと肩に手を置いた。 すると、女の子は顔を上げて有栖ににっこりと笑った。 「真弓ちゃん?」 「そうよ、有栖!」 彼女に会うのは何年ぶりだろう。目の前の女の子は中学、高校と同じだった。 ボブカットの明るい髪に茶色の大きな瞳が印象的だ。見かけはとても可愛らしい。 「私、高校の2年から親の海外転勤先のアメリカに付いていったから、有栖の一年後輩なのよ。今は経済学部にいるの」 そう。だから、4年ぶりであろうか? 随分外見は大人びたけれど、性格はそのままのようだ。なぜなら、 「有栖、相変わらず綺麗ね、嬉しい〜〜〜!高校生の時より、美人度がアップしてるわ。もう感激!」 と楽しそうに有栖の顔に手を伸ばし触る……という行為を当たり前のようにした。 昔と変らず、有栖を女友達のように扱うのだ。 彼女に自分が男と思われていない事は知っていたけれど、有栖も少しむなしい。 「あら、こちらは?」 有栖以外は目に入っていなかった真弓は有栖の横に立つ二人の男をちらりと見やる。 もちろん、火村と敏樹である。 有栖に抱きついた女性は何者だ、と二人も真弓を嫉妬と疑惑の目で見ていた。 真弓は背も高く、顔もいい男二人をじっくりと観察する。 二人とも背は高くすらりとしていて、ハンサムだ。 一人は黒い髪に黒く鋭い瞳。鼻が高く全体的に鋭角的な印象だ。どこか影があって危険な香り漂う、いい男。 もう一人は、明るめの黒髪に鳶色の瞳。穏やかそうな表情に繊細で甘いマスク。ちょっと王子様的である。 ふむ。レベルアップしてるじゃないの。中学、高校よりずっといい男に囲まれているわ。やっぱり有栖が引き寄せるのかしら?と真弓は思った。 「う〜ん、美形が3人も寄ると幸せねえ。得しちゃった。私はいい男より、美人が好きだけど!」 聞きようによっては、問題発言であるが、真弓は一切気にしなかった。 真弓はいい男達に向き直ると、 「はじめまして、藤岡真弓といいます。有栖とは中学、高校と一緒でした。どうぞ、よろしく」 にっこりと、人好きのする笑顔で自己紹介した。 「火村です」 「森田です」 一応真弓に習い、二人は自己紹介した。最初が肝心である。 真弓はさすがアメリカ帰り、というか快活にしゃべる。媚がないのだ。もともとさっぱりとした性格で外見は可愛らしいのに、お姉さん的存在であった。 しかし、彼女にも欠点はあった。ついでに、余分なことまでしゃべるのだ。 「うふ。今日見たわよ!有栖。毎年恒例の行事まだ、続いてるのね……」 有栖は嫌な予感がした。 「え?ちょっと、真弓ちゃん。待って!」 有栖は真弓の口を抑えようと手を伸ばすが、一歩遅い。 「電車で痴漢捕まえてたわねえ。今日のはサラリーマン?」 有栖は青ざめた。 まずい……。過保護ぎみの二人には内緒にしておいたのに!心中で叫んで、ちらりと二人を伺い見ると、案の定表情がこわばっている。 ちょっと、怒ってる?うわあ。有栖は胸中で悲鳴を上げた。 「真弓ちゃん……」 はあ、昔からかなわないんだけど。久しぶりに再会してみると、強烈だ。 有栖は深々とため息を付く。 一方真弓は有栖を守るように立つ二人を観察する。 痴漢発言の反応を考えてみると、うう〜ん。これはやっぱり……。 有栖も鈍感よねえ。変わらないわ。 でも、こんないい男が結局手も出せずにいるのよね。哀れっていうか、ねえ。同情しちゃうわ。 真弓に同情されてもこれっぽっちも嬉しくないだろう、火村と敏樹である。 「ところでお二人さん、アリスの昔の写真見たくない?」 真弓は唐突に言った。 「是非」 「ありがとう」 無表情のままの火村、愛想よく笑って敏樹は突然の申し出にもお礼を言う。 歓迎したい人物ではなくとも、昔の写真を見たいという欲求には逆らえないようだ。 「OK.今度見せてあげるわね!すんごく美少年よ。私中学から持ってるから!期待して。なんなら、あげようか?」 「真弓ちゃん!!」 「じゃあね、有栖。今度連絡するから!」 真弓は手をふりながら、台風のように去っていった。 後に残るのは……? 有栖の珍しい、情けなさそうな顔だった。 「ところで、有栖、あの女の子が言ってたこと、何?」 「うわ〜。だから言わんかったのに」 「それは何か?あえて言わなかったのか?」 「だって、心配するやん」 「当然だ」 「当たり前だろう、有栖」 「わざわざ、痴漢にあったなんて、言いたない……」 「あの女、毎年恒例の行事って、言ってたぞ。どうゆうことだ?」 「いわなあかんの?」 無表情の、火村と敏樹。鋭い眼光の火村も恐ろしいが、普段穏やかな敏樹が無表情ってのもかなり怖い。 「わかった。けどせめて場所移動して。落ち着かんわ」 食堂へ移動しよう。 カップコーヒーが3つテーブルに置かれている。 有栖は一口飲んで、心を少し落ち着ける。 ああ、こんなことになるなんて。真弓ちゃん、恨むで。 「実は中学から電車通学やったんやけど。大阪の街はすごく混むんや。満員電車で辛いわ。ほんまに。それで、痴漢にあって、当然泣き寝入りなんてせんから、捕まえて警察に付き出したんや」 「痴漢って、有栖。やっぱり……、触られたの?」 聞き難いが、そこが問題だ。敏樹が勇気を持って聞いたがこれは火村も気になることだった。 「敏樹、聞いていい事と悪いことがあるやろう……」 有栖はとても嫌そうな顔で俊樹の問いを止めた。 それは、そうだろう。思い出したくないことだ。 男に触られたのなんか、記憶から抹殺したい。まじで。 とっとと警察に突き出したのは、放っておくと、女性の被害が減らないからだ。 痴漢に会ったと言いにくくって、泣き寝入りしている女性がたくさんいると聞いている。 こんな痴漢早く、警察に引渡し今後こんな犯罪をさせないように、悔い改めさせなければ。 有栖はそう思っている。 しかし、なぜ自分が狙われるか理解していない。女性に手が出せなくて、男で紛らわせようとしているんだろう、くらいにしか思っていなかった。 限りなく問題なのだが、有栖はわかっていなかった。 「アリス、警察に付き出したのなら、現行犯なんだろう。つまり、アリスは警察で何をされたか、証言した訳だ」 「……。そうや。しょうがないから、証言したわ」 気まずい沈黙が三人の間に落ちる。 有栖はふうと息を吐いてからコーヒーをこくりと飲み、気分転換をして続けた。 「あんな事、二度とごめんや、って思ったわ」 「でも、終わらなかったんだろう?」 「そうや。一度警察に出せば騒ぎになってしばらくは何事もなく過ぎたんや。でも4月〜5月になると、また起こるんや」 「つまり、その騒ぎを知らない人間が手を出すわけだな?新学期、新社会人で電車も乗る人間が変る時期だ。一番混む時期でもあるし」 「有栖は毎年そういう目にあってたの?」 「そうや……。毎年この時期に痴漢にあって、警察に突き出すんや。真弓ちゃんが行事って言ってたのはそのためや」 有栖はだから、言いたくなかったんや、とうつむく。 「有栖、ひょっとしてだから今日の1限目遅れてきたの?」 有栖は頷く。もう、隠してもしかたない、と諦めた。 「これでも、短時間で終わらせてもらったんやで。毎年だから、鉄道警察の人とも顔見知りで、毎年大変だねえって、言うてくれたわ」 鉄道警察と顔見知り。それも嬉しくないだろう。 普通は忘れ物でお世話になる程度だ。 知らない間に有栖の身にそんなことが起こっていたなんて……。 二人の心は複雑だった。 「これで、当分安心や」 有栖はもう終わりとばかりに、軽く言う。 「有栖、でも毎年会うんだろう?それでもいいの?」 「いい訳じゃないんやけど……。満員電車の辛さはわかるやろ。どうにもならん」 有栖はきっぱり言うと、もう何も言わなかった。 二人は食堂で向かいに座り睨んでいた。正確には悩んでいた。 火村と敏樹二人だけというのは大変珍しい。 有栖を挟んだ関係である、という認識を皆は持っていたし、それは正しい。 ではなぜ? わざわざ、有栖が投稿する原稿の追いこみを図書館でやっている時を狙ってここにいるのか。普通なら着いて行く。有栖を一人になんてしないのだ。 しかし時と場合による。 「はあ……」 大きなため息を敏樹が落とす。普段は穏やかな顔が沈んだ表情をしている。 火村も眉間に険しい皺が寄っている。いつもより三割ほど眼孔も鋭い。 嫌な雰囲気だ。 いい男二人が折角そろっているのだから声をかけたいのに、という女性の声である。 そこへ、 「こんにちわ!お二人さん」 にっこり笑顔を浮かべ、女性が横に立った。二人の険悪な雰囲気なんて気にしない。 そう、真弓である。 「藤岡さん」 「……」 火村も敏樹も真弓を見上げる。 「座ってもいいかしら?私のこと必要としていない?」 にっこり、と有無を言わさない迫力だ。 「どうぞ」 敏樹が椅子を勧める。愛想良く接する敏樹の内心はかなり怪しいと、思っていた。 真弓の情報は欲しかった。 しかし。なんて都合良く現れたのだろうか。偶然ではないのか?と疑問が頭をもたげる。 「有栖のことでしょう?貴方達が顔を付き合せてるのは。私に聞きたいことあるんでしょう?」 真弓は含むような口調で聞く。 「そうですね。この間の件なんですけど?」 敏樹は短刀直入に聞く。この女性は、きっぱりした性格のようだと理解したからだ。 真弓はうふふ、と微笑んだ。 「まず、有栖と私は中学、高校が一緒なの。高校は私が途中でアメリカに行ったからそれからは詳しくはないけど。ここまでは、知ってるわよね。電車も一緒になることが多くて。有栖が痴漢にあったのは中学からよ。有栖がどこまで話したかわからないけど、私の知ってることと、主観で言わせてもらうわね?」 いいかしら?と真弓は二人を見つめ了解を取る。 火村も敏樹ももちろん頷く。 「中学生の有栖ったら、制服は男の子なのに、顔は美少女でしょう。当時は小柄で私服なんて、もうめちゃくちゃ可愛くて、可憐だったわ。今は背も伸びて成長して、少女ではないけど、超絶美人だものね。艶やかさが加わって、中学時代が蕾なら、現在は花開いたって感じ。これじゃあ、成長しても痴漢も減らないわ」 「有栖はどうやって対処してたんです?」 「警察に付き出したらしいが、警察での対応はどうだったんだ?」 二人の質問にう〜んと首をひねり真弓は考える。 「私が見た限りでは電車で捕まえて、鉄道警察に連れてって、説明して……。でも痴漢ってすぐ釈放されるじゃない。ああいうのって、常習犯が多いらしいし、心配だったのね。有栖とも話したんだけど、電車の一番端に多いらしいことと、一度痴漢を捕まえたって有名になれば、手を出しにくいから、電車は同じ車両に乗るようにしたの。わりと同じ車両に乗るでしょう、皆。だから、一度捕まえると、1年くらい無事なのよ」 「でも、毎年会うだよね、有栖。何とかできかったの、藤岡さん」 「警察は何かしたのか?」 「だからね、鉄道警察でも痴漢は捕まえたいんだけど現行犯じゃないとダメだし、ずっと有栖に付いてる訳にもいかないじゃないの。毎年あうって言っても、絶対あうから、どうにかしてくれなんて、言えないでしょう。世の中の犯罪はそれだけじゃないし。有栖もそんなに気にしてなくて。それが問題なんだけどね、もっと危機感をもって欲しいわ、私」 二人は即刻頷いた。その意見には大賛成である。 困ったことに、「危機感」というものを有栖は欠片も持っていない。 その反応がおかしいのか、真弓は楽しそうにころころと笑う。 「本当に保護者してるのね〜。あの鈍感相手だと苦労してるんじゃないの?」 敏樹は表面は穏やかだが目は笑わず真弓を見つめ、火村は無表情で睨む。 「嫌ね、警戒してるの?だって私有栖に片思いしていて、友達として傍にいた男友達知ってるもの。当然、今までにいると思わない?」 真弓は首をかしげ、面白そうに二人を見つめる。 「……」 「……」 その問いに、火村も敏樹も無言である。 二人の態度に、真弓は一度肩をすくめ苦笑した。 「まあ、いいわ。痴漢のことは気にしなくてもいいと思うの。心配だからって、貴方達が通学中をずっとガードできる訳でもないし。有栖は見かけによらず、強いわ。自分の身はちゃんと守れる。そうでしょう?」 「有栖は強いよ、認めます」 敏樹は大きくうなづく。 「ああ、そうだ」 火村も肯定する。 わかっているのだ、そんな事は。ただ、どうしても守りたいと思ってしまう。大切な、大切な存在だから。 「いいじゃない。大学では二人が守ってるんでしょう?大学も不特定多数の人間がいるから、安全とは言えないし。お酒が入ることもあるし。それで、十分よ」 大学生ともなれば、絶対的体格差もあるし、お酒なんて入ったら禄に抵抗もできない。トラブルに巻き込まれない、という保証はどこにもないし。有栖に寄ってくる人間は後を絶たないだろう。それを考えれば、目の前の二人はこれ以上ない人材だ。 「私の友達の有栖をよろしくね」 にっこり微笑み、真弓は言う。 「藤岡さんに言われなくても。でも、そうですね、まかせて下さい」 敏樹は真弓が真剣に心配していることはわかっていたので、そう返す。 一方火村はふん、とばかりに横を向いている。 「俺は、自分のやりたいことしかやらない」 可愛くない態度だが、真弓は面白い二人組みだと思った。 有栖を真ん中に挟み大切にしているのに、態度が全然違うのだ。面白い人間を見つけたな、これから退屈しないわ、と内心真弓は思っていた。彼女は人間観察が趣味であった。 アメリカで学んだ「投資」。綿密な観察、分析が重要である。人間も投資と一緒よねと、彼らが聞いたら嫌そうに顔を歪めることを考えていた。 食堂の窓から、こちらに歩いてくる有栖が見える。 「あら、有栖だわ」 真弓の声に火村も敏樹も外を見る。 ふわりふわりと歩く姿は午後の光の中に輝いていて、背中に天使の羽根も見えるようだ。 有栖を見つめたり、振り返ったりする人間がいるが、それには全く気付いた様子もない。 ああ、本当に鈍感なんだから、と真弓は思う。 こんなにも大切にされていて、どうしてわからないのだろうか? 「有栖!」 食堂に入ってきた有栖に真弓は声をかけた。 「真弓ちゃん?」 有栖はにっこりと微笑む。 「あれ、火村と敏樹といつの間に親しくなったんや?」 真弓の横に火村と敏樹がいることに驚き、有栖は首をかしげる。 3人一緒にいるのが不思議なようだ。 その問いは真弓の笑いのツボにはまった。 あははっ!声を上げて真弓は笑う。 本当に、最高よ、有栖! 真弓は火村と敏樹に見せつけるように、 「有栖、大好きよ!今日は一緒に帰りましょうね」 にっこりと上機嫌に微笑みながら有栖の腕を引き寄せて言った。 その光景を見ていた二人が固まったことは言うまでもない。 END |