平日のうららかな午後。 駅から近くて買い物にも便利な、とある百貨店前。 人待ち顔の人間がたくさんいる、待ち合わせで有名な場所だ。 携帯電話で連絡を取っているもの、ショーウインドウを覗いているもの、さまざまな人間がいる。 森下は今日は非番で久しぶりに洋服など買い物でもしようと、出かけてきた。 するとその人ごみの中に、見なれたどこにいても身間違うことのない、人・・・。 有栖川さんだ!! 真っ白のAラインのスプリングコートに薄いラベンダー色のマフラーを結んでいる。 少し伸びた茶色の柔らかそうな髪がふんわりと結んだマフラーにかかっていて可憐だ。 誰かを待っているのだろうか、大きく澄んだ琥珀の瞳が行きかう人を見つめている。 森下はそっとアリスを観察した。 まだ、アリスは気づいていない。様子を伺っていると、道行く人々が振りかえり、気にしていることがわかる。 すると、アリスに近寄って声を掛けてくる大学生くらいのナンパな感じの男を発見。 アリスのその可憐な姿はどう見ても30過ぎには見えない。 せいぜい大学生くらいに見えるため、ナンパな大学生もそう思って声をかけたのだろう。まあ、当然の判断だ。 「ねえねえ。君、可愛いねえ。一人なの?一緒にどこか行こうよ!!」 なれなれしく右肩に手をかけて、誘う。 アリスはわずかに、眉をひそめて困惑の表情をする。 「人、待ってるから。」 「さっきから、見てたけど来ないだろ。いいじゃない。そんなやつキャンセルして俺とご飯でもどう?美味しいイタリアンの店知ってるんだ。」 しつこい男だ。なかなかあきらめない。 「俺、男やで・・・。」 「そんなこと、わかってるよ〜。まあ、間違えるほど可愛いけど。男でも女でも可愛い人は可愛いと思うし。俺は大好きだよ!」 「君変ってるで・・・。」 「そんなんことないよ〜。自分に素直なだけだよ。ね、いいでしょう?」 そう言って、アリスの腕ををひっぱる。 「本当に、困る・・・」 「離しなさい!!!!!」 森下は見かねて、というより、我慢できなくなって掛け寄った。 「ああ?」 「え。森下さん!」 二人同時に叫ぶ。 「有栖川さん、大丈夫ですか?」 そう言って、アリスの前に立ちナンパ男からかばうようにする。 「あんた誰?」 不信げに嫌そうに、ナンパ男は森下を見る。森下は180を越す長身のため、平均並のナンパ男は悔しいが見上げなければならないのだ。ちょっと分が悪いかも、と彼は感じた。 「待ち人です!」 森下はアリスに話をあわせてくれるように、目配りする。 「そうなんや、だからごめんな。」 アリスはそれでも謝る。 そんな男に謝る必要はない!と森下は思った。そこが有栖川さんのいいところであるけれど、ナンパ相手に一人一人こんな対応していたら、困るじゃないか!! こんな人通りの多いところで有栖川さんを待たせちゃいけないのだ。 ナンパしてくれ、と言っているようなものだ!! きっと、相手は火村助教授しかありえないが・・・。 火村に対する文句は後にして、ひとまずこの男をどうにかしなくては! 森下はじろりとナンパ男をにらみつける。 さすがに若くても刑事である。憎い相手に向ける眼光は鋭かった。 ナンパ男は相手が悪いとでも思ったのかそそくさと立ち去った。 「森下さん、ありがとう!」 アリスは森下が振り向くと、にっこりと微笑んでお礼を言った。 その微笑みにやったぜ〜と心の中で浮かれていたが、もちろん表には出さない。さすが、刑事だ! 「いえ、どういたしまして。気を付けないとだめですよ、有栖川さん!」 ちょっと、クールにさりげなく決めたいものだ。自慢のさわやかな笑顔を付けてみる。これは火村先生にはできるまい・・・。 「うん。気を付けてはいるんやけど・・・。本当にごめんな。」 「謝ることなんて、ありませんよ。ああゆうナンパ野郎には毅然と断るべきです。有栖川さん優しすぎますよ。」 「そうかな。でも声かける人が全部そんなことないやろ。道聞かれたりするし、困ってる人もいるんや。だから最初は判別できへん。さっきのはたまたま変な人やったんや、俺はそんなにもてへんよ。」 何を言ってるんですか、有栖川さん・・・。それは鈍感すぎます。 「よく、道とか聞かれるんですか?」 「うん。そうやね。きっと聞きやすいんやないかな?」 道聞く人だって、有栖川さんを選んで聞いているんでしょうがっ。誰でもいいわけではないんですよ。優しげな美貌の有栖川さんだからこそ、よく声をかけられるんですよ。 「聞きやすい人」ではなくて、「声をかけたい人」なんですよ。 分かってください・・・。 「聞きやすい、確かにそうでしょうが。でも、もう少し用心した方がいいですよ。さっきみたいなやつがしつこく迫ったら困るでしょう?」 「大丈夫やて!これでも30過ぎた立派な男なんやで。」 「そうですが・・・。」 「そんなに、俺って頼りなさそうに見える??」 アリスはちょっぴり悲しげに小首をかしげて森下を見上げた。 その可憐な表情にどきりとして森下はどう伝えたらいいのか、と思う。 30過ぎにはとうてい見えないし、年齢はこの際関係ない。男性だということさえも関係ないのだ。 「頼りないとかではなくてですね、どう言ったらいいんだろう??困ったな。」 貴方は魅力的過ぎるんです、とは言えない。 口ごもる森下に、 「はは、ごめんな困らせて。確かに俺は森下さんよりたくましくないけど。これでも大学の時、痴漢を捕まえたことあるんやで!護身術はまかせてや!」 アリスはにっこりと微笑んで言った。 あああ、可愛いい。 けど、今聞き捨てならないことを言わなかったか? 痴漢を捕まえたということは、痴漢にあったんですか、有栖川さん。そして、護身術できるんですか??できないと、今まで無事でいられないほど、綺麗だけど。 それって、つっこんで聞いていいものなんですか?? またしても、悩む森下であった。 「有栖川さん・・・、とにかくなるべく注意して下さい・・・。」 疲れたようにそれだけ言うのがやっとだ。 何を言っても無駄なのか?? ひょっとして火村先生はいつもこのような苦労をしているのか・・・? 無邪気で無防備なアリスをきっと大学時代から見守って来た、かの助教授を少しだけ同情してしまう森下だった。 「ピロロロ〜〜ン」 その時、最近流行りの曲がアレンジしてある着メロが鳴った。 「あ、俺や!!」 アリスはポケットから華奢でメタルブルーの携帯を取りだした。 「もしもし??あ、火村。え?だめって、どうゆうことや。そうやけど・・・・・・。うん。そうか、しょうがないな・・・。わかった、もうええわ。森下さんに付き合うてもらうもん。じゃあな!!」 ぶちっつと通話を切るアリス。「アリス!!」という火村の叫び声がむなしく響いた。 ちょっと不機嫌そうに、どこかを見つめて、目の前の森下の瞳に大きな琥珀の瞳をあわせて、音がするとしたら「くるん」というのが正しいと思う、微笑んだ。 「森下さん、今日はどうしたん?いつもよりずっとカジュアルだから、ひょっとしたら非番かな、と思ったんやけど?」 「ええ、そうなんです。久しぶりのお休みだから、買い物でもしようかと思いまして。そしたら、有栖川さんを見かけまして・・・。あの、電話火村先生ですよね、良かったんですか??」 「ええんや。実は俺も買い物があって、火村に付きあってもらおうと約束してたん。けど、急に仕事が入ったから駄目やって。だから、森下さんさえ良かったら一緒にまわらへん??駄目かな??」 駄目なんて、あるわけないじゃないですか!!!そんなに可愛らしくお願いされて断れる人なんて、いませんよ。断る気なんてありませんが・・・。ちょっと火村先生が怖いような気がしますが、有栖川さんから誘ってくれるなんてラッキーなこと、これを逃したらいつ巡りあうかわかりませんよね。 「駄目なんてことないです。是非ご一緒させて下さい!!」 力いっぱい返事をする。 そんな森下にアリスは嬉しそうに、 「良かった!」 と言った。 「自分の用事は決まってないので、先に有栖川さんの買い物からすませましょう」という森下の意見で、有名百貨店紳士服売り場に来ていた。 「何を買うんですか??決まってます?」 「プレゼントなんやけど。いいのがあったら何でもいいんや・・・。」 「じゃあ、見てまわりましょうか。えっと、どなたにですか?それによって品物選びますよね。って聞いてもいいですか・・・?」 「ええよ。何でそんな気つかうんかな、森下さんは!従兄弟になんやけど。俺よりちょっと年上やね。」 従兄弟にプレゼントとは、普通この年代でするものなのか? 女性なら送りあうのもうなづけるが、男同士で??少なくとも自分はしないし、ほとんどはしないと思う。森下はどうゆうことだろう?と疑問に思う。 「従兄弟にプレゼントってよく渡すんですか??」 「ああ、そうやね。従兄弟だけじゃなくて、叔父さんの家族が遠くに住んでて逢えないから、家族同士でプレゼント送りあうんや!今日のこのマフラーも従兄弟からのプレゼントやで!!」 無邪気に言う。 その、ラベンダー色の柔らかさそうなマフラーが従兄弟からのプレゼント?? 森下は相手の趣味というより、意図を確かに感じ取ったと思った。 間違いなく、その従兄弟は有栖川さんを大切にしていることだろう。 自分にこんな従兄弟がいたら、同じことをしているかもしれない。いや、している。間違いなく。 「仲良くて、いいですねえ」 そうとしか、森下は言えなかった。 財布やベルト、ハンカチ、ネクタイ、シャツと並んでいる品物を見ていく。 「クリスマスには手袋だったから、今度は財布にしようかな?」 アリスは財布を取って眺める。 一方森下はクリスマスにも送りあってるのか?と驚いた。 「森下さんこれいいと思う?」 アリスは茶色の使いやすそうな財布を手にしていた。 「いいんじゃないですか?カードも入るし、小銭も取り出しやすそうですね!」 「そうやね!」 アリスは満足そうだ。 その横にはネクタイ売り場。 紳士服売り場で唯一、色とりどり、柄も豊富で鮮やかな一角である。 ネクタイだけはおしゃれのし甲斐があると思わせる瞬間だ。 森下もネクタイはたくさん持っている。普段スーツを着る男性が胸元を飾る唯一の手段だからだ。その日のスーツやシャツと合わせて、ネクタイを選ぶ。コーディネイトでおしゃれにも野暮ったくもなるから不思議だ。 アリスは一旦財布をを元に戻すと、ネクタイを見始めた。 森下も一緒になってネクタイを見る。いいの物があったら、自分も買うつもりだ。 春らしく明るい色合いのものが多い。 最近はキャラクターものまであって、誰が会社にして行くのだ?と思わせるものもある。 アリスがほら、と言って指差す先には四次元ポケットを持つ未来から来た猫型ロボットのイラストが書いてあった。 森下もつられて、「これなんてどうです?」と最近とても人気の黄色いねずみのキャラクターが大きく印刷されているものを見せる。 アリスもおかしそうに、笑う。 森下はその何げない瞬間をかみしめていた。 ああ、デートみたいだ・・・。 間横にあるアリスの小さな顔をそっと伺いながら、森下はうっとりと思った。 「これいいなあ、すっごく。」 アリスは深い色合いの渋い柄のネクタイを手に持ち眺めていた。 とても気に入ったようで、じっと見ながら誰を思っているのだろう?思案げに少し顔を上げて首をかしげる。そして、うんと幸せそうにうなづいた。 「森下さんは何か買うの?」 「いえ、ないですが。」 「じゃあ、会計してくるから、待ってて!!」 アリスはそう言うと、先ほどから離さないネクタイと気に入った財布を持ってレジに歩いていった。 残された森下は二つ買うのか?と疑問に思った。同じ人に?それとも別々の人に??それとも可能性は低いが自分用? その答えは帰ってきたアリスの下げた紙袋で一編に解けた。 なぜなら、二つとも綺麗に包装されていたからだ。自分用という答えはこれでなくなった。 「ありがとうな、森下さん。ところで、申し訳ないけど、もう少しええ?」 「どういたしまして。どこへなりともお供しますよ!」 森下は片目をつぶって、大げさに言う。 「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて、次は女性物やで!!」 対するアリスは茶目っけにそう言った。 「え??」 驚いた森下にしてやったり、とアリスが笑った。 女性用の小物、ハンカチ、かばん、靴、アクセサリーなどの売り場は当然ながら女性だらけだった。間違っても男性二人という組合わせは自分達だけだ。森下はちょっぴり、尻ご身しそうになる。 何で、こうゆう売り場はどこも1階にあるのだろう?と素朴な疑問が沸きあがる。おかげで、どの階より人が多い。 アリスはちょっと考えて、ショールやスカーフが飾られている場所に行く。 もちろん、森下も後を付いていった。 ピンクやオレンジ、ブルーにグリーン、パステル調のものがあれば、花柄から幾何学模様とさまざまな色と柄がある。 その中からアリスはわりと簡単に選ぶ。 「これ、どうやろう??」 目の前に広げられたのは春色の大きな花があしらってある、スカーフだ。 「可愛いですね。でも今度は誰に?年齢とかでも変ってきますよね。」 「これもさっきの従兄弟と同じ年の従姉妹。双子なんやもん。」 「よろしいんじゃないでしょうか。春らしいし。」 「そうやね。これにしよう!!」 一発でプレゼントを決めると、レジに持っていった。 これまた、綺麗に包装された包みを下げたアリスが森下の所に戻ってくる。 「お待たせ!!」 まわりにある色とりどりの小物より鮮やかに、花のように微笑んだ。 「ここが、森下さんがいつも来るお店なん?」 「そうなんです。有栖川さんの趣味とはちょっと違うかもしれませんが・・・。」 「へ〜。自分だけだと来れないから、楽しいわ!」 アリスは店内をきょろきょろ見まわす。 その子供みたいなしぐさに森下は可愛いなあ、と今日何度目かになるが思う。 「今日はシャツとネクタイを買おうかと思うんですが、有栖川さん選んでくれませんか?」 「俺が選んでいいの?」 アリスは大きな瞳を見開いて、森下を見る。 「もちろんですよ。是非、お願いします。」 「じゃあ、喜んで。」 アリスは楽しそうに、まずシャツが置いてある場所まで行く。 「やっぱり白やろな、仕事がら派手な色は無理やもんね。」 そう言って、細いストライプが入った柄を選ぶ。広げたシャツを森下の前に当てて、うんとうなづく。 「サイズはこれでええの?いくつ??」 なんていうか、幸せだな・・・と森下は思った。 大好きな人に服を選んでもらうなんて!!こんな機会があるとは思いもしなかった。急に仕事の入った助教授に感謝である。 今度は選んだシャツを持って、ネクタイ売り場に行く。 「明るい色がいいな。せっかく春なんやし、森下さん若いんやから!」 森下より年下にしか見えないアリスはそんなことを言う。 そして、にこにこしながら、いくつか選んでいく。 「森下さんはスーツ、何色が多い?」 「そうですね、仕事柄目立つ色は避けなければいけないのでやっぱり紺とかグレーとか多いですね。」 「じゃあ、ネクタイくらい冒険してもええよね。」 持ってきたシャツの上に正反対のネクタイを2本合わせる。 「どうやろ。森下さんの趣味はどっち?」 有栖川さんが選んでくれたというだけで何でもいい!!と森下は思う。が、そんな態度ではまずいだろう。、 「う〜ん、どっちも捨てがたいですね。こっちは渋い色だが柄が大きいし、こっちは明るい色でチャック柄だし。両方買いましょうか!」 「え?両方とも??」 アリスが驚いたように森下を見た。 「ええ、両方気に入りましたから。ありがとうございます!有栖川さん。」 それに、にっこりと答えると、森下はアリスの手からシャツとネクタイを受け取って、会計に向かった。 店員のお姉さんとは顔なじみである。慣れたしぐさで、てきぱきと包んでくれる。 「いつも、ありがとうございます。今日は可愛らしい人と一緒ですわね、森下さん!!」 「ははっ。そうでょう??」 からかいの言葉にもすんなり返す。これぞ、大阪人。 「いややわ、森下さん。面食いだったのね。」 「そうなんですよ。とってもグルメなんです。」 森下の答えに店員はころころと笑い、 「一本取られましたわ。今度紹介して下さいね!!」 と言う。 「そうですね。今度があれば・・・。」 森下は苦笑した。 アリスが聞いていないのをいいことに、そんな会話がされていた。 もし聞いていたら、なんてことを!と顔を赤くしたことだろう。 残念ながら?本人は先に店内を出ていたのだ。 「今日はありがとう、森下さん。付き合わせてごめんな。」 「こちらこそ、ありがとうございます。付きあってもらったのは私も一緒なんですからあやまらないで下さい、ね!」 ここは表通りから一本外れた、カフェである。 今日のお礼させて下さい、とアリスが森下を誘って連れてきたのだ。 窓際の席に向かい合い、お勧めのカプチーノとシフォンケーキ。 一本外れているせいで、店内も空いている上、落ちついた雰囲気のなかなか穴場な店だ。 天井が高く吹き抜けになっていて、静かなクラシックの音楽が流れていた。 「さすが有栖川さん、いい店知ってますね。コーヒーも美味しいし!」 「気に入ってくれた?良かったわ。でも、俺が見つけたんやないん。火村に教えてもらったんや!京都の人間なのに、どうして大阪の店に詳しいんやろ??」 アリスは嬉しそうに、言う。 森下は「火村」という言葉に、水をさされ、ちょっと悔しい。 せっかく今は自分といるのに、どうして火村先生の話になるのだろう。 そんなに、嬉しそうに火村先生のことを言わないで下さい・・・。 それだけアリスの心に住みついているかと思うと、森下は悲しくなる。 「どうしたんや?疲れた?」 顔を曇らせた森下に、検討外れなことをアリスは言う。 ああ、本当に鈍すぎる・・・。内心はっ〜とため息を付いて森下は明るく笑った。 「そんなことないですよ。有栖川さんこそ疲れませんでした?」 「大丈夫やよ。この間締め切り明けたばかりやから、睡眠も取れてるし!」 美味しそうにシフォンケーキを頬張り、カプチーノを口にする。 森下は思いだしたように、紙袋から小さな包みを取りだした。そして、テーブルの上に置く。 「有栖川さん、これどうぞ。」 「何??」 小首をかしげるアリス。 「開けてもいいの??」 「ええ。」 アリスは小さな包みを丁寧に開ける。中からはハンカチが現れた。 「先日、ハンカチ貸していただいたでしょう。でも、血で汚れてしまって。だから代わりにもらって下さい。」 ハンカチを手にしながら、アリスは申し訳なさそうだ。 「わざわざ、よかったのに。気を使わせてしもうたかな??」 「私が嬉しかったので、お返しをしたかったんです。」 先日アリスが久しぶりに現場に顔を出した時、森下は容疑者に殴られて、唇を切って血を流したのだ。慌てたアリスがハンカチを指し出した、という事件?があった。 血というのは洗っても落ちにくい。 だから、森下は新しく買ってアリスに渡そうと思っていた。が、いつもプレゼント用のハンカチを持ち歩く訳にもいかず、どうしようと思っていたら、思いがけず機会が巡って来た。さっきのお店でアリスに見つからないうちにハンカチも手にして、会計まで持っていったのだ。 「それじゃあ、遠慮なく使わせてもらいます。」 アリスはハンカチを大切そうに、もう一度紙袋にしまった。 そんな心使いに、どうしてこの人はこんなに中身までもが綺麗なんだろうと思う。 見かけだけでも、極上なのに中身はそのさらに上を行く。 森下は逢うごとに引かれていく自分を止められない。 気持ちを伝えられないもどかしさに、気が狂いそうだ。 よし、せめてご飯でもご一緒しよう。 思いきって誘ってみるか、と自分を森下は奮い立たせる。 その時、窓ガラスをコンコンと叩く音・・・。 ガラス窓に顔を向けると、そこには!!! 「火村??」 アリスの声が響く。 げっつ!!というのが森下の心の正直な叫びである。当然だ。 どうして、こうゆう時に現れるかな、この人は・・・。 火村助教授は急いできたのか少し息を弾ませていた。しかし森下を見る目はとても鋭い。 店内につかつか入ってきた助教授は、 「やっぱりここにいたな!アリス。森下さん、アリスがご迷惑おかけしまして、すみませんね。」 とアリスにはにっこりと、森下には嫌味をぶつけるという器用なことをして、当然のようにアリスの隣に座る。 「仕事は?火村。」 「超特急で終わらせてきたぜ。アリスを放っておくわけないだろう??うん?」 普段は森下も見たことがないほど優しい顔と声音。 げろげろ、これが火村助教授か、と思うほどだ。 「でも、良くわかったな、ここ。」 ちょっと顔を赤らめて、アリスは言う。 「そりゃ、わかるさ。このあたりで買い物した後はいつも来てるだろう。今日はいい天気だし、お前ここから見る景色好きだろう。」 「うん。天気がいいとこの吹き抜けのガラスの天井から指し込む光がとっても気持ちいいんや!!」 二人でそんなラブラブな会話をする。 森下はちょっと身の置き場がなくなって来た。 これは火村のとっとと去れ、という心理作戦であろうか?? きっとそうなんだろう・・・。 はあ、今度はいつ有栖川さんに逢えるんだろう。 哀愁を漂わせて森下は名残惜しいが去る決意をした。 「それでは、私はここで失礼しますね。」 「え?そんな・・・。」 「アリス、森下さんはいつまでもお前に付きあっている訳にはいかないんだぞ。」 火村は森下を引きとめそうなアリスに諭す。 いや、内心は森下と早く別れたいのだ。森下が本当はアリスともっと一緒にいたいだろうなんて、あたりまえのこととして承知している。がそんなことは森下の勝手である。火村にとっては邪魔なことこの上ない。 お互いが邪魔だと思っていることも、お互いだけが知っている。 どこまでも鈍感なアリスを挟んで男達は火花を散らすのだ。 けれど、アリスは俺のものだと思っている助教授は当然森下より何百倍も有利である。 「それじゃあ、森下君。また、現場で。」 にやり、と微笑みを付けた火村は手を上げた。 隣のアリスは小さく手を振って、 「ほんとうに、ありがとう森下さん。また今度!!」 と言ってくれた。 その言葉を心の支えにして、森下はその場を後にした。 後日、また火村助教授と顔を逢わせた。 今回は有栖川さんは締め切りのため欠席だそうだ。残念だ。 ところが、森下は見つけてしまった。 火村助教授の胸元のネクタイを。 それはこの間有栖川さんがとても気にいって買った、深い色合いのネクタイだったのだ。 森下は心の中で深〜い、ため息を付いた。 有栖川さ〜〜ん!!! どうして、そんなに火村先生が好きなんですか?? 自分達「有栖川有栖ファンクラブ」会員はどうしたらいいんですか??? こんなに貴方のことが好きなのに。大好きなのに!!!!!!! 森下の心の叫びは、アリスには届かなかった・・・。 END |
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