「きらきらひかる」






「アリス?」
「アリス?」
「アリス!!」

 火村は何度もアリスを呼んだ。
 夕陽丘のマンション。いつものソファ。夕食後に二人で座って、テレビを見ていた。
 アリスは自分の世界に入りこむと、ぼーとして、心がどこかへ飛んで行く。彼はその世界で物語をつむぐ。どこかを見ているわけではなく、焦点が合っていない。
「あ?ああ、火村……」
 やっとこちらの世界に戻ってきたようだ。仕方がない、これがアリスだ。
 火村は、はぁとため息を落とす。
「また、夢の世界か?アリス」
「ごめん。行ってたみたいや」
 アリスはすまなそうに笑う。
「いいさ。次の小説のネタでも考え付いたか?先生」
 火村がからかうようにアリスを見て、にやりと口の端を上げて笑った。
「そんな簡単にできるもんでもないんや」
 アリスはふ〜んだ、ととても30過ぎとは思えないような可愛らしい表情をする。
 火村はこれだから学生に見られるんだよ、と思う。おかげで自分の苦労は耐えない。
「ぼーっとしてる時って焦点が狂ってて、近くにピントが合ってるのか、遠くがぼやけたり、せえへん?」
 アリスは自分の思ったこと、疑問に思ったことをすぐに口にする。
「そりゃあ、あるが……お前ほどじゃないぞ。アリスはしょっちゅうだろう」
「そうかも……、しれへん、かな?」
 自覚があるのか、歯切れが悪い。アリスは、へへっと笑って誤魔化そうとしていたが、何かを思い出したように、火村に向かって言った。
「なあ、変なこと聞いていい?」
 また、いつものアリスである。いろんな事を聞きたがる。知りたがる。好奇心旺盛で口癖が「全てが作家の糧になる」だ。
 火村は、内心「また、始まったな」と思っていた。
 すでに、慣れっこである。果たして、今日は何が飛び出すやら……。
「何だ?」
「あんな、『きらきら』したのが、見えるんや。チカチカ、きらきらした光りの粒みたいで、ダイヤモンドダストっていうと、大げさやけど……。色は金じゃなくて、銀っていうのかな?そんで、目の前より、両脇にいっぱい見えるんや」
「何だ、それは?いつ見たんだ?」
「え、いつも。1日のうち何度も見ることもあるけど、全然見ん時もあるんや」
「いつも見ているのか?何が気になったんだ?」
 火村は首をひねりアリスを伺うような顔をする。ちゃんとアリスの話を聞いてくれている、とわってアリスも嬉しくなる。
「ばかにせえへんのやな。そんなことあるかって」
「ああ、アリスが嘘言うわけないだろう」
 火村の答えは迷いがない。それが余計にアリスを嬉しくさせる。
「うん。ありがとう」
「それで?」
「あんな、『きらきら』したのはずっと小さい時から見えてたんや。でも、特別気にせんかった。自分でも、何だろう?って大きくなってからは考えたんや。ほこりかと思っけど、ほこりはほこりに、ちゃんと見える。日の光とかで浮いてるの、火村も見えるやろう?『きらきら』は、ほこりよりももっと小さいんや。塵かとも思ったんやけど……、塵なら細かいし、光りに反射しそうやん。光りの中で、見えそうや。でもな、『きらきら』はどこでも見えるんや。日中の部屋の中、特別光りが差し込んでいなくても、光の差し込まない部屋でも。だから、当然夜、蛍光灯の下でも見えるんや」
「ふん。いつでも、どこでも、場所を問わず見えるんだな」
 火村は唇を指で撫でる。それは火村が思考する時にする癖だ。
「うん。こう、ふっとやって来るんや。ああ、来た!来た!って思って待っていると『きらきら』してきて、また突然去って行く……」
 アリスはどうやろう、と首を傾げ火村を見上げる。
「月並みな検証としては、貧血では?」
「俺もそうかな、と思ったんやけど。貧血とは違うんや。貧血になると、目の前が真っ暗になってきらきら光るけど、身体もくらくらするわ」
「貧血との違いがわかる、って褒められた事じゃねえぞ。注意しろよ」
 火村は鋭い目でアリスをじろりと睨む。
「うん。わかってる……」
 アリスも心配されていることはわかるので、素直に頷く。
「ダイヤモンドダストだが、これは空気中にある細かい氷の結晶が光るんだ。そして一定の条件がそろわないと、起こらない。だから有名だし、よくスキー場とかで撮影されてニュースになってるだろう」
「うん、わかってる。違うけど、なんか似てるんや。どう表現していいかわからへん」
 アリスは困ったように、口篭もる。
「アリスが言うように、ほこりや塵だが、俺にはそんな風に見えたことがないから、何とも言えない。正体はアリスにしかわからないだろう?きっと今までだって、良かったんだ、原因なんて。どうして突然知りたくなったんだ?」
 アリスは火村の言葉に、驚く。
 どうして、火村はわかるのだろう、自分の気持ちが。
「実は、テレビで見たことある俳優が、空気中からパワーをもらう、とか言ってて、レポーターの人に君には見えないのか?って聞いてたんや。もちろん、見えていなかったようやけど。それって俺が見てる、『きらきら』と似てるのかと思って。昔、仙人は「霞」を食べるとか言ってたし、空気の中に何かあるのか、ぐるぐる考えてしまって、なんかわからんようになったんや」
 アリスは眉根を寄せている。その困ったような様子に火村は腕を組むと真っ直ぐにアリスを見つめた。
「アリスはどう思うんだ?」
「俺?俺は特別なものとは思えないし。パワーももらっとらんし、でも害もないから、こう来た!って思って待つくらいで……。楽しいかな、その瞬間。変な気分なんや」
「だったら、それでいいんじゃないのか?」
「そうか?」
 アリスは首を傾げて、火村の瞳をじっと見る。
「アリスにしか見えなくて、アリスが楽しく待つというなら、そういうものなんだろう。これからも、アリスが楽しみに待っているなら、今後もやってくるだろうし」
「うん、そうやな」
 アリスはにっこり満面の笑顔で火村を見る。
「どうした?」
「火村やなあ、って。大好きや!」
 話を聞いてくれて、端的に意見を言ってくれて、ちゃんと認めてくれる。自分の恋人はなんて、素敵なんだろう。
 アリスは嬉しくなって、火村に飛び付いた。
 アリスの突然の熱烈な抱擁に火村はちょっと驚いた。が、顔にはもちろん出さず、
「俺は、愛してる」
 と耳元で囁いた。
 アリスは魅惑のバリトンを弱点である耳元で囁かれて、びくりと振るえると顔を真っ赤に染めた。
「火村の、あほっ」
 口ではそう言っても、火村の背に回した腕に、ぎゅっと力を込めた。
 もちろん火村はアリスの腰に両手をまわし抱きしめ返す。
「俺はアリスの背に羽根が生えても、驚かないさ」
 結構真面目に火村は告げた。
「何なんや、それ?」
 アリスは火村の腕の中でくすりと笑いながら、間近にある男前な顔を見つめる。
 アリスの問いに、火村は優しく笑うばかりだ。




                                                    END


 


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