「冬の日」



 12月。

 師走。

 つまるところ、先生も走るほど忙しい季節である。

 寒くて凍えそうな身体を暖かなコートで包み込んで、凍てつく冷気を遮る。
 首にはマフラー、指には手袋。
 完全防備でないと、こんな季節外出もできやしないわ。
 それでも仕事柄部屋の中では薄着になるから、インナーは暖かいでも薄い下着を付けて、寒さなんてしりませんって顔をしてみせる。
 それが、女の意地よね。
 行き交う人は寒さのために背中を丸めて、ろくに人の顔なん見ちゃいない。
 コートやマフラーで厚着された身体は誰が誰だか理解不能にさせる。
 これは冬の空気のせいでもあると思う。
 急ぎ足で皆家に帰りたいものね・・・。
 けれど雑踏の中、私は見つけたの。
 絶対に、見誤ることなんてない、人物。
 どこにいても見つけられる綺麗な人。
 そこだけ空気が、色が違って見える。
 私はその後ろ姿を追いかけた。

「有栖川さん!」

 呼び止めた人はゆっくり振り返った。
 薄茶の柔らかそうな髪がゆれて、琥珀の瞳が私を認めた。
 小さくて綺麗な顔。桜色の唇から、あ、という声が漏れた。
 焦げ茶の暖かそうなロングコートにキャメル色のマフラーがとっても似合っていた。

「こんにちは、有栖川さん」
さん・・・、こんにちは」
にっこり微笑んでくれる有栖川さん。

 すっごく嬉しい!
 私もとっておきの笑顔で応じる。
 こんな所で逢えるなんて思いもしなかった。なんて、偶然なの、神様ありがとう!!

「今日はどこかへお出かけですか?お買い物かしら?」

 有栖川さんは鞄と、紙袋を一つ下げている。

「ああ、ちょっと。さんはどうしたんですか?」
「私ですか?私は仕事の帰りです。今日は京都支店に用事があって出張してきたんですよ」
「そうですか、大変そうですね」
「そうでもないですよ、普通です。有栖川さんこそ、今年の分の原稿は終わりましたか?」
「あはは、ほとんど終わりました。後はエッセイが1本だけです」
「じゃあ、ゆっくりクリスマスも年始も迎えられますね」
「そうだといいんですけど、どうでしょう?」

 有栖川さんは首を傾げてふわりと笑う。
 その笑顔が可憐過ぎて、私は見惚れた。
 そう、思いきり忘れていたが、あいつはどうしたんだろうか?有栖川さんの側にはいつもあいつがいるはずなのだけれど・・・。

「あの、今日はお一人ですか?」
 私は聞き難かったが思い切って聞いてみた。
「え?ああ、今は一人ですけどもうすぐ二人になりますよ」
 やっぱり、と思わずにはいられなかった。
「ひょっとして、火村さんですか?」
「ええ、その通りです」
 予想通り過ぎて、涙も出ないわ。
 ああ、有栖川さんとの楽しいひとときももうすぐ終わるのね。
 これ以上を望んだら罰が当たるってことかしら?それも火村さんの罰、というより報復が。
「これから待ち合わせをしてるんですよ、そこのお店で」

 有栖川さんが指差したお店は雰囲気の良さそうなカフェだった。側面がガラス張りで中に座っている客の表情が見える。人待ち顔があることから、待ち合わせに利用されやすいことがわかる。ガラス張りなら、待ち人が来るのが見えるから。
 でも、あそこに有栖川さんが座っていたら、すんごく人目を引くのではないかしら?
 私は確信する。
 絶対注目されること間違いなし!

「良かったら、それまで一緒にどうですか?」
有栖川さんは親切にもそう申し出てくれる。
 いい人だなあ・・・。相変わらず、外見も中身も極上で私は嬉しくなってしまう。
 でも、いいのかしら?受けてしまって。私は悩む。
「ご迷惑ではありませんか?」
「そんなこと、ないですよ」

 にっこり。
 その微笑みに否といえる人間がいたらお目にかかりたいわ!

「じゃあ、少しだけ・・・」
 そして、私たちは並んでそのカフェに入った。
 もちろん窓際の席を取る。
 私はカプチーノ、有栖川さんはカフェオレを頼んだ。すぐにウエイトレスが持ってきてくれたが、有栖川さんにそっと目を配ることを忘れなかった。
 そりゃあ、見たいわよね。
 わかるわよ、その気持ち。
 でも、彼の人はもう人のものなのよ。それも恐ろしくいい男で有栖川さんに執着している。

「暖かくて美味しいですね」
「ええ、本当に。身体が暖まりますわ」

 しかし、そんな視線には一向に気付かずに私に話しかけてくれる。
 私はとっても優越感に浸ってしまいそう。
 有栖川さんは罪作りだけど、その分を補って人を幸せにする人だ。
 だから火村さんも幸せになってるんだろうな、と思う。
 それからは他愛もない話をした。
 それがとても楽しかった。

 しかし、終わりを告げる時が来る。
 雑踏の中から黒いコートを着た男が現れる。
 人の波に埋もれない、存在感。鋭い目つき、厳しい顔。
 しかし、彼が顔を上げて私の横にいる有栖川さんを見つけた時、ふわりと微笑んだ。
 それまでの、鋭角的な存在感が一瞬にして払拭される。
 ああ、恋人に向ける顔なのだ。愛しい者に向ける顔はこんなにも優しい。
 いいなあ・・・と思う。
 ちなみに、横にいる私に気付いた火村氏はちょっと嫌そうに片眉を上げた。

「待たせたな、アリス。こんにちは、さん」
 有栖川さんには本心からにこやかに、私には営業用の笑顔を向ける。
 私も負けずに、必殺スマイルで微笑んだ。
「こんにちは、火村さん。有栖川さんをお借りしてましたわ」
「いいえ、こちらこそ。有栖川の相手をさせてしまってすみません。時間を取らせてしまいましたね?」
「とんでもないですわ。とっても楽しかったです」

 にこにこ。
 にこにこ。

 やはり、どうしてもこうなってしまうのよね、私たち。
 思えば、初対面から変わらないわ。
 火村さんと逢うと、どうしても好戦的になってしまうの。
 狐と狸かと思うほど、言葉遊びしてるんじゃないの?ってくらい、裏がある。

「それでは私、失礼しますわ」
 私は有栖川さんに微笑んで、席を立つ。
「引き留めて、ごめんな」
 そう言ってくれる有栖川さん。
「また、お会いしましょうね」
 嬉しくて、そう答えておいた。今度、またケーキでも持ってお邪魔しましょう。
 そして、
「火村さん、それではお邪魔しました」
 火村さんに向かって会釈する。
「さようなら、さん。気を付けて」
 短いが一応挨拶を返してくれた。さすが、数度逢った賜物だろうか?
 けれど、私は最後の言葉を忘れなかった。
「でも、こんなカフェに有栖川さんを一人で待たせておいてはいけませんわ」

 にっこり。

 意味深に微笑んでみせる。
 火村さんは一瞬目を見張ると、にやりと人が悪そうに口角を上げた。
「それはお心使いありがとうございます。でも、そこまで過保護でもいられませんよ。そうでしょう?」
「そうですわね」
 火村氏と目があう。
 そこでお互いの考えていることがわかってしまう。
 過保護でいられないけど、自分にできうることは全て過保護なんですよね?火村さん。
 所詮、恋人同士。
 私が口を出すことでもないか?ま、お手並み拝見しましょう。
「では、さようなら」

 私は有栖川さんと火村さんに手を振ってお店を出た。
 外は先ほどより気温が下がり、とても寒い。
 これから家路に付く自分だが、ちょっぴりだけ二人が羨ましかったりする。
 恋人っていいなあ・・・。
 今頃暖まって、楽しい会話をしているのだろう。
 だから、私は振り返らない。
 そんなことをしたら、女が廃るわ。



「あ・・・」

 雪が降ってきた。
 見上げると、白い雪が風に乗って、くるくると舞って落ちてくる。
 初雪の最初の結晶は、願いが叶うという。
 だったら、あの二人が幸せでありますように、と祈りたい。
 大好きな有栖川さんがいつでも笑っていられますように・・・。
 ま、大きなお世話ね。
 有栖川さんの笑顔は火村氏が守ってくれると信じてるわ。
 だから、責任持ってよろしくね。
 時々、偵察に行っちゃうから!
 邪険にされてもへこたれないんだから、諦めてね。
 全ては有栖川さんのためよ。
 おほほほほほほ。


 私の笑い声にひょっとしたら、くしゃみをしたかもしれないわね・・・?(笑)



                                               END



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