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初回は,古代ローマ独特と思われる表現を5つほど拾って見ました.例の如く,拙い,まとまりの悪い文章となってしまいましたが,メモ程度のものと思って,読んでいただければ幸いです.なるべく,参考図書を紹介するようにしました.思わぬ不明,誤りがあるかも知れません.お気づきになりましたら,ぜひともご教示下さい.

 

cursus honorum クルスス・ホノールム

文字通りには「名誉のコース(道)」ということでしょうか.honorum(これは複数属格形)の単数主格形 honor(ホノル)には,「名誉ある職,政務官(職)」の意味があります.つまり,「官僚 = 政治家の昇進のコース」,誤解を恐れずにいえば「エリートコース」と考えてかまわないかも知れません.具体的に言えば,通例,quaestor(クワエストル,「会計検査官」,「財務官」,資格年令は30歳以上)→ aedilis (アエディ-リス,「造営官」,「按察官」,30歳以上)→ praetor (プラエトル,「法務官」,40歳以上)→ consul(コーンスル,「執政官」,40歳以上)に至る順序のことです.執政官が定員2人と固定していたのを除いて,ここに挙げた他の役職は,時代によって定員が異なります.任期はいずれも1年でした.執政官と法務官は軍団を率いる指揮権(imperium インペリウム)を有していました.この外に,重要な官職には,高校の世界史でも良く試験で出された「護民官」(tribunus plebis トリブーヌス・プレビス),「監察官」(または「戸口調査官」)(censor,ケンソル)がありますが,資格年令は,はっきりしませんので,昇進のコースには入れませんでした.護民官は,その名の如く,平民の権利を守る代表者で,平民出身者から選ばれ,拒否権(現代に生きるラテン語 vetoの項参照)と身体の神聖不可侵の権利があり,古代ローマの政治のユニークさを象徴する官職と言っていいでしょう.グラックス兄弟があまりにも有名ですね.監察官[戸口調査官]は,人口調査が役目ですが,実は,市民の財産をチェックしていた意味で,権力が強大でした.大カトーが,Cato Censor(Censorius)と呼ばれるくらいで,その職にあったのがよく知られています.あれ,カエサルがなった「独裁官」はどうした,と問われそうですが,その職は,本来,国家非常時のみの役職で,任期は半年でした.「独裁」と今日聞くと,悪い意味にとられそうですが,勿論,執政官制度の欠点を補う意味で,非常大権を有していたわけです.なお,現代人には少し分かりづらいローマの政治のシステムについては,長谷川博隆著『カエサル』(講談社学術文庫)第1章「政治のしくみ」か塩野七生著『ローマ人の物語』(T)第2章「ローマの政体」をお読みください.いずれも,分かりやすく,今日の我々が陥りやすい誤解のないように,明快に説明しています.

 

市民冠 corona civica コローナ・キーウィカ

毎年冬になるとマラソン中継を熱心に観るのですが,いつも感じるのは,競技終了後,その勝者が月桂樹の葉で作られた冠をかぶった姿を見て,本当にいいなあ,すがすがしいなあ,ということです.勿論,古代ギリシアの競技会の伝統が受け継がれているわけですが,他の競技と違って金メダルを得るのではないことに価値があると思います(そのためか,マラソン中継で,アナウンサーなどが「金,金」などと口走るのを聞くと,なんとなくしらけてしまいます).さて,実は,ローマ時代でも,褒賞制度においては,「木の葉」の方が「金」よりも上位でした.表題の「市民冠」は別名 corona querca (コローナ・クウェルカ)「オーク冠」といって,オーク (英語 oak ナラ,カシ類のどんぐりのなる木の総称)の葉で作られた冠で,これは,市民の命を救った者に与えられる非常に輝かしい栄誉でした.冠には他に,城壁冠(corona muralis),城柵冠(corona vallaris),黄金冠(corona aurea)があり,これらはいずれも金で出来ていましたが,市民冠よりも下位のものでした.プリニウス 『博物誌』第16巻7〜14にローマの冠について述べた個所があり,それを読むと,市民冠を得る規則・資格がなかなか厳しかったことが書かれています.興味深く,感心するのは味方が誰であれ(全軍の指揮官でも,一介の市民でも),その名誉は変わらない,とあることです.市民冠を得た者は,生涯,その名誉が保て,競技会場などに行くと,元老院議員も起立して敬意を表する慣例があり,また,本人,その父,父方の祖父には市民としての義務が免除された,とプリニウスは記しています.

*なお,このプリニウスの『博物誌』は日本語訳が二種あります

中野定雄,中野里美,中野美代訳『プリニウスの博物誌』(雄山閣),ローブ版英訳からの重訳

大槻真一郎編『プリニウス博物誌』「植物篇」「植物薬剤篇」 (八坂書房),原典訳.

 

タルペイアの岩 Tarpeia rupes タルペーイア・ルーペースTarpeium saxum タルペーイウム・サクスム

Oxford Latin Dictionaryには,「カピトリウム丘のおそらく南西の一角にある断崖で,そこから,反逆者,殺人者が突き落とされた」とあり,つまり,罪人を処刑する場所名なのですが,気になるのは,やはり「タルペイアの岩」の名の謂れではないでしょうか.調べて見ますと,いろいろと語り伝えがありますが,最も一般的な伝説は,次のようです― ローマ建国初代の王ロムルスの時のことで,ローマは,近隣のサビーニ族と戦闘を交わすようになり(絵画の主題等で良く知られるあの「サビーニの女たちの略奪」が事の発端でした),ローマ軍がカピトリウム丘の砦にたてこもり,サビーニ族が攻めあぐねるような状況になっていました.丘を守る指揮官の娘がタルペイアで,敵の王タティウスの姿を目にして,恋に落ちたのです.そしてこの娘は,味方を裏切り,カピトリウム丘の内へと,王とその部下を入れてしまいます.しかし,王のほうは,その愛ゆえの行為に報いるどころか,タルペイアを盾で殺してしまったのでした.ローマ建国時の一人の哀れな女性の物語ですが,恋愛詩の名手プロペルティウスも『詩集』第4巻第4歌で歌っています.神話的引用に富む物語詩で,神話に興味があり,謎解きのような詩が好きな好きな方はぜひどうぞ(日本語訳なら,中山恒夫編訳『ローマ恋愛詩人集』(国文社)に所収されています).

 

decimare デキマーレ

ラテン語の語彙力のある人ならば,「10分の1」に関した意味だろうと当たりをつけられるかもしれません.その通りで,この語は,序数詞decimus「第10番目の」から派生した言葉です(なお,Decimus(デキムス」とすればローマの個人名でもあります).さて,元に戻りますが,表題の語をご存知でしょうか.ローマ史に親しんでいる方なら,何でもないかも知れません.やや,もったいぶってしまいましたが,意味は,ローマの軍隊に関して用いられるもので,「くじにより選ばれた,10人につき1人を処刑する」という,ぞっとするものです.軍隊が反乱を起こしたときや,戦列を逃げ出した時など,この刑が適用されました.この語は,むしろ,decimatio (デキマーティオー)という名詞形で知られているかもしれません(ここで,動詞形を出したのは,古典ラテン語として用いられる点を考慮したためです).ローマの軍団の規律の厳しさをよく知らせる語として,インパクトがあるのではないでしょうか.なお,英仏語でもそれぞれ,decimate(名詞形はdecimation),décimer(décimation)として用いられています.蛇足ながら,decima(デキマ)とすると名詞で「10分の1,10分の1税」のことですから,つづり,読みにはお気をつけ下さい.

aqua et igni interdicere アクゥアー・イグニー インテルディケレ 「水や火を禁じる」

刑罰に関するものをもう一つ.タキトゥスの『年代記』を(勿論訳で)読んでいた時に知りました.塩野七生著『ローマ人の歴史』にも出てきます.面白い言い回しなので,取り上げてみることにしました.これは,表題のフレーズをもう少し言葉を補足すれば,「(市民生活をするのに欠かせない)水や火を使うことを禁じる」ということで,具体的には,(イタリア)国外追放刑に処する,という意味です.それに市民権も剥奪,財産も没収されるわけです.何か,水や火の恩恵というものを十分に意識している表現だと思います.この 水(aqua)も火(igunis)も,その人間生活での重要性から多くの熟語をでも作っていますが,「水」に関するラテン語の熟語を2,3例紹介しましょう.

aquam praebere (食事の前に沐浴の水を提供することから)もてなす[招待する]〈…を +与格〉.

mihi aqua haeret (私は)苦境にある,窮地に置かれている.

aquam et terram ab aliquo petere〈人に〉服従[降伏]を求める.

我々も「水」の大切さを改めておもうべきですね.(Oxford Latin Dictionaryには aquaの項に多くの熟語が載せられています.興味のある方はご参照下さい).

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