2013年

7月17日 狸谷山不動院・八坂神社他

山陰街道を完歩し終えたこの日永年火防とウスサマ明王のご加護を得たままの狸谷山不動院に古い御札を返し、新しい札を戴きに参拝した。出町柳駅から歩きはじめたが、一乗寺駅からの厳しい登り、本堂直前の250段の階段にはかなりまいりました。その後は銀閣寺、哲学の道、平安神宮、八坂神社、大谷祖廟と懐かしい道を歩きました。
  
祖廟への到着は5時を過ぎてしまいお参りはできませんでしたが、祖廟の階段下では祇園祭神輿渡御の出番を待つ人々が威勢よく体慣らし?をしていました。初めての機会なので渡御の開始まで待機して一緒に移動しました。八坂神社西門下で三基の神輿が三社揃い踏みをして、差し上げ、差し回しをするのを大勢の観客に埋もれながら見学しました。
     

2012年

12年11月2日 乃木坂・ビッグサイト・田町

大学卒業以来の再会となる友人とビッグサイトで待ち合わせすることになったが、折角なので時間調整を兼ねて乃木坂駅から気ままに歩きレインボーブリッジを渡橋して有明のワシントンホテルに向かうことにした。
8:00 乃木坂駅を出て、すぐ乃木神社に立ち寄る。 国立新美術館や政策研究大学院、六本木ヒルズを抜け、中国やフィンランドなど各国大使館が並ぶ有栖川宮公園界隈を通り、北里研究所や幽霊坂から御田神社に出て、札の辻橋を越えて芝浦に渡る。
9:43 レインボーブリッジの芝浦口に到着。11月1日から冬時間で10時開場となり、しばらく待機する。 往きは北コースを歩く、風が強いのに驚く。都心の高層建物や東京タワー、スカイツリーを遠くに見ながら 25分で台場口に到着する。
  
10:45 ワシントンホテルに到着。
12:20 昼食後、友人と別れて有明の森、フェリーふ頭など散策して、船の科学館前の南極観測船宗谷を見学する。 思っていたより小さいのに驚く。
お台場海浜公園を抜け、品川台場を一回りして、レインボーブリッジの台場口より南コースで橋を渡る。15:33。
南コースは海側なので一段と素晴らしい光景を楽しめた。特に第三台場や第六台場を橋上から見るので、美しい島の景観が手に取るようである。
   
16:31 田町駅に到着。

12年9月7日 四県を歩く(渡良瀬貯水池)

8:23 古河駅から歩き始める。駅前から続く中央通りは古い商家などが残り、シャッターの下りた街ではない。
古い蔵を利用した篆刻博物館や永井路子邸などがある。
8:51 三国橋を通過。三国とは下野(栃木)、下総(茨城)、武蔵(埼玉)を示すと思うが、この橋だけでは栃木県を通過していないと思う。
9:02 第一排水門の下流にある橋及び第一排水門は関係者以外は進入できない。やむなく下宮橋から中の島、西橋、北橋、北排水門を経て周回道路を南下する。途中で10:22 栃木・群馬県境を通過する。古河駅から丁度2時間である。

10:29 想い出橋を渡って、遊水池を離れ、埼玉大橋を目指して気ままに南下する道を進む。
12:06 埼玉大橋を通過。
13:25 東北自動車道を羽生PA付近で通過。
14:30 羽生市役所付近を通過。
16:42 忍城に到着。





12年8月7日 山手線外周

昨夜は大江戸温泉お台場に宿泊し、始発で新橋駅にでた。
5:58 新橋駅前から山手線の内側に入らないように山手線一周歩きの始まりである。
折角の早朝である。築地市場を見学する。見学人がうろうろする中を構内車が忙しく動き回っていた。
人だかりがするので、近づいてみると名物の寿司店を紹介するTV撮影である。
俳優がカンペを頼りに会話しているのがおかしかった。
牛丼の吉野家が明治32年、市場の人たちを相手に築地で発祥したのは知らなかった。
魚河岸では当然、「うまい、早い、安い」が必須条件だったのだろう。
築地では中国産のマッタケを土産に購入した。
7:21 東京駅八重洲口を通過。
日本銀行を通過して、神田駅周辺の壁に古い町名の由来などを紹介した今昔比較が楽しかった。
7:54 秋葉原を通過。8:22 上野駅近くで啄木の歌碑を通過。
8:56 日暮里の老舗団子屋を通過。
9:32 田端文士村記念館前を通過。正岡子規、室生犀星、土屋文明、サトウハチロー、川口松太郎など多数の文士がこの界隈に居住していたようだ。

10:18 大塚駅前を通過。丁度、都電が停車していた。
10:47 池袋を通過。11:59 新宿東口(旧青梅街道)を通過。
12:32 明治神宮を参拝。
13:09 渋谷駅を通過。13:31 恵比寿駅を通過。
14:24 大崎駅を通過。この後、新幹線、東海道線などがあり、山手線沿いに歩くのが難しくなる。
東京総合車両センターに阻止され大井町で東海道を越える。14:57。
15:15 官営品川硝子製作所跡を通過。15:46 品川駅を通過。
16:35 浜松町を通過。道なりに進むと駅構内に入り、山手線の内側に出る。やむなく引き返して、旧芝離宮庭園を迂回するように新橋に向かう。

17:00 新橋駅に到着。予定より1時間以上遅れてのゴールである。
30年ほど前にも山手線沿いを新宿から時計回りに歩いた。当然ながらその時とは、目に入る景観は異なり、本人の見る視点も変わっており、全く別の歩き旅であった。二度目の旅でなく初めての旅の感覚である。

12年02月18日 東京ゲートブリッジ他臨海部

8:08 東京駅から歩き始める。気ままに歩きながらも八丁堀駅、月島駅、越中島駅、豊洲駅、潮見駅を経て10:10 夢の島に到着。
夢の島公園を歩いた後、東京ヘリポートのある荒川河口の遊歩道を歩く。
対岸には大観覧車や葛西臨界公園、TDL、舞浜のホテル群が良く見える。

11:28 若洲橋を渡る。
11:49 若洲海浜公園の西南端にある東京ゲートブリッジに到着。

ゲートブリッジを歩く前に、橋と並行していて約600mある海釣り用突堤を往復した。
12:10 歩道に繋がる階段を昇り始める。橋の歩道は地上8F相当にあり階段またはエレベータを利用しなければ行けない。
12:44 橋の終端で折り返す。地上に降りる昇降施設は完成しているが、使用禁止で歩行者は地上に降りることができない。橋の最高部は海上から61mである。
橋上からはスカイツリーや東京タワー、臨海部のタワーマンション、有明ビッグサイトなどが良く見える。

帰路は新木場駅、東雲駅、国際展示場場正門駅を経て、15:13 青海駅近くで折り返しお台場海浜公園駅、豊洲駅、春海橋、勝鬨橋、東銀座駅、宝町駅を経て17:16 東京駅に戻る。










12年02月02日 厚木市内散策

日課の朝ウオーキングの最中に、急に市内散策を思い立ち、急いで準備をして出かける。
思い立った理由は、新しい斎場ができる古沢地区の様子と相模川に架かるあゆみ橋の工事を見たかったのである。
新斎場の周辺は道路の拡幅など急ピッチで整備が進んでいた。あゆみ橋に向かう途中,これまで近くまで行きながらなかなか見つからなかった『牛頭天王社跡』の道標を発見した。これで全104基を徒歩探索したことになる。
あゆみ橋の工事は、すでに横取り架橋の工事がすでに終わり、延伸部分は定位置に移動していた。
アーチ部の接続はまだであった。
 

12年01月25日 江戸市中引き回し

江戸時代に罪人を処刑する前に、見せしめのため江戸市中を引き回したルートを歩いてみた。
もちろん正確なルートは不明だが、同好の人たちが歩いたルートをネット上で公開しているのを参考にした。 約30Kmのコースである。
  

12年01月12日 横浜水道みち

7:06 相模原公園に駐車して、水道みち緑道を大和に向けて歩く。途中、御園で相模原キャンプで進路を阻まれるが、迂回して南台から再び緑道を進む。
9:11 大和市内に入ると『さくらの散歩道』と名前が変わる。この道はかって歩いたので、気ままなルートで上流の谷ヶ原を目指し、そこから再び水道みちで相模原公園に戻る計画だった。しかし時間的に余裕がなかったので、13;44 向原から引き返し16:04 相模原公園に戻った。
水道関連の諸施設や案内が興味深かった。
   


2011年

11年12月16日 YCATから厚木

横浜のYCATへ夜行バスが到着した。旅の疲れもさほどないので、気ままに歩いて帰ることにした。横浜市内は何度も歩いているが、坂が多い。とりわけ保土ヶ谷は山の中に町ができた感じである。ビール坂、神奈川坂、権太坂など急坂を歩く。米軍基地では軍用機が演習飛行で機体を垂直に旋回しているのに遭遇した。撮影は間に合わず、ようやく着陸直前を撮影することができた。
相模川ではあゆみ橋の延伸工事を見学する。通行止の期間をできるだけ短くするための工夫であろう。追加するアーチを2分割にして、取り付き道路につながる部分は所定位置に建設し、元のアーチとの接続部分は、すこし横にずれた位置で工事をし、横にスライドして接続するものである。水平に約19m、垂直に約20cm降下させるらしい。
 

11年12月07日 町田文学館

大好きな蕗谷虹児の展覧会が町田文学館で開催されているので、散歩がてら気ままに歩いて出かけた。帰路は電車を利用した。
座間キャンプ場の近くにあって、気になる富士山公園に立ち寄った。山頂に富士山ゆかりの浅間神社跡があり、奇妙な柱状のものが立っていた。旧陸軍士官学校遥拝所方位盤だそうである。士官学校の生徒が毎朝、皇居、明治神宮、伊勢神宮および各自の故郷に向かって遥拝するのが日課だったそうだ。
八王子から横浜に絹の道があるのは旧知だが、その記念碑が小田急町田駅近くにあるの初めて知った。絹の道沿いの相原地区に蚕種石があるらしいが、一度訪ねてみたいと思う。
先月、中山道を歩いた折に福島宿で藤村の代表作「初恋」の歌碑を見つけた時は、うれしくて興奮した。驚いたことに今日の展覧会で、その「初恋」の挿絵を虹児が描いていたことを知る。なぜか無性に意味もなく嬉しい。

11年12月05日 入間〜高麗

先週に続き、武蔵野や狭山丘陵を気ままに歩く。
入間川や高麗川は桜の季節も楽しめそうである。それにしても、新参の大学が多数あるのに驚かされる。こんなに大学や大学生が増えれば、景気が良くても就職率は落ちるだろうから、不景気の今は悪くて当然であろう。
高麗の地名が高句麗に因んでいるのは察しがついていたが、高麗王の直系によって高麗神社が護られていることに驚いた。高麗家の住居、高麗神社、高麗山聖天院が並ぶように位置している。
  

11年11月28日 府中〜入間(金子)

武蔵野を歩きたくなり、府中本町より埼玉県方面に気ままに歩く。
小金井、国分寺、武蔵村山、瑞穂、入間など車や電車で来たことがあっても、歩くのは初めてである。
金子駅まで歩いたが、いずれ続きを歩いて秩父まで行きたいと思う。しかし正丸トンネルは歩行が危険な情報があるので、躊躇する。

11年09月30日 八王子〜青梅・羽村

明日は多摩川フェスタ50Kmコースの参加のため、今夜は羽村駅前に前泊である。そんなわけで八王子から青梅方面に気ままに歩いた。
淺川の暁橋を渡り、川口川を上流に進み、高尾街道を北進して七曲り峠を越えてあきるの市に入り、五日市街道を武蔵増戸駅まで進み、北進して日の出町、明星大学を経て、調布橋で多摩川を越え、青梅駅へ。旧青梅街道のレトロな雰囲気を味わいながら羽村駅へ、31Kmの旅である。
日の出町の二つ塚峠がピークだが、標高差は200m程度で苦痛を感じる箇所はない。
  

11年09月13日 中津飛行場跡

厚木市と愛川町にまたがる中津工業団地は戦時中の相模陸軍飛行場跡に建設されたものである。昔の面影を探して徘徊した。
県道53号を才戸橋方面から桜台に向かって進むと、ヘアピンカーブを過ぎてまもなく、陸橋のようなものが県道の上を横断している。上に通じる道はないが、廃屋らしい家の敷地から土手を登ると排水路である。帰宅後に地図で確認すると、中津川に通じていることがわかった。
桜台交差点から一本松方面に歩いて最初の信号機がある交差点の右奥の民家の庭に門柱が1本残っている右手前はアイコー不動産です。この家の人にお話しを聞こうとしたが、不在のようであり諦めた。もう一本はすぐ近くの井上造園の私有地に移転している。こちらを訪ねると若い主婦が応対に現れ、いきさつを話すと、心得たようにおばあさんを呼んでくれました。私がが嫁入りしたときには、門柱はすでに家にあったとのことである。おばあさんから見て先々代が豆腐屋を営んでいて飛行場に出入りし、その縁で譲ってもらったのだろうと言うことでした。この家には2本の門柱があるが、大きさが明らかに違います。小さいほうの一本は先ほどのものと同じで、表札や看板を掛けるものがないので『通用門』、大きいほうは表札を掛けるくぼみがあり、おそらく正門用であろう。
  

相模自動車検査登録事務所の南側に工業団地では考えられない人間しか通れない細いがしっかりした道がある。これはおそらく飛行場と民有地との境界でこのように細い隙間ができたのであろう。車道に出たら、すぐに右折して検査登録事務所の駐車場を過ぎて、50mの右側に民家や月極めの駐車場がある。注意してみるとコンクリートの建造物が見える。通信室跡らしい。現在は大野建設の私有地になっている。

第2公園内に塚のような盛り上がりがある。近くに何の表示もないが、帰宅後調べたら格納庫の跡らしいと言う説があったが、どうして平坦でないのか疑問である。すぐ近くに開墾記念碑がある。風化して全文は判読できないが、興味のある記述があるので、帰宅後に調べたら、全文を紹介しているWebがあった。この地は養蚕が盛んで一帯は桑畑であったが、昭和15年に飛行場建設のため買収され、飛行場建設には地元の女性が駆り出され、戦後払い下げられたが、滑走路として使われていたためコンクリート砕いて畑にするのは大変な重労働であった。しかも男性が復員するまで待つことなくく女の人が中心になって開墾したそうである。そしてせっかく開墾した土地を昭和36年から始まった工業団地の建設のために手放さなければならなかったという。時代に翻弄されながらたくましい女性の力に敬服である。
 

11年08月20日 半日散歩

早朝散歩で近くのゴルフ場内の抜け道を探すつもりで出かけたつもりが、あまりにも快適でついつい歩き続け、気がつけば途中のコンビニでおにぎりと飲料水とチョコを買って裏山の鳶尾山に登っていた。昨日までの猛暑とうって変わり肌寒く感じるときもあった。
古い集落の荻野旧道、石仏の多い荻野古道を経て、大厚木GC場内を抜ける近道を探し、敬和荘裏に出るルートを発見する。厚木国際CCを分断する形の市道を歩いて荻の運動公園の裏口から公園に入り、ひと回りして弁天山経由で荻野川、広町公園へ、鳶尾団地を通り、途中でコンビニに寄ったあと鳶尾山山頂からまつかげ台、みはるの団地を経て自宅に戻る。起伏の連続であるが、それほど疲れを感じさせないコースである。

11年07月04日 境川・尾根緑道

8:17 町田駅から境川を上流に歩き、南大沢駅を目指した。そのあとは小田急多摩線の駅まで歩くつもりであったが、途中で『尾根緑道』に出たので、これで再び町田駅に向かうことにした。
境川沿いに遊歩道が整備され、歩行者とサイクリストだけが行きかう道を黙々と歩く。
10:42 京王相模原線を越えて、間もなく右折して南大沢駅を目指す。
11:29 アウトレットには立ち寄らず南大沢駅を後にする。アウトドアのWild Oneの多摩ニュータウン店が近いことを知り、通行人に尋ねながら12:20に到着。店内を一回りした後、近くで昼食をとる。
尾根緑道はかっては『戦車道路』と呼ばれ、戦車の走行テスト用道路として造られたものらしい。
16:12 町田駅に到着。
川沿いの道と尾根道を歩いた割には、ほとんど高低差のないコースであった。

11年07月01日 宮ケ瀬湖・奥相模湖・月夜野

明日は北丹沢を焼山から箒沢まで縦走するため、今夜は青根に前泊する。ということで宮ケ瀬から奥相模湖、月夜野を気ままに歩いて宿に向かうことにした。
9:39 宮ケ瀬湖を出発。このルートの多くは富士山登頂のときに、歩いたことがあるので、意識的に脇道に入るように心がけた。
11:20 青野原関所跡を通過。津久井にはもう一つ、東海自然歩道のルートにある鼠坂関があった。
13:34 雨に降られながら、奥相模湖の道志ダムに到着する。県内の主なダムでまだ歩いていないところはどこだろうと気になる。
ところどころに、『北丹沢山岳耐久12時間レース』の幟が目立つ。この時はバイクのレースでもあると思っていたら、後で分ったら人間が北丹沢の山中を走る競争でマラソンより少し長い44Kmくらいを走るそうである。
ここまで来たら、せっかくだから県境まで歩こうと月夜野に向かう。以前、ここを歩いた時も雨に降られたことを思い出す。
14:33 両国橋を越え、月夜野バス停から引き返す。15:31 国道を避け、山間の道を通り青野に到着。
  

11年06月10日 八管山・幣山・半縄

9:22 思い立ったように散歩の出かける。鳶尾山頂を経由しないで鳶尾山腹から棚沢に出て、常昌院経由で八管山に向かう。
11:17 八管山の展望台に到着。晴れていればランドマークタワーも見えるのだが、この日は曇っていて見晴らしは近郊の町だけである。
少し早いが昼食を食べて、すぐに歩き始める。
幣山に向かう標識は見つけやすいが、この登山道は通る人が少ないためクモの巣に触れたり、道がわかりにくいところがある。しかもかなりの勾配である。もう少し整備してほしいものである。
幣山は以前は陸の孤島のような不便な地域であった。最近八管橋へ通じる道が開通したので便利になった。途中にある『かわせみ大橋』ではカメラを持った人がぶらぶらしていたが、本当にカワセミが生息しているのだろうか。私は、この道が開通する前から何度も歩いているが、田園地帯を横断する水道道を自動車が行きかうのを見るのが好きである。模型を見ているようである。
12:17 八管橋を経て中津往還に合流する。ここより八王子寄りの中津往還は古民家を訪ねて歩いたことがある。厚木寄りを歩くのは初めてである。半縄で新しい発見があった。『中津箒』の店があり、興味があったので蔵を利用した店に立ち寄り、親切にいろいろな話を聞いた。箒の材料となる「ホウキモロコシ」の栽培から手がけ、製造、販売している老舗である。驚くほど多くの箒が展示・販売されていた。ここから分家した店が京都でも営業しているそうだ。
13:38 自宅に到着。
  

11年05月18日 新百合ヶ丘〜相武台

いい汗をかいて日帰り温泉でゆっくりするのは気持ちがよいものである。私は20Kmくらい歩いて相武台の『湯快爽快』に行くことが多い。
自宅からいろいろなコースを経て相武台まで行っているので、今回は電車で新百合ヶ丘駅まで行き、そこから温泉まで歩くことにした。
麻生、王禅寺、住吉台、成瀬台などの住宅地を抜け、町田、相模大野、小田急相模原を経て、18.6Kmを歩き、営業開始のちょうど10時に温泉に到着した。

11年05月13日 JAXA相模原キャンパス

県立相模原公園の駐車場に車を止めて、気ままに歩く。耕作地や陽光台の住宅地を歩いているうちに自然豊かな道保川公園に出る。少し散策して、星ヶ丘から矢部へ行き、淵野辺方面へ戻り、JAXA相模原による。イトカワ探査で一躍有名になったハヤブサのスタッフたちの研究所である。展示室といっても、すべてが模型にならざるを得ないのは宇宙関係の資料館では宿命である。もう少し迫力のある展示方法の開発も必要である。小さな子どもたちが夢を描けるような工夫がほしい。
淵野辺公園で昼食をとり、北里大学、女子美大経由で相模原公園に戻る。
今日のウオークで、とても珍しい苗字に出会う。しかもそれがお隣同士なので、なおさら珍しい。『紀伊国屋』(紀ノ国屋ではない)さんと『羽織屋』さんである。
  

11年03月10日 神奈川県古文書館

二俣川駅から歩き始め、古文書館に立ち寄った後、相模野駅まで気ままに歩いた。古文書の講習会に参加したので、古文書館を一度は訪れてみようと思った。やはり図書館とは違い利用者は格段に少なく、ざわつきのない静寂の空間である。


11年03月08日 厚木飛行場

久しぶりに飛行場に行くことを思い立った。相鉄線の相模大塚駅から歩くつもりだったが、天気も良さそう出し、時間もたっぷりあるので厚木市内の妻田から往復した。9:37 出発
鮎津橋、第一鮎津橋、第二鮎津橋など遠回りをしながら歩み橋を10:25に通過。海老名の国分寺や寺尾台の住宅地を歩く。
12:26 東名高速道を越えて、桜森に到着。ここから厚木基地のフェンスに出来るだけ近いルートをたどりながら歩く。
12:43 厚木基地の正門に到着。初めて知ったが、アメリカ海軍の基地だけでなく海上自衛隊の厚木飛行場でもある。正門の看板と正面に赤い鳥居があったので撮影しようとしたら米兵が「ダメネ」と両手をクロスするので諦めた。隣接する建物や谷戸に阻まれて何回も行き止まりにあいながら進む。
13:43 綾瀬大橋を渡ると着陸する飛行機の撮影ポイントに多数の人がカメラを構えていた。私もデジカメでトライしたが、なかなかうまくゆかない。
14:27 「日本飛行機KK南工場」に到着。飛行機の整備などを請け負っているのだろう。
15:20 基地のスタート地点に到着。約3時間かかって一周したことになる。帰路は遠回りだがわかりやすいR246バイパスを歩いた。
  

11年03月02日 津久井町・牧野

厚木市が募集した「初めての古文書」セミナーを受講していて『前地』なる単語が出てきて、その実例を『新編相模国風土記稿』の『里正五郎邸宅図』で説明された。津久井の牧野にあると聞き、『里正五郎邸宅図』を訪ね歩いた。現在は屋敷の位置は全く違うが、長屋門や丘陵地、墓地、家の並び方は『里正五郎邸宅図』の面影が残っている。
  

帰路に珍しい光景を見た。下の写真である。崩落防止の資材を運んでいるのである。直径10Cm位、長さ2mの丸棒を3本脊負って山道を運ぶのである。
 


11年03月01日 甲州道・半原

甲州道と言っても五街道の甲州古道ではない。相模の国で厚木から甲州古道に通じる道を甲州道とか津久井道と言われてきたそうです。
その道を僅かですが厚木の荻野から愛川の半原まで歩きました。これまでも何度も歩いた道だが、僅かに新しい道も歩いた。
それは愛川トンネルを迂回して桟敷戸集落を歩いたことと、半原バス停から帰路に原臼まで関東ふれあいの道を歩いたことである。
R412と松葉沢が交差する地点はホタルの里として整備されているようだ。今日は鯉が泳ぐのが楽しめただけだが、季節には地元の人でにぎわうのであろう。

11年02月19日 秦野戸川県立公園

9:30 渋沢駅から丹沢登山のメッカ大倉を目指して歩く。第二東名の建設予定地や江戸時代の犬奉行だった米倉一族の墓地などを経て
10:48 大倉に到着。隣接する秦野戸川県立公園を散策しながら、帰路は戸川を経て、曽屋神社に11:56到着。境内では井之明神水と言われる清水が湧き、近在の人々は利用していたが、明治時代に用水路を介しコレラが発生して多数の犠牲者が出たそうである。これを契機に横浜、函館に次ぐ日本で三番目の曽屋水道の完成に至ったそうである。
13;26 東海大学前駅を通過。当初はここから電車で帰宅予定だったが、気ままに歩いている間に、もう一駅、もう一駅と4駅も歩いて
16:24 本厚木駅に到着。

11年02月17日 自宅界隈・妻田他

荻野の『六郎屋』から飯山の『登山遺跡』を探しに行くが、見当をつけていたところは『登山公園』となっていた。何の表示もないが、きっとこの辺りだろうと一人で納得して、次は『妻田薬師』に向かう。近くはよく通るが、境内に入るのは初めてである。ここに日本一と思われるものがあった。それは特大の御札である。





11年02月15日 本厚木〜平塚〜茅ヶ崎〜寒川〜海老名〜本厚木を周遊

7:41 本厚木駅を出発。旧129その昔は八王子街道とも言ったようだが、平塚にはこの道を主に歩き、時折寄り道をしたり、相模川の堤防を歩いた。古道とはいえ、幹線道路で交通量も多い。しかし、歴史を感じさせる石碑や観光案内板が随所にあり、楽しい歩行であった。
平塚の大神で『請場跡』の案内板を見つけたが、初めて出合った言葉である。幕府の受信役所があって、ここで受けた書信は、ここから郡内各地に伝達されたらしい。
旧田村十字路には『十王堂跡』がある。北条勢と上杉勢が相模川で戦った時の犠牲者を弔ったものである。閻魔十王によって、生前の罪業が裁かれて、天国か地獄の行き先が決まる。
鹿見堂で見かけた道標には驚いた。『南 中原道 北 奥州道』とある。中原道は納得できても、奥州道に疑問を感じた。説明によると平安時代は奥州道であったそうである。そう言えば、鎌倉でも『是より東海道』の道標を見たことがある。
前鳥神社(相模四ノ宮)、平塚八幡宮(相模五ノ宮)をお参りする。
11:47 トラスコ湘南大橋を渡って茅ヶ崎に入る。昨年の4月1日か橋の命名権を売って『トラスコ』が頭に付いた。因みに落札額は5年で1312万円余である。他の県有施設に比べて圧倒的に高い落札額である。
昼食は弁当を持参しているが柳島の『あさまる』で食べたくなり、寄ったが定休日である。南湖の『えぼし』に切り替えて『かさごの煮つけ定食』を食べる。
14:34 寒川神社(相模一ノ宮)を経て県央道の建設現場を見ながら相模大橋を経て本厚木駅に戻る。16:35到着
本日訪ねた一ノ宮、四ノ宮、五ノ宮に二ノ宮、三ノ宮を一日に巡るのは何Kmになるのだろうか。挑戦してみたい気がする。

11年02月14日 自宅から金田・依知地区を散策

妻田の西福寺近くで古木の空洞にお地蔵さんが、雨露を凌いでいました。金田にある日蓮上人にゆかりの妙純寺はなかなか由緒のあるお寺だと改めて知った。旧129沿いなので、車で通過したり、歩くことはあったが、境内に入ったのは初めてである。日蓮にゆかりなだけでなく、金田の地頭だった本間重連の廟所がありました。すぐ近くの金田神社、さらに隣接する建徳寺は、鎌倉時代から続く、有力者のお墓が多数あった。地元の飛鳥田、飛鳥井、座間だけでなく、荻野あたりの旧家である難波、片野、花上家の墓地があるところを見れば、かなり格式の高いお寺だったと思う。驚いたことに沢山ある飛鳥田家のお墓の中から社会党の委員長や横浜市長を務めた『飛鳥田一雄』のお墓を偶然見つけました。『本間氏累代』のお墓も壮観でした。
中依知では、やはり本間氏ゆかりの『三光山梅香寺跡』の石碑があった。
上依知の『猿ケ島渡し跡』に立ち寄った後は八王子からの『大山道』を歩き、中津川を『才戸の渡し跡』で越えて帰宅する。
歴史を楽しめた一日である。







11年02月12日 愛甲石田駅〜自宅

ウォーキング協会主催のコースは通常でも距離が短いが、この日の県央ウォーキング協会主催の『松田の河津桜』コースは天候が心配されたのか主催者側でコース変更して極端に短くなった。1時間足らずのコースになったので、電車に乗っていて急遽、愛甲石田駅から自宅まで歩くことを思いつき、実行した。
愛甲・上長谷・小野・森の里・上古沢・飯山・宮の里・鳶尾と道中は歩きなれた地域などで特に写真は撮らなかった。
因みに歩行記録には残していないが、県央ウォーキング協会主催の『松田の河津桜』コースは『こちら』です。

11年01月24日 水引〜金田〜中依知〜自宅

午前中に厚木駅近くで用事があり、その帰路を自宅まで遠回りしながら歩いた。
12:17 昼食後水引から気ままに歩き始める。
三川合流地点のほうへ向かう。相模川が海老名との市境で、厚木市街地と妻田、金田を分けているのが小鮎川と中津川である。
『鮎津橋』というバス停があるが、正確にはそんな橋があるわけではない。
「小鮎川」と「中津川」を渡る橋だから『鮎津橋』の名称は付いたと思われる。「小鮎川」に架かっているのが『第二鮎津橋』で、「中津川」に架かっているのが『第一鮎津橋』である。そして『鮎津橋』バス停は両橋の間にある妻田に位置している。
金田に入って環境センター入口の信号を過ぎて、コンビニ(ヤマザキ)の東側の旧道からR246を過ぎる辺りまでが、私は好きである。
地頭職本間氏の居館があったらしく、牛久保用水や鉤の辻など町づくりだけでなく、『飛鳥井』『飛鳥田』など由緒ありそう珍しい姓を見つけられる。蹴鞠や書道の流派に『飛鳥井流』があるらしい。『飛鳥田』は、かって社会党の委員長や横浜市長を務めた政治家が有名である。
R246を過ぎ中依知、関口へと水道道を歩く。中依知からは水道道と並行して中津川寄りに『信玄道』が通っている。