川越不動・川越大師不動・岩槻大師  2010年03月22日

神奈川県は『発心の道場、』東京都は『修行の道場』、埼玉は『菩提の道場』と位置付けられている。今回から3つ目の道場のスタートである。

8:24 川越駅から歩き初め、喜多院そして本行院を訪ねた。早い時間だが観光客が動き始めている。
喜多院は大きなお寺でしかも案内が分かりづらく、納経所がなかなか見つからない。
川越大師は、すぐ近くで徒歩で3分ぐらいである。こちらはこじんまりして15分の1ほどの広さである。
   
とりあえず次の経由点は入間川である。R16をひたすら歩く。埼玉は大きな原っぱという感じがよくわかる。
 意外だったのは入間川から見る富士山の姿である。霞んでいるが冬の寒い朝ならばさぞかし美しいことであろう。江戸の昔ならば一層のことに違いない。それにしても入間川と荒川の合流地点に近い上江橋は長い橋である。気になって調べてみたら総距離3.7Kmである。
ゆっくり歩くと一時間もかかる長い橋である。
橋を渡り終えたら、次は指扇を経て、大宮の氷川神社を目指す。開発が進む新都心の高層建築が大きくなるにつれ見覚えのある建物も増えてきた。
 武蔵一ノ宮の氷川神社は荒川流域を中心に関東地方に多い氷川神社の総社である。毎年多数の初もうで客が集まることでも有名である。少し寒かったが咲き始めた桜を待ち切れずに大宮公園内ではお花見を楽しんでいる家族連れが多かった。公園を抜けたら東武野田線に並行するように岩槻を目指す。大和田の辺りだろうか屋敷林のある立派な旧家が何軒か見られた。 
東北自動車道の岩槻ICを過ぎて、市街地に入ると岩槻大師はすぐである。お寺でトイレを借りたが、興味を引く張り紙が何枚もあった.
『急ぐとも 西や東に散らすなよ 南る人が 北ながる』
『便所という所は 入る人は急ぎ 出る人は落ち着いて出る所である。急ぎ入る人のために ゆっくりと出て行く者が 履きよく サンダルを脱ぐ位の思いやりが欲しいものである。.』 蓋し名言である。岩槻は人形の町であり境内には人形供養碑があったり、普通は4月に行われる御釈迦さんの誕生を祝う花まつりも5月に行うそうである。
次は同じ岩槻にある坂東第12番慈恩寺を経て蓮田駅へ向かう。
慈恩寺は石高100石で当時の寺領としては、かなり高いものであったらしい。66坊もあったというから、この地方では高い格式で信仰を集めていた模様である。徳川家は関八州の支配で、民心の懐柔政策として、有力寺院に寺社領の寄進を実施した。石高が多いということは、それだけ有力であった証である。
納経所には4人の僧侶や関係者が居て、しばらくお茶を頂きながら雑談をした。前回参拝時の朱印帳に長印をお願いしたが、前の朱印帳に記入した字を見て、これは誰が書いたのだろうとか、GPSのオレゴンを見て珍しがったりとゆっくりした。慈恩寺を3:40に出て蓮田駅に着いたのは5:02であった。