那古観音  2010年04月30日

4:51 ホテルを出発。出発前に富士山を見ようとしたが、生憎どんよりとしていて見えない。湊川から見る山も海も美しい。内房なぎさラインを歩くが浦賀水道の対岸の景色が良く見える。
フェリーの発着場がある浜金谷を過ぎると海岸線は奇岩が多く、見とれてしまう。海岸線はトンネルが多く歩行者にとって、難所である。特に鋸南町にあるトンネルは身の危険を切実に感じる。しかもトンネル内を走行する車が大幅なスピード違反をしているので二度と歩きたくない町である。歩行者や自転車の通行を対向車に知らせるためと思うが、トンネル入る前に人や自転車通行の人は写真のようなボタンを押してからトンネル内に進入する。しかしほとんど効果がないように思う。富浦町でみた人や自転車専用道路はホッとする。中にはトンネルの内壁へ魚の絵を描いたトンネル水族館と銘打った素晴らしいものもあった。
 
地図をぼんやり眺めているだけではなかなかわからないが、少し歩くと海岸沿いの遠景は大きく変わる。それは小さな岬や漁港が多いことに起因している。
保田では菱川師宣生誕の地の碑を発見した。道の駅ではおなじみの見返り美人の看板が大きく迎えてくれた。
上総湊から続いた海岸線の道路や内房線も勝山からは少し内陸寄りになる。
街道沿いには枇杷の看板が目立つようになる。富浦の辺りは日本一の枇杷の生産地のようだ。船形地区で珍姓に遭遇する。‘抜き足、差し足、忍び足’の言葉があるが『忍足』という姓である。読み方は『オシダリ』である。
帰宅後に調べて、日本最初の聾唖の主演女優『忍足亜希子』の存在を知る。
那古観音は街道から真っ直ぐに立ち上がる急な階段を上っていく。
12:08 那古観音に到着。お参りを済ませ、館山湾を望む景色を眺め、一息ついて納経をお願いしようとしたら、12時から13時まではお昼の休憩で受付をしない旨の張り紙があった。この日は館山止まりと決めていたので、それほど急ぐ必要はないが、歩き遍路では時間が惜しいだけでなく、長い休みを取ると、その後にどっと疲れが出るので、ゆっくりでも歩き続けたいのが心情である。このお寺は坂東観音霊場の結願所で一般的には最後に参拝する人が多く、先を急がないのだろうと自分自身を諭すように考えていたら、同じように三人の人が御朱印の受付を待っていて、それとはなく会話が始まった。三人は御夫婦とその母親のようであり、色々な霊場を巡っている群馬の人であった。そのうちに御主人が、そう言えば前に来た時もお昼にかかって待たされたというような話になった。そんな話をしているうちに、トイレに出てきた僧侶が気付いたのか『朱印ですか?』と声を掛けてくれた。結果的には大してロスをすることなく12:38に下山する。

海岸近くに大きなホテルが見えてきて、鶴谷八幡宮を過ぎたら、館山駅はすぐだった。
14:14 館山駅着
時間も早いので、宿が確保できるようならば、さらに先に進もうと思い駅の観光案内所で宿泊情報を仕入れる。
『海岸沿いには民宿が何軒かあるが、山を越えて白浜方面に行く道筋には泊まるところはありません』ときっぱりと言われ、市内の宿泊所リストを貰った。
旅館はどこも満室で、駅に一番近いビジネスホテルに泊まることにした。