都幾山 慈光寺  2010年05月16日

8:38 明覚を出発。小さな山間の駅であるが、何人かの旅人が下車した。近くにいくつか温泉もあるようである。歩き始めてすぐにこの地の地場産業は木工業とすぐにわかるほど、木工所や木にかかわる看板が目立つ。
都幾川沿いに山藤が見事である。宿交差点が慈光寺入口になっていて、ここを右折して進むが、これまでの平坦な道と違い、急に傾斜がきつくなるのが分かる。自動車が通る舗装道路もあるが山道になっている昔からの参道を歩く。人と行き交うことはないが、素晴らしい光景にであう。道の両側に菁莪(シャガ)の花が所狭しと咲き誇っている。日陰に咲いているが、辺りが明るく感じるほどである。この後、慈光寺の境内にも『菁莪の群生』と説明板が立っているところが数か所あったが、花は少ししか咲いておらず、お世辞にも群生地とは言い難い。やはり菁莪の花は日陰が似合っている。確か西国観音霊場の壷坂寺も菁莪が素晴らしかった気がするが、これほどの光景ではなかった。
詩経に由来する菁莪(セイガ)が学校や私塾の名前になっているのは、わかるが花にこの字があてがわれ‘シャガ’と読むのはなぜなのか疑問を持っている。
 
山門を入るとすぐに参拝者への注意書きが目に付いた。御朱印より先に観音堂など境内を一巡せよというような主旨であった。宝物殿、般若心経堂、観音堂の順路になっており、観音堂が最も高い地点にあった。玄関先での納経と違い、広い本堂の奥に山主がどっしりと構え、色々とお話をしながら御朱印を頂く。90歳を越えていると思われるが、独特な口調で穏やかな話し方をする。なぜか頭の上には湯船に浸かっているときのように手ぬぐいを折って載せている。少し興味はあったが、余計な質問はしなかった。重印なので前回参拝時の日付を見て、『前回より扁額が増えていたでしょう』と言われた。残念ながら山門の所に『扁額』と書いた小さな板に矢印が書いていたのは気付いたが前からあっただろうにしか思わなかった。正直にその旨を話す。小川町に行く道を丁寧に、と言っても口答だが教えてもらい退出したが、すぐに自信がなくなった。少し離れたところで山の仕事をしている人がいたので、追いかけてゆき道を訪ねると親切に教えてくれた。しかし本人も小川町まで通ったことはないので、途中までしかわからないと言う。。でも小川町に行けるという言葉を信じた。歩いていると、古道ハイキングの表示があり、それに従って進む。見晴らしのきかない道で、不安はあるが天候も良いので順調に山を下り、11:40ごろ自動車の走っている道路に出た。結果的には計画していた道よりは時間的に短縮された。前方から走ってきた車が私の横で止まった。御夫婦での札所巡りで、助手席に座った御主人が案内所を片手に『坂東札所の9番に行きたいのですが?』と言う。私は今、行ってきましたが、車が通れない山道を下ってきたので、はっきりしないが『このまま進めば案内が出てくると思います』と答えた。確かに道を聞きたくてもそれらしい所がないので、旅人とわかっていても頼りにされるのが理解できる。
12:45 東武竹沢駅に到着。都幾山を越えるのに、難度が予測できなかったのでペースが最悪の場合は、ここから帰宅しようとも計画していた。予定以上に快調なので金勝山トンネルを越え男衾駅、さらに鉢形駅まで行くことにした。
13:40 男衾駅入口を通過、この辺りから住宅が増えてきて住民とすれ違うようになる。
14:05 鉢形駅に到着。まだ時間的に早いので、さらに寄居駅まで歩くことにした。
14:30 寄居駅に到着。
この後、帰宅するが覚悟していた以上に時間がかかった。
乗り換えること6回
寄居駅から乗車して、小川町止まりなので乗り換え、朝霞台で降り北朝霞からJR総武線で西国分寺、中央線で八王子、
横浜線で橋本、相模線で海老名、そして小田急線で本厚木に着いたのは6時ごろであった。
天候に恵まれ最高の一日であった。