目黒不動・目青不動・中野不動・目白不動と東京十社 2010年01月23日

元准勅祭東京十社と関東三十六不動霊場を巡りながら新春の東京をひとまわりしようと計画した。
二日目である。

8:55
赤坂駅から日枝神社に向かう。サラリーマン時代は本社が赤坂にあったので、この辺りは出張などで来ることも多かった。しかし近くにありながら一度も日枝神社も氷川神社の参ったことがなかった。 
日枝神社は場所柄、大企業の法人が氏子になっており、財政的に豊かなのが想像できる。境内へつながる立派な石段にはエスカレータも装備されている。神社の鳥居にはいろいろな形状を見てきたが、日枝神社の屋根のように象られた形は初めてで、大変力強く感じる。日枝神社は全国的に分布しているが、氷川神社は荒川流域中でも埼玉県に多く分布している。
     
忠臣蔵ゆかりの南部坂を通り、六本木から神谷町へは泉ガーデンやスウェーデン大使館、城山トラストコートなど都心の雑踏を感じさせない静かな散歩を楽しめた。東京タワーを回るように芝に出る。増上寺の山門に見とれているうちに、目的地の芝大神宮を通り過ぎ、1時間近くロスをしたが、10:40に芝大神宮に到着。
     
芝から品川は東海道として歩いたコースでもある。
品川神社では明神系と神明系の二種の鳥居が共存している。神官に尋ねたが、『色々あるのです』とはぐらかされたような気がする。11:50
 品川神社をもって東京十社巡りは完結である。
関東三十六不動霊場も巡りながらなので、歩行距離は伸びたが都内のウオーキングコースとしては見どころもあり楽しかった。
右の写真は各神社で買い求めたミニ絵馬(300円)を大絵馬(1500円)に両面テープで張り付けたものである。
12:50
目黒不動尊は五色不動の中でも目白、目赤不動尊とともに江戸の三不動として庶民に親しまれてきたようです。中でも目黒は区名になるほど、近在では中心的な存在だったのでしょう。
確認しなかったが、境内には青木昆陽の墓もあるらしい。そういえば品川からの道中には沢庵和尚や賀茂真淵の墓もあったので、この辺りは昔から文化人が多く住んでいたのかもしれない。

 
13:58
 祐天寺、五本木、下馬、三軒茶屋、目青不動尊へ到着。今日は赤坂の六本木、そして目黒の五本木と木と数字にまつわる地名を歩いてきた。
六本木の由来は『上杉』『片桐』『朽木』『一柳』『高木』『青木』の各大名の屋敷があったことに由来しているらしい。
五本木の由来は人目と引く五本の大木があったためらしい。
目青不動尊は『縁結びの不動』ともいわれるが、おりしも不動堂の前では一人の女性がお参りをしていた。
もしや、縁結びのお願いか?

 
15:38
池尻、駒場、代々木八幡、 初台、西新宿、中野坂上を経て、中野不動尊へ到着。
立派な仁王門、本堂、三重塔などを備えた大寺である。本日中にもう一か所巡りたいが、もう4時前である。
次の目白不動尊に電話をかけ、5時前にはいけると思いますが、御朱印を頂けるか尋ねました。快く引き受けてくれたので、急いで目白に向かう。


 
16:46 
かなり早足で、時には駆ける様にして、北新宿、大久保、新大久保、西早稲田を経て、住宅街の一角にある目白不動尊に到着。
呼鈴を押すと電話の主とは異なるが丁寧に対応していただいた。
目白不動尊は江戸三不動の一位、東都五色不動でも格式の高いお寺である。ここに安置されている『断臂不動明王』は身の丈八寸と小さなものだが、衆生のために自らの左手を断ち切って、切り口から霊火が盛んに燃え出でていると言われる。50年に一度の御開帳だそうだ。
帰宅のため目白駅へ向かう。途中、この辺りで、御成婚前の秋篠宮殿下や妃殿下は語らいながら歩いたのだろうと想像した。