深川不動・薬研堀不動・浅草不動・目赤不動   2010年01月20日

元准勅祭東京十社と関東三十六不動霊場を巡りながら新春の東京をひとまわりしようと計画した。どちらか一方ならば一日で回ることも可能だが、2日の予定である。

7:05


日本橋を7:05に出発し永代橋通りを歩き始める。晴海方面になるのであろう高層ビルが多数林立しているのは壮観である。兜町界隈は出勤する金融マンが慌ただしい。7:48深川不動尊に到着する。寺院関係者が忙しそうに開店準備?をしていたので8時から営業かと思ったら、9時からであった。御朱印はお願いしたら快く引き受けてもらえた。しかし境内にあるトイレにはゲートがあり、施錠され9時にならないと使用できないとのことである。おかしな光景である。



 
不動尊に隣接するかの様に富岡八幡宮がある。大相撲にゆかりのある神社で『横綱の碑』や『大関の碑』があったり、日本地図を製作するために全国を歩いた伊能忠敬の像など興味深いものがある。
       
40数年前に僅か一年足らずだが木場に住んだことがあり門前仲町から東陽町あたりは非常に懐かしい。
9:35 亀戸天神社に到着する。菅原道真の後裔が社殿や楼門、太鼓橋を大宰府天満宮にならって造営したそうだ。両国にはやはり大相撲関連のスポットが多い。野見宿禰神社に遭遇した。
 
江戸東京博物館や国技館、回向院を過ぎて両国橋を渡れば、再び日本橋である。隅田川にはアニメに出てきそうな格好いい水上バスか遊覧船が通過していた。
10:30 薬研堀不動は以前、車で参拝した時もなかなかわからなかったが、今回徒歩でも近くに来ていながらうろうろしてしまった。
 
 
11:00
柳橋、蔵前を経て寿町 の浅草不動に到着する。先の薬研堀不動もそうであるが大都会の小寺院は境内をほとんど持たないところがある。狭い敷地で建物も平屋というわけにゆかず、二階三階とせざるを得ない。当然、仏様は最上階に安置することとなる。寿町に住んでいる住人、しかも60代以上の人に尋ねたのだが、浅草不動尊の位置を知らない人がいた。寺院名で尋ねればわかったのかもしれないが、ちょっと淋しい。



 
11:50
神田神社は神田明神のほうが一般的に知られている。 明神男坂を登ったところが神社である。かなり急な坂である。都内を歩いていて感じるのは関東平野とはいうが、何と起伏の多い土地だろうと思う。交通機関も発達し、建物が多く建っているので、あまり坂の多さを感じなくなっているが、歩けばすぐに感じる。
昔は境内にあった大銀杏が海上から船の目印になったという。境内には多くの神社があるのに驚いた。
   
 12:10
東京十社ではないが、湯島天満宮に立ち寄った。時節柄、合格祈願の参詣者が多数である。驚いたのは絵馬の多さである。何層にも掛けられてその厚みが1mにもなっていた。もう少し後ならば梅が咲いてさぞ素晴らしい光景であろう。
境内の正面にあった鳥居は明神社系に多い貫の出た形状だったが、帰路に見た道路に建っていた鳥居は神明社系に多い貫が出ていない形状であった。その理由が知りたいと思ったが、術がない。
 12:42
不忍池の水鳥を楽しみながら根津神社に到着する。立派な楼門を備えた神社である。徳川家ゆかりの神社だそうだ。
 
 
 12]58
東大や医科大、東洋大が集まるこの地域は寺院も非常に多いと感じた。東洋大学の近くで白山神社を尋ねたら言葉が少しおかしかったが、中国系の留学生かもしれない。一緒に行きますということで途中まで案内してもらえた。加賀一宮の白山神社を勧請されたものである。アジサイ神社としても有名である。




 
 13:17
本郷通りを巣鴨方面に進むと通りに面して目赤不動尊がある。先客がお堂の中を覗き込んで、『よ〜く見ると目が赤いような気がする』と連れに人たちに話していました。詳しい話は知らないが、五不動の色である『青、赤、黄、白、黒』は神獣の『青龍、朱雀、天位、白虎、玄武』や方位の『東、南、中央、西、北、』や元素の『木、火、土、金、水』に関連付けられている。『青春』や『白秋』など季節にも対応している。どうして『目』になったのかは定かでないが、目赤は三重県赤目山に由来していて『赤目』を逆さまにして『目赤』と唱えるように徳川家光より沙汰されたようである。。
 14:25
本郷通りに面して六義園や旧古河庭園、飛鳥山など緑豊かである。
各地にある『王子』の地名の多くはは熊野神社より勧請した神社が存在することに因んでいると思う。この王子神社も領主の豊島氏が勧請したとされている。
 王子から巣鴨、千石、小石川、飯田橋を経由して靖国神社に寄る。巣鴨駅前ではとげぬき地蔵へ参拝する観光客や観光バスを多く見かけた。
ここは十社ではないが著名な神社であり立ち寄った。
境内にあって遠くからも目立つ銅像は誰やと近づいてみると『大村益次郎』であった。彼がこの地の選定に深く関与したらしい。
17:20 赤坂より帰路に着く。