子供たちは、お父さんお母さんを、いつもじっと見つめている、そう強く感じた。
これは日本から国際協力事業で派遣され、学校で子供たちを教えているという方から聞いた話である。現在公立学校では黒人も白人も関係なく机を並べて勉強している。
白人と黒人には、明らかな違いがあるのではないか、今、そう彼は感じているのだという。たとえば、折り紙を折らせてみると、きれいに角を合わせてまっすくに折るという作業が白人の子には出来るのに、黒人の子はそれが苦手で、ぐちゃぐちゃに折ってしまうということが多いのだという。数百人という児童を教えていて感じていることだという。彼は人種差別主義者ではない。アフリカにやってきているということで分かるように、教育に対し熱い情熱を持っている人だ。
人種や部族によって、人間の能力に差はないであろう。それは、日本でもなじみの深い米国といった国を見れば、医師や弁護士といった、緻密な作業・判断を求められる分野で活躍する黒人がいることから明らかだ。
では、何が違いを作るのだろう。それは、家庭の違いではないか、そうその教師は語る。その言葉から、大らかな黒人のお父さんお母さんの姿が見えてくる。こうした一つ一つの家庭がやがてその社会の性格を方向づけていくのだろう。しかし、大らかさは一方的に否定されるべきものではない。何故なら、この大らかさが、あの雄大なアフリカ芸術を生み出しているのであろうから。
ここで、教育というものを考えてみる。教育以前とも言えるようなことが、実は子供たちの性格や能力に大きな影響を与えるということがわかる。子供たちは、両親の一挙手一投足を注視し、そのふるまいをそのまま自分自身にコピーする。日本では、早期英語教育や学習塾といったことに力を入れる家庭も多いと聞くが、実はそんなことよりもずっと大事なことを忘れていることも珍しくはないのではないか。日本での凶悪な少年犯罪を伝えるニュースを耳にするたびそう思う。
政治・経済の混乱もあるアフリカの国で、一人の日本人教師の奮闘は続いている。彼は、自分は種まきをしているのだと言う。全ての子供たちが、彼から何かすばらしいものをつかみ、やがてそれが花開くことを願いたい。