4月4日夜、バンコク市内にあるアメリカ大使館前でイラクでの戦争に抗議する座り込みが行われた。デモ行進といった派手なことは一切せず、歩道沿いに列になり、各自ロウソクを前に黙々と座り込み、その内ある者は目を閉じて瞑想するという静かなスタイルである。時間は19時から21時の2時間。座り込んだその列は最終的には80mほどになり、100名ほどの参加者となる。
列の中で隣になったスウェーデン人女性が言う、
だが、
その後、この抗議活動の主催団体から、アメリカ製品のボイコットを呼びかける電子メールが届いた。彼らの気持ちは痛いほど分かる。だが、国境を超えて企業活動が活発に行われている現在、これは簡単ではない。そもそも、このメールを作成した彼らのコンピュータには、アメリカ企業製の部品が沢山使われ、それを動かすソフトウェアもアメリカ企業製だ。インターネットというもの自体、アメリカ発の発想だ。完全なボイコットなど不可能だ。 もちろん、それは逆も同じこと。多国籍企業と化したアメリカ企業も、もはや他国での製品製造販売なしでは存続し得ない。 もはや現在では、他国との関係・協力なしでは世界は成立しない。鎖国など不可能だ。
この戦争では、イラクの住民たちを思うことよりも、戦後の石油といった利権をねらう利己主義的な意図があまりにあからさまである。古来、力で支配者の座を奪った者は、やがて自らも力でその座を奪われる時が来るのだという。
誰も一人だけで生きていくことは出来ず、今はお互いを想い合う協調の時代だということに気付かぬ人が世界にはいるということになる。
大部分はタイ人だが、白人といった外国人も交じる。国民の大部分が仏教徒というタイらしく、若い仏僧の姿もあるが、キリスト教関係者の姿も見うけられる。
「アジアはデモが盛んではないですね」
確かにそうかもしれない。TVなどの報道を見ていると、アジア各地でのデモといった抗議行動が伝えられているが、ヨーロッパのそれほど大規模なものではないようだ。もちろんイスラム圏は別である。タイ南部地域でもイスラム教徒が多いので、連日のデモ行進の様子などが報じられている。ここバンコクでも、こうして戦争に抗議する人間は間違いなくいるのだが、しかし、世界有数の巨大都市バンコクであるにもかかわらず、その参加者はわずか100名程度である。
この10日ほど前、市内の日本語教室でタイ人の生徒さんたちにイラクでの戦争についてどう思うか意見を求めてみた。だが、返ってくる言葉は、戦争への無関心さを示すものばかりであった。
「イラクもアメリカもタイからは遠いから関心ないです」
「タイはこの戦争とは関係ないから」
タイでも戦争を伝えるニュースが連日頻繁に流され、嫌でも戦争の様子は眼に耳に入ってくるのにかかわらずである。
この日、生徒の多くが女性であり、タイの女性は習慣的に人前で意見を述べたがらないと聞くが、それにしても意外なほどクールな反応だ。
「タイばかりでなく、日本でもみんな冷めたもんだよ」
一時帰国から帰ってきたばかりのある日本人は言う。
これも想像に難くない。TVニュースを見て、一瞬心の中に何かがよぎるかもしれないが、次の瞬間には、それはもう心の中にはない。あるいは得意げになって兵器解説をする人。こんな人にとって戦争は、コンピュータのシュミレーションゲームと同じ物だ。誰かが痛み、倒れることを想像しようとしない。
結局、海のはるかかなたで流される誰かの血を想像するのは困難ということになるのだろうか。
もちろん、戦争抗議活動を行っている彼らを否定してなどいない。これだけの活動を行うことは容易ではない。逆に敬意を払っている。
アメリカは、今は、圧倒的な武力で制圧できたとしても、この先一体いつまでそれを続けられるのだろうか。
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