エジプトに入ると、そこは全くの別世界だった。夜、沢山の街灯や商店の照明で街は光輝き、道路はきれいに舗装され、あちこちにATMがあり、カード一枚で簡単に現金が引き出すことが出来た。
エジプトを去る日も近づいた頃、アレキサンドリアに向かった。地中海に面した、歴史の教科書にも登場するほど名の知られた街だが、これと言って目玉となる遺跡はない。したがって見かける外国人観光客も少ない。だからか、街の空気はどこかのんびりとしている。
翌日、港の先端にある砦跡を訪れた。暖かさは、日本で言えば早春くらいの気候に感じた。気持ち良く晴れていた。明るい太陽光線が降り注いでいる。砦の上から外に出、地中海を眺めた。美しい、ただただそう思った。石造りの砦の白、地中海の深い蒼、そして、吸い込まれそうなほど輝く空の青。光だと思った。この美しさを演出しているのは地中海の光だ。20世紀を代表する建築家であるル・コルビジェは、24歳の時にギリシャを訪れ、建築家としてのアイデンティティを確立したのだと言う。彼はそこで、光に満ちた空と海の青さに囲まれた単純かつ限りない強い輝きを帯びた世界を体験したのだという。地中海の南と北という違いはあるものの、同じ地中海を前にし、私も光というものを感じたような気がした。
移動も今までの、スーダンまでのハードさがウソの様に思えるほど楽だ。滑らかに舗装された道路を、すべるようにバスが走る。しかも、定員以上の乗客を乗せることもない。列車は、ややくたびれた車両なものの、寒いくらいに効いたエアコンと飛行機のビジネスクラス並みにゆったりとした足元を持つ座席で、2等車両でも驚くほど快適で疲れることがない。
ピラミッドをはじめとする世界に名だたる壮大な遺跡も圧巻である。素晴らしい国だ。だが、何故か違和感を感じた。
人の顔が見えなかった。遺跡内部はバーゲン会場の様に人でごったがえしている。これまで見たことがないほど沢山の観光客がいる。だが、彼らは遺跡を見には来ているものの、人に会おうとはしていなかった。
ルクソールの遺跡の入口で、むらがってくる物乞いの子供にお金をばらまく白人の中年婦人を見かけた。彼女はお金を渡す時、子供たちの顔を見ようともしなかった。野良犬に食べ残しを投げてよこしている様にさえ見えた。少なくとも、彼女にとって子供たちは対等の存在ではないようだった。街には、観光客ズレした商人達が沢山いた。そこに人と人との交流は起り難い。
仕方ないとも思った。あくまで我々は観光旅行をしているのだから、訪れる場所は観光地だ。また、以前のイスラム過激派テロ以降、外国人には様々な行動の制約が加えられており、例えば、長距離移動には一般エジプト人の乗る3等車両が接続されている列車は利用することが出来ない。エジプトの人の顔が見えてこない。アフリカ大陸縦断最後の国で、何か釈然としない気持ちが続いた。
街を歩いていても、声をかけてくる商人はほとんどいない。かわりに、高校生、大学生くらいの若者が、興味をもったのか、すれ違いざまに恥ずかしそうにしながら笑顔を投げかけてくる。あるいは、つたない英語で話し掛けてきたりする。街の中を移動するのには路面電車に乗った。また、3等車両だけの近距離列車にも乗った。そこには、普通のエジプト人の姿があった。あちこちで会話の花が咲き、日本では考えられないくらいにぎやかな車内である。一方で、だまって座り、壁を見つめる杖をもった老人もいる。車両車両を物売りが、歯ブラシなどの生活雑貨を売って歩く。飾ることのない日常の風景だ。そんな中にいて、不思議な安堵感を覚えた。
また、同時に、これでアフリカ大陸縦断を終えることが出来た、そう感じた。この光り輝く地中海の先にはヨーロッパがある。
写真をクリックすると、大きな画像で見ることが出来ます。
Click on the picture to get the full size.
Fort, Sky and the Mediterranean Sea (Alexandria)
砦、空、地中海 (アレキサンドリア)