ある旅行者が持った印象


  「貧しさだ」
彼はそう答えた。このツアーで最も良かったところはどこ? という私の質問に対し、良かったというものではないのだが、と断ってから一番印象に残ったことは人々の貧しさだ、と答えた。確かにそんな印象を持つ旅行者が現れても不自然には思えなかった。

 イラストレーターだというこのイタリア人氏とは、3日間のメコンデルタツアーで同室だった。このツアーの行く先々では、施しを求める手がいくつもいくつも差し出されてきた。また、平日日中から物を売る子供のあまりの多さに、この子たちは学校には行っていないのか、と質問が出され、学校には行ったり行かなかったりだ、とガイドは答えた。

 イラストレーター氏は、さらに続けてこう言った。ここベトナムは確かに緑が美しい。子供たちの笑顔もとてもいい。しかし、そんなことより貧しい人が多すぎる。メコン川の濁った不衛生な水を使わなければならないし、子供を学校に行かせる余裕もない。3、40年後には変わっているとは思うが、少なくとも今はとても貧しい国だ、と。

 全ての人が貧しいわけではない。都市部には当然水道設備だってある。大学もある。普通の民家でも、植民地風建築様式を活かした真新しい大変豪華なものが散見できる。しかし、ここメコンデルタの田舎では、古びたわらぶき屋根の家に暮らす人たちも多い。いや、ここではそういう生活習慣なのだよ、と言い切られてしまえばそれまでなのだが、お金に余裕のある人たちの家々を覗いてみると、出来ることならば近代的な暮らしがしたい、という思いがあることは間違いないようだ。また、教育だって全ての職業で、高度な教育を受けた経験を求められるわけではない。しかし、学校に行けないということで、間違いなく可能性の芽は摘み取られることになってしまう。

 今までにブラジルといった中南米・オーストラリアといった数々の国を旅したというイタリア人氏は、彼なりの経験を元にベトナムという国を見た。他の東南アジアの国には行った経験がないから、例えばマレーシアと、あるいはタイと比べればどうなのかなんてわからないけれど、僕の印象はそうなんだ、と言っていた。

 私も、彼の持った思いに同感するところがある。ベトナムは物乞いする人が多い国だと感じている。今まで旅してきたアジアの国のほとんどで、お金やものを乞う人たちを見かけてきた。インドは、数の多さでよく知られている。しかし、ベトナムでのその多さは、このツアー中に限らず、色々な町の街角で、市場で、あるいはレストランの中で、自分に対し何本もの手が幾度となく突き出されて初めて強く印象付けられた。

 86年の"ドイモイ"という市場経済制導入政策以来、ベトナムは大きく発展し、豊かになってきているという。先に延べた豪家な個人住宅は、その成功者ものだろう。しかしその影で波に乗ることができず溺れている人間も沢山いるということになる。理屈の上では、社会主義国に物乞いは存在しないはずである。

 彼は3週間の休暇だったといった。この間、ベトナムをどのように周ってきたのか詳細はわからない。そして私も、ここベトナムにはわずか3週間程度しか滞在していない。また、外国人観光客が、特にツアー団体が訪れる場所は限られていて、ある意味格好の標的になるわけだから、我々外国人は特別な状況にあると言える。こんな短期間かつ特殊な条件下の体験で、一つの国を判断してしまうのはあまりにも乱暴である。しかし、そんな印象を持ってしまう旅行者は現実に現れてしまっている。

 彼はツアー翌日の飛行機で帰国すると言っていた。今はもうイタリアだろう。ベトナムについて質問された時、最初はやはり貧しさについて語るのだろうか。そして私もまた、やさしさと笑顔に出会い心が洗われる思いでした、とか、あるいはボラれ高値をふっかけられ不快でした、といった感想のみでは語れないと思っている。ベトナムの人たちは、こんな我々のことをどう思うのだろう。

 
 
 

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