ケサン基地跡に立つ。屋外に展示された大砲が白く深い霧の中に浮かんでいる。このベトナム中部、ラオス国境近くの米軍基地が、いかに山奥にあったのかを象徴する濃霧に包まれて、滑走路があることなど全く分からない。私はその山深さに驚きを覚える。68年のテト攻勢最大の激戦地であるここも、今は驚くほど静まり返っている。アメリカ側360人、ベトナム側4000人という人間が命を落としたのだという。そんな激しい戦闘に思いをはせてか、観光客たちは静かにゆっくりと歩きまわる。
ホーチミン市にある戦争証跡博物館では、無残な怪我の写真の前で白人の若い女性がさかんに舌打ちしている。枯葉剤の影響とされる奇形児のホルマリン漬や監獄の実物大模型など、重苦しい気持ちになる展示が続く。また、恐ろしく巨大な爆弾が、大砲が、攻撃機が、ところ狭しと肩を並べ庭をうめている。
ベトナムは、戦うことによって成り立った国なのだ、改めてそう確認した。あちこちに軍事博物館や戦争博物館といったものが建てられている。そして観光の目玉として多くの観光客が訪れているが、それだけではない。ハノイの軍事博物館では小学校の社会見学らしき集団がバスを連ねてやって来ているのを見かけた。この国の戦いの歴史を風化させないためにだろう。
どこの記念館でもベトナム戦争に関する展示が一番多いのだが、アメリカ軍を非難する展示とともに、戦う理由が南北ベトナム統一・民独立であり、そのために、人々がいかに苦難を乗り越えてきたのかという点を大変強調していた。しかし米国では、例えばハリウッド映画でもベトナム戦争を取り上げたものは多いが、私の印象では、何故米軍が戦うのか、という理由はあいまいにされていることが多いと感じている。博物館展示の意図に政策的なものがあるのは当然であるが、それにしても、ベトナムにしてみればアメリカの介入は大きなお世話だったことは確かだ。
現在インドシナ半島は平和の時代にある。以前はインドシナの国々を陸路で旅して周るなど、わずか数年前であっても不可能なことであった。ベトナム一国にしたって、かつての敵国米国の青年が自国アメリカ軍を非難する展示をした記念館を、見学しにこれるくらい平和の時代になっている。
平和はいい。博物館に展示されている戦車や攻撃機からは、強さや格好よさなんて全く感じられない。ただ不気味なだけだ。フエで見かけたように、戦車は子供たちがよじ登って遊ぶだけの場であり続けることを、そんな時代であることを願うばかりだ。
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深い霧に沈むケサン基地跡。(旧南北ベトナム国境の非武装地帯"DMZ"近く)
At Khe Sanh Combat Base ( "DMZ" near the border between North
and South Vietnam )
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かつてのホーチミンルートだという(旧南北ベトナム国境の非武装地帯"DMZ"近く)
Ho Chi Minh Trail ( "DMZ" near the border between North and South Vietnam
)
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ビンモックトンネル。住民やベトナム軍が、アメリカ軍の攻撃を避けるために掘った地下トンネル。このジメジメした粘土質の土中で沢山の人が暮らしていた。(旧南北ベトナム国境の非武装地帯"DMZ"近く)
Vinh Moc Tunnel is the shelter against American bomb ( "DMZ" near the
border between North and South Vietnam )
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小学生のグループ ( 軍事博物館 ハノイ )
Kids ( Army Museum Hanoi )
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このジャングルの中にベトコンの秘密基地があった ( チャム メコンデルタ
)
This jangle had the secret base of VIETCOM ( Tham, Mekong
Delta )
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ジャングルの中の秘密避難用トンネル入り口 ( チャム メコンデルタ )
The entrance of the secret shelter tunnel in the jangle ( Tham,
Mekong Delta )