ある一日


  朝9時半、列車は中国国境の小さな町ドンダンをゆっくりと離れ始める。ハノイ行、正確にはその2つ手前のガーラン駅までしか行かないこの列車は各駅停車だ。首都行なのだから当然急行か何かであって、外国人向けのソフトシートの車両が連結されているのだろうという予想は完全にはずれ、全てが木製ベンチのハードシート車両であった。つまりローカル列車。そしてどうやら外国人旅行者は私一人で、しかもかなり珍しい存在になるらしい。それは周囲の反応を見ればすぐに分かる。

 重いバックパックを背負いながら駅のホームをウロウロしていると、こっちだこっちだ、と手招きしてくれる制服の男性がいた。彼は車掌だった。列車が走り出し、しばらくして手が空くと彼はニコニコしながらやってきて、やがて筆談が始まった。名はニャンチャラップだと言う。31歳。筆談と言っても、私はベトナム語が全く、彼は英語がほとんど分からないから、実は筆談らしい筆談にはなっていない。けれど、本当にうれしそうな笑顔を向けられると、なんだかこちらも笑顔になってくる。それで十分だ。

 乗った車両には、おそらく業務外だと思うが4人ほど他の車掌も同乗しており、珍客である私を面白がり、ベトナム茶を飲ませてくれたりする。あいかわらず筆談はほとんど成立していないが、ボールを蹴るサッカー選手の絵を描いてみせると、一人の車掌は「NAKATA」「NANAMI」と紙に書いてよこした。この国でのサッカー人気の高さがうかがい知れる。

 デジカメで車掌たちを撮ってあげ、その画像を見せてあげる。「おい、なんだいコレ、すごいじゃないか」という驚きの反応が返ってきた。しばしデジカメで大いに盛り上がる。そして、いつのまにか増えていた周囲の乗客たちも、私のことに気がつき、こちらを見ながら「ジャパン」「ジャパンだ」とやっている。誰もが外国人が珍しいらしい。沢山の外人観光客が訪れていると思っていたのだが、それはもっと南の方のことであり、北の地方部にはほとんどやってこないのだろう。しばらくすると、空いていた私の向かいの席に、3人の家族、おばあさん、お母さん、娘が、隣のボックスから移ってきた。私に興味を持ったらしい。

  笑顔を向けると笑顔が返ってくる。言葉は通じないから、インドシナ半島のガイドブックや日本を紹介する小さな冊子を渡してみた。おばあさんは特に喜んでくれ、挿し絵の写真を一つ一つ指差しながら「これはベトナムか」「カンボジアか」などと聞きながら眺め続ける。地図を指差しながら、彼女たちは中国国境近くの山の中からやってきたと言った。

  お昼近くになった。駅に停車する度に乗り込んでくる売り子のおばさんたちが色々な食べ物を売っている。3人の家族が、何か新聞紙に包まれたものを買った。マネして同じ物を買ってみる。2000ドン(約15円)。ご飯の固まりがだった。日本のおにぎりみたいだ。これにシラス干やゴマのようなものをかけて食べる。シンプルだが、とても素朴な味でいい。3人家族からもらった和菓子のような食べ物と合わせ、おいしく食べる。

  午後。やがて車内は混雑しはじめる。今まで空いていた私の隣にも入れ替わりで誰かが座る。あちこちで会話の花が咲いている。初めて会ったどうしみたいだが、まるで以前から知り合いだったかのように会話が弾んでいる。もちろん私がいるボックスでもそれは同じで、なんだか分からないが何かの話題で盛り上がっている。内容はさっぱり分からないのだが、私も分かっているかのような顔をしてじっと聞き入る。よく聞いていると、たまに中国語が混じる。北部の人たちは、部分的に中国語を解するようだ。
 ウトウトと眠りそうになる。と揺り起こされ、再び会話へ強制参加させられる。何かやらなければならないことがあるわけでもなし、それもまた楽しいかな、と苦笑いしながら、オバサンの話に耳を傾けてみる。

 気がつくと午後5時。終着駅に到着だ。車掌たちは、一つ手前の駅で降りていった。ニャンチャラップは握手をして出ていった。なんだか話し足りなさそうな顔をしているように見えた。
 家族に続いてタラップを降りる。ついにハノイまで来た。7時間の温かな時間を終え、達成感のようなものと、新しい街へ入る緊張感が身体にあふれている。
 
 
 

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ドンダン - ハノイ間のローカル列車
a local line from Dong Dang to Hanoi

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車掌のニャンチャラップ氏
conductor Mr. Nguyen Tien Lap

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車内の家族3人
a family on the train car

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車内で食べた素朴な食べ物
Vietnamese simple food that I had on the train car.
 
 

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